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メンタル病んだので最長片道きっぷの旅に出ました 〜序章〜

 増え続ける仕事、それを抱え込んでパニック状態の私、そんな私を見て助けるどころか心無い言葉を投げかける同僚……

 そんな日々を繰り返し、とうとう心が折れた。

 数日仕事を休んで寝込み、「もう社会復帰はできないのではないか」「生きるのを諦めようか」と絶望する中、ほんの一瞬、こんな考えが頭を過った。

「もしこのまま休職、あるいは退職して暇になったら、最長片道きっぷの旅ができるのでは?」


※誤解が怖いので予めお断りしておくが、後述する通り、筆者は幾分の体調回復を待ってからこの旅を実行に移している。決して筆者の症状が軽微というわけでも、ましてや仮病でもないという点ははっきりと申し上げておく。勿論、不調を抱えた状態での旅行を推奨する意図もない。
 また休職中に旅行をすることについて眉を顰める向きもあるだろうが、事後ながら筆者の仕事関係者からは咎めない(むしろ気分転換のために推奨する)という旨の返答を得ている。よってこの点についても他人からとやかく言われる筋合いはない、という点も申し添えておく。


本題に戻ろう。

 「最長片道きっぷ(最長片道切符)」とは、日本の鉄道の乗車券の制度に則った上で、最も長い経路となる片道乗車券のことだ。もう少し嚙み砕いていえば、鉄道路線網を最大限活用した最長ルートの一筆書きのきっぷである。
 古くから鉄道ファンの間でこの乗車券のルートの検討や、実際にこのきっぷを用いた旅の挑戦が行われてきた。

 路線の改廃の都度その最長ルートは変わり、短くなっていく傾向にはあるが、それでも距離にして1万km超、期間も1〜2ヶ月程度(きっぷの有効期間は、筆者の旅行時点で56日)を要する長旅となる。
 故に一般的な勤め人にとってはハードルの高い旅であり、誰かが「仕事を辞めないと買えないきっぷ」なんて表現していたのを聞いたことがある。長期休み中の学生が挑戦するパターンが多いようだ。

 紀行作家・宮脇俊三氏の著書『最長片道切符の旅』や、俳優・関口知宏氏が出演し実際に旅を行った2004年のNHKの番組『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』などのメディアでも取り上げられ、それらは同きっぷの存在が一般の人々にも知られるきっかけとなった。後者については、当時の終点であった佐賀県の肥前山口ひぜんやまぐち駅(現・江北こうほく駅)にその記念碑が設置されているのは有名な話であろう。

……と、以上はWikipedia等にも記述されている情報である。ここから先は私の話だ。


 このような究極の鉄道旅行とも呼べる旅、元来からの鉄道マニアである私も興味がないはずがない。もし「死ぬまでにやりたいこと」のリストを作るなら間違いなくこれを入れただろうし、挑戦できればそれなりの語り草にもなろう。

 だが、たとえ十分な時間が手に入ったとは言え、1〜2ヶ月単位の長旅故にそれなりの体力も要する。万全な状態でも大変であろう長旅、まともに動けなくなるほどメンタルを病んだ状態で堪えられるとは思えない。最初はあくまでほんの一瞬頭に浮かんだだけで、実行に移す気などさらさらなかった。

 実はこれ以前にも一度、この最長片道きっぷ旅を実行するチャンスが訪れたことがある。というのが、数年前に前職を会社都合で退職しクビになって転職したタイミングだ。不服なものだったが、まさに先述の「(勤め人にとっては)仕事を辞めないとできない」という、この旅の必要(?)条件が期せずして整った。次の職場への入社までに長期休暇を取得し、この旅の挑戦を検討した。
 だが当時の担当転職エージェントに「オラオラ!早く働きたいんだろ?(意訳)」と何故か私が早期の就職を望んでいることに勝手にされて急かされ、この機会は長期休暇の予定ごと流れてしまった。
 余談だがこの転職エージェント氏、私の意向よりも己の都合を押し通す悪質な人物だった上(入社を急かしたのも、就職成約による報酬獲得を急いだためだろう)、それで得た仕事のせいでメンタルまで病んだのだから、思い出すだけで実に腹立たしい話である。

 かくして千載一遇のチャンスを奪われたのだが、死を考える程に気分が落ち込んでいても思い出した程である、その未練の強烈さたるや相当のものだったのだろう。


 その後は医師や職場の上長との相談の結果、休職をする運びとなった。幸いなことにしばらく仕事から離れて休息を取ったおかげで、気分の落ち込みも徐々に改善していった。
 やはり今こそ、この旅に挑戦してみるべきなのではないか……と改めて考えるようになったのはこの頃だった。2023年12月頃のことである。

 そうして私は、具体的なルートや必要期間など、この旅について改めて調査を行った。すると、あまり悠長に構えている暇はないことが判明した。

 まず当時、最長片道きっぷのルートに大きな変化が生じようとしていた。その原因となったのが、2024年4月1日の根室本線 富良野駅〜新得しんとく駅間の廃止である。
 ここは2016年の台風で被災し、一部でバス代行が続けられてきた区間だが、被災前から廃止が検討されるほど利用者が僅少な区間であり(※1)、復旧されることなく廃止が決定してしまった。

(※1:JR北海道の当社単独では維持することが困難な線区(PDF)の中でも、輸送密度が200人未満という特に利用者が少ない線区として挙げられていた。)

根室本線 東鹿越駅(2019年撮影)

 最長片道きっぷのルートは路線の改廃により変遷していると冒頭でも述べたが、ここ30年ほどのルートは長らく北海道の稚内わっかない駅を起点とし九州方面に向かう「南行き」であった。時代によっては北行きになる場合もある。
 何故南行きと北行きが変わるのかについて詳しい説明は省くが、同じ駅を通った時点で経路を打ち切る(終点駅以外で同じ駅を二度通れない)という片道乗車券のルールと、隣駅までの微妙な距離の差により決まるからである。
 九州側の終点駅についても、2022年の西九州新幹線開業によりそれまでの肥前山口(現・江北)駅から長崎県の新大村しんおおむら駅に移動したが、それ以上の大きな変化はなかった。

 しかし上述の根室本線の一部廃止により北海道内のルートが大幅に変化し、今度は長崎県の竹松たけまつ駅(新大村駅の隣駅)から北海道の長万部駅へと向かう「北行き」に変化するとのことだった(※2)。

(※2:これは距離を「営業キロ」で計算した場合であり、実際の運賃計算に用いられる「運賃計算キロ」で計算した場合では、一部ルートは変わりつつも従来通りの稚内→新大村の南行きとなる。)

 また、2022年から本きっぷの終点となった新大村駅の観光案内所では、最長片道きっぷの旅達成者への認定書の交付が行われていた。しかしこの根室本線の一部廃止によって(営業キロベースの最長ルートとしては)新大村駅が終点ではなくなってしまうため、この認定証交付が終了してしまうおそれもあった(※3)。

(※3:出発時点では不明であったが実際、3月末までの出発分を最後に終了してしまったようである。参考:長崎県大村市観光情報サイト 【最長片道切符の旅】達成者への認定書交付終了についてのお知らせ

 私としても、最長片道きっぷの旅といえば稚内を発って九州を目指していくもの……というイメージが強く、やはり実行するならばルートが変わる前に行ってみたい。無論、認定証も貰えればそれに越したことはない。

 これ以外にも当時の本邦の鉄道には、翌年3月のダイヤ改正と前後して様々なトピックが控えていた。例えば、北陸新幹線の金沢~敦賀つるが間の延伸開業とそれに伴う在来線の再編。岡山~出雲市間を走る特急やくも号の車両の世代交代。そして九州のSL観光列車・SL人吉ひとよし号の引退など、枚挙にいとまがない。

北陸本線(現・ハピラインふくい)南今庄駅を通過する特急サンダーバード(2023年10月撮影)
北陸新幹線の敦賀延伸により、ここを走る在来線特急列車の姿は見納めとなった

 このタイミングで最長片道きっぷのルートを辿れば、それらも拾えて一石二鳥ではないか。勿論こんなややこしい旅と組み合わせずとも個別に訪問すればいいのであるが、何かしらのきっかけがないと動けないたちの私にとってはこれ以上ない動機付けだ。

 そんな状況下で十分な休みも得られそうなのである。まさに、この旅に出るなら今しかないと思わせる状況だった。


 しかし、そんな単純に決められる話ではない。第一に、回復してきたとはいえ心身の調子が万全ではないのである。果たしてそのような中で1〜2ヶ月間もの長旅に堪えられるのだろうか。

 特に当時は過眠がひどく、特に乗り鉄旅に必須とも言える(?)早起きが全くできなくなっていた。元々早起きは得意ではないが、最も調子が悪いときには一日中目が覚めないという体たらくであった。こんな様子では朝5〜6時台の始発列車に乗るようなスケジュールは組めない。
 それに頭が正常に働かない状態で、いつもの旅行とは比較にならないほど多数の列車をミスなく乗り継ぐことができるか、あるいは発生しうるトラブルに適切に対処できるか、という心配もある。
 そもそも休職により収入が減っている上、最悪の場合無職になる未来だって考えられる。蓄えは十二分にあるとは言え、相応の費用もかかる旅行などしている場合だろうか。
 何より、心の病とはいえ病気療養のための休職中に長期旅行に出るなど体面が悪い。もしも職場にバレたらお咎めを食らうかもしれない(結論を述べれば、有り難いことに私の職場は休職中の旅行については寛容だったが、これを知ったのは後になってからである)。
 こんなときに限って、ある役所職員が休職中に海外旅行をして懲戒処分を受けただの、そんなネットニュースがやたらと目に付いて私の決心を鈍らせた。

 そもそも、ただでさえメンタル不調のせいで自身のネガティブ思考に拍車がかかっている状態なのだ。
 私がこんな挑戦をしたところで、果たして本当に成功できると思っているのか?こんな旅行をしたところで何になる?……そんな考えばかりが頭を過った。

 思えばこれまでの私の人生、自らの努力が相応に報われた経験も、自慢に値する成功体験というものも殆どない。学業も仕事も、上達することなく失敗続きだった。その結果、前の職場では干されたこともあり、終いには退職に追い込まれた。そして現在の仕事で遂に心が折れたのは冒頭に述べた通りである。

 それらが駄目ならばせめて趣味の分野で頑張ろうとしたが、こちらも大して何もできなかった。
 これまでもネット等を通じてかれこれ10年以上、大なり小なり趣味のことを発信してきたが、鳴かず飛ばず状態である。別にバズりたいだのインフルエンサーになりたいだの、そんな大仰な野心はないが、長く継続してきても殆ど見向きもされない……つまり「継続は何の力にもならない」と、よりによって得意分野で証明されてしまったのだ。こんな悲しいことはない。

 どうせ何をやっても駄目なのだ。こんな旅をするより、家で寝ている方が遥かに有意義だ。
 私はどうにかできない理由を並べて諦めようとしていた。


 そんな私にこの最長片道きっぷ旅の実行を決心させるいくつかの出来事が、年末年始に発生した。

 その一つが、昨年の大晦日に気分転換のつもりで訪れたコミックマーケット103(コミケ)の鉄道島での、鉄旅タレント・伊藤桃氏ご本人との出会いだった。伊藤氏は、2022年に最長片道きっぷ旅を行って新大村駅開業当日に到着し、同駅が終点となる新ルートの達成者第一号となった人物である。
 この日はまさに、その旅について綴った著書の販売(頒布)のために参加されていたようだった。殆ど下調べをせず参加した中、本当に思いがけない出会いであった。
 お話ししたのはほんの一瞬であったし、正直タレントに背中を押されてその気になるだなんて私も単純だな……と思ったが、これも何かの縁かもしれない。
 勿論、彼女の著書もその場で頂戴してきたが、これは旅行の計画を立てる上でも大いに参考になった。この場を借りて御礼を申し上げたい。

御本にサインまで頂戴した。ありがとうございました。


 そしてもう一つの出来事が、その翌日……今年の元日に発生した能登半島地震である。
 甚大な被害を受けた輪島や珠洲すずといった街にはまだ訪れたことはないが、以前から各種メディアを通じて見知ってはいた街の被災状況には、言うまでもなくショックを受けた。

 ここで私は改めて思った。災害が起こる度に考えることではあるが、このまま何処にも行かないうちに、また見られなくなる景色・乗れなくなる鉄道路線が出てくるよな……と。
 事実、現在でも災害で被災し復旧の目途が立っていなかったり、先述の根室本線の一部のように復旧されずに廃止されたりした路線も多数ある。不謹慎だと思われるだろうし、自身でもあまり考えたくはないことだが、大雨などによる災害も激甚化する昨今、勿体ぶっている暇はないだろう。

 天災が原因でなくとも、過去に仕事などの都合で乗りおさめに行けなかった路線や列車もある。十和田観光電鉄(2012年廃止)や三江線さんこうせん(2018年廃止)などがそうだ。
 昨年12月に引退した筆者の地元路線・小田急線の特急ロマンスカーVSEだって、メンタルを病んでいてラストランの乗車ツアーに申し込むことすらままならなかった。

小田急ロマンスカー50000形“VSE”
(小田急小田原線 新松田〜渋沢 2022年撮影)

 そもそも先述した通り、最初の最長片道きっぷ旅行の機会だって他人の勝手により奪われたのである。
 そうして己のやりたいことを我慢してまで頑張ってきて、結果的に何が得られただろうか。その我慢に見合った対価でも社会的な評価でも何でもない。心身の不健康だけだった。今後もそんなふうに、私の健康も時間も幸福も、他人や社会、そして“天”によって掠め取られてゆく。私の人生、果たしてこれでいいのか?

 他人の言いなりになってきた私でもこれだけははっきり言える。「いいわけがない」と。そもそも、他人の言いなりになっても好結果が得られた試しなんてないではないか。

 失われた景色や、廃止された鉄道はもう戻ってこない。だが、また後悔する羽目になるのは御免である。
 心身の健康と引き換えに得られた長い休み、もっと自分勝手に使ってもいいのではないか。それくらいしたって文句を言われたり、罰を受けたりする筋合いはないだろう。
 ある意味でこの旅は、私を搾取し続けてきた社会に対する、私なりの復讐にもなり得るのだ。……なんて、我ながら性格が悪いと思ったが、そう考えると俄然やる気が出てきた。


 また「どうせ何をやっても駄目」と思っていたが、一旦冷静に考えてみよう。

 確かにこの最長片道きっぷの旅、難易度もそれなりに高く、万人が挑戦できるものではない。
 だが今の私には挑戦できる環境もあるし、鉄道にある程度詳しい私ならば達成できる公算もある。平たく言えば「頑張ればできそう」だと思ったのだ。そしてもし達成できれば、私も少しは自信というものが得られるかもしれない。

 旅の様子をSNSに投稿しても、レポートにまとめても、今までどおり誰も見向きもしないかもしれない。
 だが、達成したその事実は揺るがないし、認定証だって誰かに奪われるわけではない。自分で自分を褒めてあげられればそれでいいじゃないか。そういう体験こそが私には必要だったのだと思う。

 何よりこのメンタルが落ち込んだ状況で、何かしらやってみたい事柄や気持ちが生まれたのならば、それを気が済むまでやってみるのが心の健康上も一番だろう。1〜2ヶ月もの間ひたすら列車に揺られて旅すれば、否が応でも憂さなど忘れられるに違いない。

 職場にバレてどうこう言われる心配も当初はあったが、この際どうでもいい。元はと言えば死ぬことさえ考えていたのだ。まさに「死ぬまでにやりたいことリスト」の一つを消化する旅である。

……というわけで2024年1月某日、私は最長片道きっぷの旅への挑戦を決心したのであった。

次回、準備編につづく。
(この後、暫く準備編が続く予定なので少々退屈な内容になるかもしれないが、お読みいただければ幸いである。あまりにも評判が悪ければ打ち切るかも……?)


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