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言語のチョイスに配慮できる人になる

このまえ、ベトナム人の友だち二人とごはんを食べる機会があったんです。知り合ってから二年くらい経つ友人ということもあって、話が盛り上がって楽しい会になりました。

そこで帰宅してからふと気づいたのが、二人とも終始日本語で話していて、ベトナム語で会話する場面がまったくなかったこと。

二人は日本の大学に四年間通い、現在は日本で働いているので日本語は流暢に話せますが、本当だったらベトナム語で話したほうが簡単なはずです。
でもベトナム語が話せないわたしがいることを配慮して、ずっと日本語で話してくれるわけです。べつに「今日は日本語で話そうね!」とか二人で示し合わせたわけでもないのに。

これ、たいしたことじゃないように感じるかもしれませんが、その場にいるメンバー全員に共通していて、かつ一番使いやすい言語を一瞬で選んで配慮できるってなかなかむずかしいんです。

だって母国語で話したほうが楽だし、なんか優越感を感じるから。

これはわたしが実際にやってしまったんですが、日本語がわからない人の前で日本語を話すと、なんか自分がすごい人になったような気分になるんです。ほんとはなにもすごくないし、国がちがえば言語がちがうのは当然のことなのに。

でもこれやられた側からすると、かなり感じ悪く思うし、嫌な気持ちになります。目の前で楽しそうに話されても、こっちはまったく理解できてないのに!!って。やられたこともあるのでわかるのですが、ほんとに腹が立つし、悔しいし、理解できない自分自身が悔しくも感じます。


だからこそ友人二人のように、どの言語を使うのか配慮できる人って好感が持てるし、わたしもそうなりたいです。


友人二人は、特別なことをした意識すらないんだろうなというのもまた良いなと思います。


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