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他責思考と自責思考について考える

このテーマについて、ずっと考えていました。

もしあなたが自分の現状を他人や環境のせいにして、それでも周囲の人が離れていかないのなら。
周囲の人が労ってくれたり、温かい励ましの言葉を贈ってくれるなら。

あなたはもっと他人や環境を責めても良い、本当に優しくて本当に強い人です。

また、他責にしていいか、自責とするべきか?
この見極めは、同じ経験をし、乗り越えたことのある人や、乗り越えようともがいている最中の人にしか、出来ないのではないかとも思うのです。

周囲が安易に自責を勧めたせいで、壊れる人をたくさん見てきました。
わたしは占い師ですので、ホロスコープを見ていてもわかります。
6ハウスに月があったり、6ハウスステリウムだったりすると、ただでさえ自責の感情が強い。

そんな人に自責思考を安易に勧めてしまうのは、その人の喉元にナイフを突きつける行為なのではないかと、思うことがあるのです。

今は本当に酷い時代だと思います。 みんながみんな、知らないうちに思考を縛られ、自由に生きられずにいます。
そんな地獄で、他者を指差し、 「お前(だけ)が悪い!努力が足りない!」 とはわたしにはどうしても言えません。

また、国がいつの間にか流行らせていた【自己責任】という言葉は、本来、政治家が自国の政治に対して用いる言葉だと思っています。

政治屋(あえて政治家とは言いません)が政治を投げ出し、庶民に責任を丸投げしたいがために作られた、この【自己責任】という言葉が、 20年以上経過して、いまや庶民同士を自己責任の名のもとに対立させる言葉と化しています。

そのことに強い憤りを覚えます。

【自己責任】という言葉の旗の下、弱い立場の人々を責める、そうやって日々の鬱憤をガス抜きするような、地獄のような世界になってしまいました。

わたしは、この言葉を作り、流行させ、何十年もさまざまな立場の人たち同士を対立させている、巧妙な【ナニカ】に対し、ジッと目を開いて見つめ続けていきたいと思っています。

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