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さいごのさいごまで

こんにちは、まゆきち⭐︎です。
先日大阪に帰った時、また1つ進んだな…と父を見て思ったのです。そのことが頭を離れなくて、少し気持ちが沈んでいるのだと思います。

1日のほとんどの時間、寝ているような感じになっていました。目を覚ました父に「あらかわの桃やからおいしいよ、食べて〜」と桃を少しずつ口に運んで、父の故郷和歌山県の桃を食べてもらうことができました。「うまいな」と言って少しだけ食べてくれました。

父のことはこれまでにも何度かお話ししたのですが…。

厳しい状態ではあるけれど、さいごのさいごまで命の限界に挑戦する日々を自宅で送っています。

2020年春に入院してから、結構な頻度で実家に帰省しています。
2020年末に退院してからは3か月ごとに帰省しているけれど…お正月の時よりも、4月の時よりも7月に会った父はやはりどんどん弱々しくなっていくのが目に見えてわかります。

ここから何も感じないはずはない…。
でも、まだ続いているからこそ、口に出しにくいものもあったり、何が正解かわからないのもあって、具体的なことを記事にはしていなかったのもありました。

でも半年前を振り返って、1年前を振り返って、その時に迫られていた選択がどうだったかは少しずつ納得できたり、これでよかったんだと思えたりしています。

父の寿命はあとどれくらいなのか…こればかりは誰にもわかりません。
去年入院中の急変を救命センターで助けてもらった命を大切にするために、命の最後のQOLを上げるために、父の望み、このご時世のこと、家族の思いに折り合いをつけながら、前に進んできました。

前に進むって…この場合前向きな話ではないけれど、病気も、不自由になった身体が弱っていくのも受け入れた上での、より良い最期という意味の悲しい前進です。

わたし自身は東京在住のため、在宅介護もすべて母に任せっきりで、たまに帰省して微々たるお手伝いをするだけであり、在宅介護をしているとは到底言えません。

ただ、離れて暮らしている娘としての葛藤も抱えているし、離れているからこそ、少し引いた目で見られる、考えられる感覚も持っていると思うのです。

🍀

noteの記事には看護師さん、訪問看護師さん、作業療法士さん、介護職に就かれている方の書かれた記事もあって、拝見してはその度に癒されたり、頼もしいなと思ったり…。
ひそかに助けていただいているのです。

実際にご家族の終末期医療のことを記録されている方の記事も読ませていただいて、参考にさせてもらったりもしているのです。

わたしは、急にそういう事態(命や治療の選択をする)になった時に、知らないことが多すぎて、先生と話し合いをする前に、まずは調べたくて、知りたくて…必死でスマホで検索したのです。

🍀

父の入院中のこと
心肺停止からの蘇生
医師との話し合い
コロナ禍の入院
転院or施設or在宅かの選択
退院後の在宅医療と在宅介護
家族の気持ちの揺れ
治療の選択
終末期のQOL

父が頸椎損傷してからの8年とさいごのさいごまでの生き様から感じるものをちゃんと自分の中で消化するために文章にしなきゃと思うのです。

「死」は圧倒的なインパクトで誰かの心に何かを残していくものです。それが身内であれば尚更。
もっと違った形で何かを伝えたかったかもしれないけれど、父は精いっぱい生ききることにメッセージを残してくれているのだと思うと、ぼんやりしていられない…と会うたびに思うのです。

経験したことや思いを記録したことが、大切な人の命について考えなければならない時期がきた誰かのお役に立てたらいいなと思うのです。

少しずつ振り返っていこうと思っています。

🍀

下書きにしていたものを、記事にしようと思えたのは、今朝出会った記事のおかげです。

父がお世話になっている訪問看護師さんや、作業療法士さん、介護士さんがいつもいつも笑顔で、父が眠っている時でさえ、声をかけながらケアをしてくれます。父が時に痛い痛いと暴言吐いても、ごめんねーもうちょっとだけ我慢してねーと明るく声をかけてくれる。

家族はいつもそんな優しい言葉や笑顔に助けられてきました。

どんなことを思って、どんな気持ちで接してくれているのかなとずっと思っていました。

おだんごさんの記事はそれに応えてくださっているような素敵な記事でした。

こんなふうに思って看護や介護をしてくださるのだろうなと思うと、ありがたくて幸せで。
わたしもがんばろうと思えて、少しだけ動き出せました。

🍀

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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