作業を肩代わりしてもらったことに感謝すべきなのか?
どうも、計算機科学・総合工学系助手Vの者、空高です。
今回は、教育における大事なことついて、私の考えを書いていきたいと思います。
というのも、過去にハカセの周りで、「その姿勢はどうなんだろう?」と思ってしまうような残念な考え方の人がいたらしいのです。
まあ、どんな感じだったかと言うと、例えてみればこんな感じ。
研究をしていて、ある作業が必要になったものの遂行中の本人には解決できずに困っていました。そこで、その研究自体には直接関係ない第三者が手伝ってくれて、事なきを得た、という話です。
これだけ聞けば、なんてことはないじゃないか、と思うかも知れませんが、問題はいくつかあります。
①このとき手伝った第三者は本当にただ作業を肩代わりしただけ。その作業で問題となっていた部分を解決するために必要なことを、遂行者本人に一切教えなかった。
②その作業は研究の実験を成立させるために必要不可欠な作業だった。
③遂行者本人はその再現ができないにもかかわらず、実験を継続し、オリジナルの自身の成果として対外発表した。
遂行者本人は実験を手伝ってもらったと思って第三者に感謝していて、手伝った第三者もそれに気持ちよくなっていましたとさ。
いやいや待て待て、これじゃまるで他人のレポートのコピペと一緒じゃないか。そもそも根幹を自分の力で行っていない作業を自分のものとして語るべからず。最悪盗用や著者の詐称の始まり(激おこ)
ただし、今回はそこではなくて、本人の無理解と第三者の行為に焦点を当てていきます。
レポートコピペの場合と違うのは、この第三者は明らかに本人よりも手腕が上。つまり、教える立場の人間なのです。教官だったら色々と問題があるので、ここでは遂行者本人の先輩を想定しましょう。
本当であれば、先輩と本人はどうすればよかったでしょうか?
まず、本人は手順を聞くべきでした。
でも、この場合どちらかと言ったら、教育者の方が悪いと思います。
私の見方としては(というか同じことをされたら)、人の仕事を奪っておいて、その手順の説明すら無く立ち去るなんて随分と身勝手だ、と思います。時間が無かったんだとしても、勝手にやってもらっただけじゃ何一つ本人の身にならないのですから。
先輩は予行実験をしてみせたり、横で本人がやっているところを見ながらサポートするとか、とにかく本人の作業を邪魔しない形でサポートすべきでした。当たり前ですが、肩代わりなんてやってはいけないことです。
教育というのはただ説明してもらうことではないと思っています。
私は、間違えを正してもらうことこそが、教育の本質だと思います。
そもそも、自分の考えうる最低限の説明をしたからといって、相手に正しく伝わっているとは限りません。また、理解していないことを相手に説明されて100%正確に飲み込める人間もまずいません。そして、間違えていても、正しい解法を教えられなかったら、いつまで経ってもその人は成長しないのです。
だから、本当に教える必要があるのは、「どうしてそういった現象が起こるのか」、「どうしたらそうなるのか」というプロセスで、それが伝授されないのであれば本人にやらせるべきだと思います。
なんで、こんな話をしようと思ったかと言うと、こういう認識自体も、教育する側がしっかり正さなければ、間違えたままになってしまうと思うからです。
相手のわからないことをやって見せたら、すごいと思われるかも知れないし、手順を教えなければずっと自分の必殺技でしょうが、それではただの自身の力量自慢にしかならないです。実験を肩代わりしてくれたら、楽ができて本人も喜ぶかも知れません。でも、それでいいという、その考え方は間違っています。
教えられる側の気の持ちようも当然大事だと思います。だから、そういう人や楽をしたいという気持ちに惑わされず、本質的に自分のしたいことは何で、そのためにどういう教育を受けなければいけないか、間違えがあったら正してもらえるように、そして、誰かに依存した状態に陥らないようにするために、常に考える必要があると思います。
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