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そろそろ香ってくるのは金木犀のはずだけど、今日は林檎の香りを胸いっぱいに吸い込んだ

「ルーティーン」って言葉はこの数年で一気に広まったけど、私にも日々の生活の中で細かいルーティーンがある。

たとえば仕事を終えるとき。PCで仕事をしてるので立ち上げてるアプリを全部消したり要らない書類やファイルを整理してから電源を落とす。デスクの上を軽く片付けて、仕事中は外してるシャネルのピアスと同じくシャネルのJ12をつける。デスクの端っこにはサンローランのミラーが置いてある。メイク直し用のパウダーをぱふぱふっとはたいて、リップを塗り直す。最近のお気に入りはテラコッタ色のルージュ。これをさっと引くだけで一気に秋っぽい顔になる。私は秋生まれだから、こういういちいち心がときめく秋っぽいものが大好き。最後にこれもデスクに置きっぱなしにしてあるミス・ディオールのロールオンを手首と耳の後ろにまとわせて、ピンクのミンティアを口に放り込んで「お先で〜す」と席を後にする。

こうして書いてみるとすごく面倒臭そうだけど、実際はほんの1分で終わる一連の流れ。自分ではこれをルーティーンだなんて意識していなかったけど、やるとやらないとじゃ全然違う。私なりのオンオフの切り替えなんだと思う。

彼と連絡を取らなくなってしばらく経った。寂しかったりもやもやしたり無駄にメッセージが来ないか期待したり、心がざわざわする一定期間はもう終えたようだ。彼と出会う以前の私に戻ったように思う。ふとした瞬間に彼のことを思い出すこともあるけど、それで心臓が跳ねることもなくなった。先に書いたような細かいルーティーンを他にもたくさん重ねていくことで私は日常を取り戻したし、彼との出来事をだんだん綺麗に思い出のようにしまっていける。

なのに今日仕事を終えていつものルーティーンを無意識のうちにこなしていたとき、ふとデスクに置いてあるもう一つの香水に目がいった。ノーブランドの林檎の香りがする安い香水。彼と出会ったばかりの頃、急に仕事のあとに会えることになって、そのときまだ今のミス・ディオールを手に入れてなかった私が慌ててバラエティショップで買った間に合わせの香水だった。何もつけないよりはマシとわりと無作為に選んだものだったけど、その香りをつけていくと彼は開口一番「甘くていい香り」と言ったっけ。私は「甘すぎる」と思ったけど彼が気に入ってくれたので、その日の帰り道こっそりもう一度シュッとつけて、改札で彼が抱きしめてくれたときふわっと香った。ふんわり舞う甘い林檎の香りの中でちゅっと恋人みたいにキスして別れた。

いつものミス・ディオールの代わりになんとなく吹きかけた香りから一瞬でそんな思い出がリアルに甦った。なんだかそれで私のオンオフのスイッチは壊れたようで仕事終わった気分にもなれず、かといって仕事モードが残るでもなく家路につくことになった。ここ最近は何も感じなくなった些細なものに彼との思い出や気配を感じる。ぼんやりしたまま地下鉄を降りて地上に出ると外はもう暗かった。日が短くなったなぁ、風がひんやりするなぁ、と思いながら、ああ彼とはもう終わったんだなぁ、と実感した。手首に残ってる林檎の香りをもう一度吸い込んで思いっきり吐き出した。

もういい加減、終わったんだ。

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