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虐待を振り返る

俺が父親にされてきた虐待を綴ろうと思う。
フラバするかもしれないが、どうも自分自身と向き合うことが出来てない。
自分の鬱に向き合うために綴る。


暴力的虐待

•赤ちゃんの頃に思い切りビンタ

•幼少期の頃に生卵を何個も投げつけられ、そのままの格好で外に追い出される

•ゴミの日だったのに捨て忘れてしまって地面に足が付かない高さまで首を締め上げられる

•ハンマーで指を叩かれる

•登山棒で振り被りケツバット

•父を怒らせたので反省とし、夜から朝まで正座

•夜から朝まで父の前に立つ

•登山棒の先を持ち、腕を上げ、夜から朝までキープ。腕を下ろしたら蹴り上げられる

•拳で思いっきり殴られ、思いっきり蹴られるのは毎日で当たり前だった

•一カ月食事抜き(小学校の夏休み期間中)

•家を追い出される

•服を全て取り去り、すっぽんぽんで家を追い出される

覚えている暴力的虐待はこんな感じだと思う。
もっと色々やられているはずだが、自分には記憶がない。
もしかしたら解離を起こしていたかもしれないし、別人格が居たのかもしれない。
別人格に関しては診断がおりてないので、きっと居ないとは思われる。

性的虐待

•小学5年生頃から一緒の布団に入るよう強要される

•布団の中で下着の上から股や胸を触られる

•弟も同じ部屋にいる中、布団の中で下着を取られ直接股や胸を触られる

•小学6年生か中学1年生の頃に処女喪失

•毎日のようにゴムなしセックスを強要

•フェラチオの強要

•高校2年生10月に妊娠発覚、中絶手術を受ける

•中絶後はゴム有り素股になった

思い出せる限り。
小学5年生〜家出する26歳まで、性的虐待を受けていた。
されている最中はただ天井を眺めていた。

ヘリコプターペアレント

•いつ、どこで、誰と会うのかを報告しなければならない

•1日に10回は電話で何をしているか確認される

•友人との遊びに混ざってくる

•異性交際、同性交際禁止

•20歳を過ぎても門限は18時

•地元駅から離れてはならない

•GPS確認

思い出せるのはこのぐらい。
箱入り息子って感じだった。

自傷行為

•壁に頭をぶつけ続ける

•首吊り

•リストカット

•根性焼き

•OD

そんなもんかな。
思ったより自傷行為は軽いものだった。

振り返って思うこと

父は俺のことを大事に愛情たっぷり注いできたつもりだろう。
でもその愛情は曲がりくねったものだった。
清く正しい人間に育て上げたかっただろうが、しかし、14歳の頃から飲酒と喫煙をし、暴力で友人を傷付けるようになり、不純異性、同性交際をし(しかし肩書きだけである)、約半年間中学不登校、肩がぶつかっただけの知らない人に対しても暴力を振るい、良い子ではなく不良が出来上がった。
子育ては失敗したと言っても良いだろう。

嫁と交際し、結婚してからは不良部分は薄れ、自傷行為も薄れてきた。

こうして書き出して見るとそう辛くもない人生に思えてしまうが、うつ病と診断されたのだからきっとそうだ。
今は父から逃げ出し、嫁や弟、友人たちに傷を癒してもらっている。
今だにiPhone独特の着信音や車の音や男の足音などに怯えてしまうところはあるが、今は幸せなんだろう。
いつかこれらの出来事を忘れることは出来るのか。
それはきっと自分次第なのかもしれない。

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