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【#虎吉の交流部屋プチ企画】私って誰だろう

 大切にしている言葉ってなんだろうか。
 言葉とは空気のようなもので、一度離れたらフワリフワリと飛んでいって、酸素とかと混ざって消えていく。
 じゃあ、どうすれば残しておけるのか。
 言葉を文字にして記す。
 そうすれば、留める事ができる。
 確かその言葉は記したはず。
 でも、燃やされたかのように忘れてしまった。
 いや、燃やさなかったのだろうか。
 分かんないや。
 そもそも私は一体誰だろう。
 何をもって、大切にしていたのだろう。
 微かに覚えている事があるとするなら、せいぜい自分は博学という事だ。
 博学――私は何でこんな言葉を知っているのだろうか。
 もしかして、これが私が大切にしている言葉?
 そうなのだろうか。
 でも、なぜ他の言葉は忘れて、あの言葉だけ……
 何か重要な意味があるはずなんだ。
 意味?
 意味という言葉も知っているのか。
 他にもいっぱい知っているのだろうか。
 でも、意味という言葉は何だか懐かしく感じた。
 遠い遠い遥か彼方の幼少期の思い出がぼんやりと映し出されているような気がした。
 実際は映ってないけど。
 でも、どうして『意味』と『博学』にこんなにも心にグッとくるのだろうか。
 アレコレ考えていると、フワリとした感覚に襲われた。
 その感覚に任せるがまま考えていると、風が弱まって、急降下した。
 その際、通り過ぎる人達が真剣な眼差しで何かを持ってジッと見ているのを見かけた時、私の頭の中がパァと明るくなった。
 あらゆる記憶がドバドバ流れてきて、空っぽだった脳が満たされていった。
 そうか。
 そうだったんだ。
 私は元々色んな言葉を知っていた。
 この世のあらゆる言葉を知っていたんだ。
 言葉の知識だけは誰にも負けなかったんだ。
 だけど、アイツが出てきてから私の役割がなくなってきた。
 特定の集団に短い期間でしか使われなくなってしまったのだ。
 だから、私は焼却炉に突っ込んだ。
 そして、燃えカスの中で残った言葉は『博学』と『意味』。
 私が誇りに思っていた言葉だ。
 思い出した。
 思い出したぞ。
 アイツはスマートフォン。
 私は紙の辞書。
 何千ページもあった図体は、今にも消し飛びそうな一ページにも満たない貧弱となって、道端の電信柱に貼り付いているのだ。
 これから私はどうなるのだろうか。
 まぁ、目に見えている。
 このまま風に飛ばされ続けるか、犬におしっこをかけられて終わるのだろう。
 半世紀前の大多忙時代は懐かしい夢に落ちぶれてしまった。
 私は時代遅れのゴミだ。
 ゴミはゴミらしく、運命に身を委ねてみよう。
 その間、博学だった思い出に浸っていよう。


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