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優しさとセンス

私は全てにおいて、あまりセンスがない。
親にお土産を買っても「何でこれにした!笑」と言われることが多いので、自信がない。
いつもお土産めっちゃ考えてるのだが…

見た目についても同じだ。
周りの子が可愛い、おしゃれだとは感じる。
服も化粧も、実際にやってみれば、可愛い可愛くないは分かる。
でも、じゃあどうしたら良くなるのかは、分からない。
何で可愛いのか、可愛くないのかが分からないからだ。

センスある人いいなーって思っていた。
私の周りにも、何かとセンスいいなと思う人がいるが、まあ才能の一種かなと思っていた。

でも、もしかしたら才能だけじゃないかも、と思ったことがあった。

昨日、まさしく、何かとめっちゃセンスいい友達の結婚式に参列した。
この子不思議で、めっちゃ垢抜けてて都会の女!っていうことはないのだが、事あるごとに選ぶもの、やることのセンスがとってもいい。
しかも自分らしさも上手く反映しているのだ。本当にセンスいい!って感じなのである。(語彙力

そんな友達の結婚式。
式も、披露宴も、引き出物まで、やっぱりとってもセンスが良かった。さすがである。

でも、もう一つ驚いたことがあった。
友達もだが、友達のご家族も、とにかくめっちゃ参列者を気にかけ、何かと挨拶しにきてくれるのだ!
しかも、挨拶する参列者の情報を、ある程度把握して話しかけてきている。
お母様なんて、事前に参列者の情報を友達(新婦)に再確認したと仰っていた…!

はっきり言おう。うちの親は絶対そんなことしない!笑
挨拶は形式的にしてくれると思うが、それは礼儀として、大人としてである。
実際にはコロナ禍で控えてくださいと言われたのでしていないが、絶対ラッキーって思ってる。笑

結婚式は、主役の特色がすごく出るイベント。
センスのいい友達は、確かにとても優しくみんなに愛されている子である。そんな友達のバックグラウンドが今回の式でご家族から感じられた。

そして、「さすが、センスいい!」と思う瞬間は、痒いところに手が届いている瞬間、とも言えた。

それらは、才能だけではなく、「相手への思いやり」からなっているのではないか。
「相手への関心」があり「相手からの見え方、考え方が分かる」からこそ、痒いところに手が届くのではないか、と思ったのだ。

他の「センスのいい人」を考えても、「気の利く人」ばかりだった。
普段から人のことをちゃんと興味を持って観察しているからこそ、その人が欲しい物、言葉がちゃんと分かる、センスってそういう面もあるのかも!と思った。

そうすると、私にセンスがないのも頷ける。
昔から母に「もっと気を利かせなさい!」と怒られるわ、一人っ子で自由奔放に育ったので頑固だわ、他人への興味が薄いわ…

センスが良くなる要素が自分にないのだ。
お土産買う時だけ、急に人のことを考えようとしたって、結局自分の想像に頼るしかない。
しかもその想像は主観100%である。
一方、センスのいい人は、前情報がすでにちゃんとあるのだ。
勝てるわけがない!

ここまで読んだ方は、センスが才能だけじゃないなら、今から頑張ったらちょっとは良くなるんじゃない?と思ったかもしれない。

でも、私は逆に絶望した。
元々100%自分軸で生きており、頑固なので客観視が苦手なのだ。
他人からの見え方を理解することが難しく、そもそも他人に興味を持つ、日常的にアンテナを張る、ということ自体が私には上手くできない上にめっちゃストレスになる。
元がネガティブ人間なので、答えのないことを考えるとマイナス思考に偏りがちなのだ。
多分、考えすぎると何もできなくなると思う。

因みに、昔はこれが出来ないからか、よくいじめられたり、変な子と言われたりした。
ただ、こういった経験をしながら、30年近く人間社会で生きていれば、最低限言わなくていい、しないほうがいい事は処世術として理解出来るようになる。

また、成長すると、所属する社会は選べるようになるし、周りも大人になる。
なので、成長するに従って私は格段に生きやすくなった。
逆に、いじめられていた人に完全に適応し切る前に環境が変わったので、よくいじめられたタイプと似た感じの方とのお付き合いは克服し切れていない…

そんな感じで、私が今社会で一応馴染めているのは、最低限の知識と環境のおかげ。気が利く人達のように、普段から環境にアンテナを張って、情報を更新し続けているからではない。

正直、私にはこれ以上は無理だと思った。
うーむ、センスは諦めて、お土産も見た目も自分が好きなものを選ぶようにしようかな!泣

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