mayotarosのゲーム備忘録Part3【ゲームには社会性が必要か】

始めに

 梅雨というのは黴雨(バイウ)からきて、黴では洒落ていないから梅に当て字をしたという説があるそうです。
 みなさま時化った空気の中、ご機嫌いかがでしょうか?今ちょっとかびてるmayotarosと申します。
 こちらは日記兼備忘録となりますので、かびが書いた拙文に容赦ならない方はブラウザバックを推奨いたします。容赦できる方はカビキラーをご持参しながらご覧下さい。
 

マルチプレイゲーム全盛

  今回テーマにしたいのは昨今のトレンド、オンラインマルチプレイゲームいわゆるMO・MMO(Multiplayer Online・Massively Multiplayer Online)についてになります。
 そもそもオンラインゲームというのはインターネット回線を利用したゲームのことを指すそうですが、古くを漁ると、囲碁や将棋の遠隔対局システムの専用機がありそれもオンラインと言われたようです。
 さて、マルチプレイ(以下マルチ)についてですが、多人数参加型オンライン、大規模多人数参加型オンライン、という日本語訳になります。
 現在のほとんどのビッグタイトルがマルチ対応と言ってもいいでしょう。何をするにもマルチ。MMOFPSからMMORPG・・・。形は様々ですが否応にもビックタイトルゲームをするとマルチになっております。
 好みこそあるとは思いますが、オンゲとオフゲ(家庭用ゲーム、家ゲーとか言う、一人用の事)さまざまでておりますから、きっちり住み分けておりますね。もちろん、オフラインにしてゲームを遊ぶ方もいらっしゃるとは思います。(切替できるゲームならね)
 往々にしてあるのはそこでの人間関係から、所謂”引退”をされる方が出てくること。多くの方はそういった事はないかもしれませんが、やはり人がプレイする物、多かれ少なかれ問題が発生するのは社会性やその目的に原因があるかと考えております。

社会性

 「Sociality」難しい言葉ですね。実は社会性という言葉の定義付はなされていないのです。(というよりも定義付が容易ではないからされていない)
 掻い摘んで説明すると
 集団を形成して生活しようとする人間の傾向や、本能的なものだとされております。対人関係における主たる性格や情緒、個人の性質であり人間が社会化していく過程で得られるもので、社会生活を円滑に営むために欠かせない性質の事にしてます。
 システムとしての社会、という認識よりも心理学としての社会、の認識の方が皆様にはわかりやすいかと思われます。
 社会性は、発達心理学や児童心理学での分析がなされていて、精神の発達は知的発達以外では社会的且つ情緒的発達にして成されるとされてます。
 私の職場ではリテラシーliteracy、原義で読解記述力、分野ごとで用いられる記述体系を理解し、整理し、活用する力。現代では書かれた記述の意図や目的まで読み取る力とされてる)なんかと意味を履き違える方がいらっしゃいましたね。ITリテラシーなんかで文言が持て囃されてるせいもあるかもしれません。
 閑話休題、人間同士が接するということはそこに”社会がある”と言う事なんです。わかりきってることですが、オンラインの世界にも社会が形成されてるのです。

目的

 さて、みなさまのゲームをプレイする”目的”はなんでしょうか?
自分は、単純に楽しいからであったり実績開放が目的だったり、敵を倒して快感を得るのであったりという・・・”プレイする事”自体が目的になってます。理屈なんてありませんよ、そこにゲームがあればやってみたいんです。
 皆さんも多少差こそあれど、主だったものは”楽しい”に帰結するでしょう。
 しかしながら、そうではない人がいるんですね。ゲームは”手段”になる人がいるんです。
 例えば、「この人とやりたいからこのゲームをやる。」「このゲームをやるとみんなと話せるからやる」「この配信者さんもやってるからやる」
 寝耳に水、晴天の霹靂、藪からスティック、タンスからルー大柴でした。
 思えば最初の入りはこそ誘われてとか「あーやってるんだ楽しそう、見てみよう、やってみよう」というのはありましたが、飽きたり、やりつくしてしまったらそのゲーム体験は終わりもしくは封印なんてのがほとんどでした。自分の中であるゲームをしたい欲求と、この人と遊びたい、この配信者さんが好き、みんなと話したいというのは別の欲求でした。(いるんだこんな人という感じ)

目的と手段、そして社会からの乖離


  ゲーマーの人はゲームのコミュニティというのは大小持ってると思います。また、ゲーマーでなくてもSNSのアカウントを持っている人はさまざまなコミュニティを持っていて、地元の友達だけがコミュニティというのも昨今は珍しいと思います。
 あくまで、コミュニティというのは、言い換えると社会ですが、そのコミュニティでさまざまなことをするのであり、さまざまなことをする上での会話やコミュニケーションこそ取りますが、生活や人格のすべてをそのコミュニティに集約されてる人は少ないと思われます。例えば、職場、家庭、スポーツクラブ、部活、ゲーム。
 そして、本来であれば、そこで”何かをする””何かを成す”ことがそのコミュニティの目的であり、所属することやそこでの人間関係が目的ではないはずです。
 そのコミュニティに参加したり、人間関係を育みたいのを目的とすると、コミュニティ全体の目的と主たる目的とが離れていきます。
 すると、上手くいかなかったり、自分が楽しめてなかったり、疎外感を感じ始めたりするわけですね。
 ご覧になってる方は社会生活をされてる方がほとんどだと思いますが、自分の市場価値やニーズというのは気にされたことがあるでしょうか。かみ砕くと、社会にどのように必要とされてるか?社内でどういう風に成長したらよいか?ということになります。
 大きな社会や業界、社内全体の中での役割や、人間関係の形成、顧客との関わりを求められることになる訳ですが、それらは、自然と自分の中で作り上げていきます。(あくまでパーソナリティを尊重したうえで)それを感じ取るのが社会性になります。
 「あ、必要とされてないな」「役割を全うできなかったな」となると会社や社会から乖離してきますね。その”ニーズ”が、コミュニティでいう目的になるわけです。(”小さなニーズ”とでもいいましょうか)
 多くの人たちは、自然と必要とされてるところに行きますが、往々にして、自分の目的と会社の目的が合致しているところが多いです。
 所属してるコミュニティが自分に合ってない場でないとわかると酷く苦しく、孤独になります。孤独になると承認欲求を満たしたくなるものです。
 すると社会性のない、人間関係を破壊してしまうような行動に出る人が出てくると、こう分析致しました。

終わりに


 孤独感があったり、苦しくてもそんなことしないよ!という人はいるかもしれません。その通りです。あなたは優れた人格者で社会性のある方です。素晴らしい方なのでそれを大切にしてください。
 しかしながら、世の中はそういう人ばかりではないのです。時に他者を傷つけ、利己的になってしまう人がいるんです。仕方のないことでしょう。
 私はその方の良し悪しを語りたいわけではなく、目的が他の人とちょっと違うなということを語りたかった結果、前述の分析になったのです。
 そしてもう一つ、私の年代に近しい方もそうですが、SNSやネット界隈にいる方は承認欲求が不足しているということです。(かくいう私もそうですが)社会やコミュニティから隔離され、必要とされて居ないと突き付けられた人間が出る行動というのは、げに恐ろしきは人の怨念というやつです。
 社会活動をされる方々、薄いドレスを着たお姉ちゃんに褒められるお店や、猫ちゃんのおなかのにおいをくんかくんかできるお店や、生きてるだけでほめてくれるママを見つけてください。あくまでも、孤独を感じたからと言って逸脱した行為には及ばないようにお気を付けください。
 

mayotaros


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