自己紹介 Part.2 上海日本人学校編
継続は力なり。
本日は自己紹介 Part.2です。
熱しやすく冷めやすい人間なのでどこまで続くかな。 飽きるまではやってみます。
前回のPart.1はこちらから。自己紹介 Part.1
さて、小学校4年生になると同時に上海へ移住した我が家。
世界屈指のマンモス校、上海日本人学校
上海ではいわゆる現地校ではなく、日本人学校へ通っていた。
上海は日本企業の駐在員が非常に多く、それに伴いその子供たちの通う日本人学校も世界屈指のマンモス校。
片田舎の1学年1クラス規模から、突如1学年8クラスの大海へぶち込まれた私の運命やいかに。
なんてもったいぶってはみたが、実際は年度始めの転校だったこと、生徒の9割が転校生のため新参者にも男女関係なく優しいことが幸いし、いつのまにやら上海生活に馴染んでいた。
授業については先生も日本から赴任してきているため、なんの遜色もなかったと記憶している。
違ったのは、週に一回は中国語と英語の授業があることくらい。
(太字にできることを学んだ、よし。)
優しく自由な生徒たち
小学生の私が好きだったのは、ドッジボール。
晴れでも雨でもひたすらにドッジボール。
余談だが、当時の上海日本人学校は校庭に陸上のトラック(しかもタータン!)があり、ひとたびコケるとあらゆるところがズルズルに削られ、服もタータンの赤が付いて取れない。
前述した通り日本人学校は転校生ばかりで、みんないつかは日本に帰っていくと分かっているからか、小学校高学年の多感な時期になっても男女仲が良く素直で優しかった。
小学5年生になると、日本と同じく修学旅行があるのだが、なんと行き先は北京。
万里の長城にも登った。今思えば貴重な経験すぎ。
さて、そんな恵まれた環境で過ごすこと3年弱。
我が家にもついに本帰国の時が訪れる。
と、Part.2はここまで。
小学校6年生の11月という中途半端な時期に、
元いたところとは別の小学校に転入します。
最後に一言、眉毛が繋がっていて、だら〜!というコテコテの三河弁を話していた先生、元気かな。
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