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終戦の日に思うこと

夏と聞いて思い出すのは、抜けるような青空とか小さい頃に見ていた冷房に表示される外気温(当時は都内で32度でも猛暑と感じていた)、中高校で所属していたバレーボール部の合宿。そして学校で配布された夏の宿題。学校オリジナルの宿題帳で、前半が国語・後半が算数。色が白く微妙な厚さで、とにかく勉強が嫌いだった私には今でもトラウマとなっている。
分かるところから飛ばし飛ばしこなしていくから、難しいところばかりが残る。
夏休みは東京を離れて軽井沢で過ごすことが多かったたので、友達に写させてもらうなんてこともできなかった。通信手段もダイヤル式の黒い固定電話のみ。写メを送って友達に聞くなんて想像もつかなかった頃の話だ。

その宿題を睨みながらぼんやり聞いていたのがラジオだった。記憶が怪しいが、軽井沢の家にはテレビも無かったはず。
8月6日と9日には必ず原爆関連のニュースが流れ、15日には先の戦争の話が流れた。玉音放送の再生と広島市在住の学生の書いた平和の祈りをテーマにした作文や詩の朗読。
当時はぼんやりとしか聞いていなかったけど、その音は今でも耳に残っている。
その軽井沢にあった家も、もともとは当時東京に住んでいた父方の家族が戦火を避けて避難していた家だと聞いている。
昨年8月に子供達を連れて日本に里帰りしていたので、戦争関係のイベントを何かと考え、とにかく近場でアクセスしやすい靖国神社に長女長男を連れて行った。
靖国神社の立場、展示室の最後に掲げられる戦争肯定メッセージは別として、当時使われた飛行機や電車、徴兵された兵士の軍服などを実際に目にしてもらうことができた。そして靖国神社独特の雰囲気ーまるで戦死した兵の霊が漂っているような独特の神秘的であり悲しさが溢れる空気が、足を踏み出すたびにひしひしと伝わるという経験をした。子供達もそれぞれ思うところがあったようで、ビーチにある砂粒くらいの貢献度ではあるけれど、近い未来に戦争がなくなればいいなと思ってくれたと思う。

海外に住んでいれば、特に英国系の人(特に義父母の世代)にとって、日本はファシズムに傾倒しアジア諸国を侵略した国とされ、それは会話の端々に登場する。政治学科は卒業しているけれど、なかなかセンシティブで答えにくい話題だ。
スペインは第二次世界大戦には参加せず、スペイン市民戦争は1939年に終結しているためそれほど日本と戦争についての認識はない。
スペインはデモクラシーとファシズム国を二つに分けた戦争を経験している。異なるイデオロギーを支持することで家族間でも銃を向け合うという残虐な戦争だ。スペインの独裁政権は1976年にフランコが死去するまで続き、今でもその影響が社会や教育、人々の生活に色濃く残る。仲良くしているワイナリーがスペイン市民戦争で最も凄惨な戦場と化した”バタジャデエブロ”の舞台となったコルベラデエブロ村にあるため、戦火に巻き込まれ破壊された古いコルベラの村や、今でも薬莢が残るCOTA402、"キンタデビベロン"ー"哺乳瓶の世代"と名付けられた、14−15歳の少年兵グループの記念碑を訪れたことがある。記念碑の下に飾られた人骨や軍服のはぎれ、薬莢が訪問者の胸を打つ。

今年の終戦記念の日は、ファシズムが勝利を納めたスペインで迎えることとなった。子供達が去年の経験を忘れることがないようにメッセージを送ったけれど、ちゃんとその意味を理解してくれただろうか。
ウクライナでは、今でもロシア侵攻に抗う人たちが戦っている。
一人の母親として当時のカタルーニャや日本の母親達が経験したであろう思いに寄り添おうとするけれど、その悲しさは想像を超える。徴兵という方で子供を連れ去られた母親達のために少しでも現代の母親達ができるのは、真実を伝え、平和と博愛、尊重の大切さを伝えることではないかなと思う。






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