自分の認知の歪みを分析してみる

認知の歪みという言葉を知ったのは、一年前。それまでそんな言葉は聞いたことなかったし"性格悪い"の一言で済ませていた。

認知(にんち)とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。
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ざっくり言うと受け取り方のこと。
人から「大丈夫」と言われた時に、
「心配してくれてるんだ」と思う人もいれば「私何かできないのかな」と思う人もいる。
こんな風に人は受け取り方が違う。
それはごくたり前のことで自然なこと。この受け取り方が今までの経験や家庭環境によってことなってくる。
認知が極端になり過ぎてしまうとき人は心を壊したり、他人に対して攻撃的になりすぎることがある。

私の心が弱った認知の歪みについて、あくまで素人の主観で考えてみる。

私は結果に左右されやすい。自分が行動したことでうまくいかなかったり、目に見えて成果が出ないときにそれを失敗と捉えやすいところがある。これは勝ち負け思考の強さからだ。自分より高い役職や評価を受けている人を勝ち、自分は負けといったように極端に捉えるところがある。
他にも拡大解釈をしやすい。上に書いた例のように「大丈夫?」と聞かれたら「え、私できてない?間違ってる??私がやってないから??」と自分を必要以上に責めてしまうところがある。

これらはあくまで自分で気づける範囲の話。おそらく心理士さんとかに見てもらったらもっと強く歪んでる部分があるのかもしれない。

それでも人は生きていて、生きていける。
認知に多少の偏りがあるのは誰でも一緒。
この偏りとどう付き合いながらまだまだ長い人生歩んでいくか、常にトライアンドエラーの毎日だ。

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