命の時間は魂が知っている
寿命についてのふしぎな話をします。
自らの寿命は魂が知っている、と思った出来事のお話です。
数年前に働いていた会社に、とてもアクティブな同僚がいました。
どれぐらいアクティブかというと、仕事おわりに都内で開催されているイベントをいくつもいくつもハシゴするような行動量の方でした。
野球、映画、アニメ(声優)、落語、歌舞伎、etc、etc。
その日開催されるイベントの割安チケットがあれば、ジャンルを問わずに買い漁り、深夜になるまでいろいろなイベントを渡り歩く。
次の日また仕事に行く。
とても50を過ぎた人の行動力、体力ではなかったです。
多趣味なんだな、とずっと思っていました。
が、その同僚、実はどのジャンルにもさほど興味関心はなく。
とにかく一度は見ておきたい、体験してみたいという理由だけであちこち行っているのだと、のちに知りました。
わたしはオタク気質で興味関心のあることについてはとことん掘り下げたいタイプ。
好きでもないのに、ただ割安だというだけでさまざまなイベントをハシゴする同僚とは気が合わないなと思っていたのです。
(正直に言えば少しの軽薄さすら感じていた)
その印象が変わったのはしばらくしてから。
少し縁遠くなっていた同僚が、自宅で孤独死していたことを知ってからでした。
持病による突然死だったそうです。
本当におどろきました。
恐らく本人が一番おどろいたのではないかとも感じました。
と同時に、なぜあんなに毎日毎日仕事おわりにイベントをハシゴしていたのか、腑に落ちました。
好奇心旺盛な同僚にとって、生きるということは、楽しい遊園地で遊ぶようなものだったのではないかと思うのです。
楽しい楽しい遊園地。
とにかくいろんな乗り物に乗りたいし、パレードは見たいし、アトラクションを楽しみたい。
出来うる限り遊び尽くしたい。
でも帰る時間が迫ってきて、最後まで精一杯、地球遊園地を味わい尽くしたかったのではないかと。
あんなに一生懸命、意味不明なほど一日に遊ぶ予定を詰め込んでいた理由が、ようやく理解できました。
もちろん本人には自覚なんてなかったと思います。
ただ魂は知っていたのでしょう。
生まれる前に決めてきた命の時間、遊園地からの帰宅時間を。
同僚を軽薄な人だと思い込んでいた自分を恥じました。
同僚は精一杯生きた、楽しんだ。
素晴らしい人生を送った人でした。
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