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空っぽだと思っていた頃のむかし話

なにもなかったあの頃

はじめての記事は、ぼくがぼくのことが嫌いで認められなくて、自分を空っぽだと思っていたころのむかし話を書こうと思います。当時のぼくは、物質で満たされる生活のなかで生きていました。

「流行にのりたい、いい部屋に住みたい、人からすごいと思われる生活がしたい」....、そんな自分の欲望に何の疑問も持たず、フレッシュな時期をただただ消費していました。

休みの日に向かう先はショッピング。SNSで話題になっているものや、新作の商品を購入すること。そしてタグがついたまま箱に収まったモノが、WCの隅に積まれ続けていきました。このときのぼくは、悲しいくらいに「手に入れること」が目的になっていたんですね。

そうして、買ったものをすぐにSNSに投稿。フォロワーの方から見れば、たくさんの物に囲まれたぼくは、恵まれているように見えたかもしれません。そんなぼくの心が満たされたことは、一度もありませんでした。

「何かが、どこかが、欠けている。」眠るころ、毛布にくるまると不安感が猛烈に纏わりつき、襲い、生きているのが怖くて堪らない夜を、何度繰り返したかわかりません。どこか自分の一部が足りなくて、無性に寂しい。何が足りないのかはわからないけれど、足りていない感覚だけが確かにある。

得体の知れないそれを埋めようと、どうしようもなく向かうのは、やっぱり週末のショッピング。その日、その一瞬だけの、安心感満足感を求めていました。

自分が好きじゃなかった

当時のぼくは、日に日に自分の感性と心が死んでいくのを感じていました。本当に苦しいとき人は、何がわからないのかがわからない。抱える課題を言語化できる前の段階は一番苦しいと思える時期でした。

感情に言葉を当てはめられて自問自答できたなら、それはもう大いなる第一歩で、この時のぼくは、なにが不満なのかわからないし、もっというと何がわからないのかわからないという、どうしようもなさを抱え「何か」を手に入れたかった時間を消費していました。

「何を手に入れたら満足してぼくは何のために生まれてきたのだろうか」、と頭のどこからか小さな声は聞こえていました。ただ、今まで向き合わなかった時間のぶんだけ、そこを見つめるには時間がかかっていました。

横目では、何かに一生懸命になっている人たちが羨ましかった。そんなふうに自分も生きたいとどこかでは願っていました。それができない自分が嫌で苦しくて、認めたくなくて、好きじゃなかった。もしかしたら、自分には、なんにもないという答えが出るかも、と想像したら怖かったのかもしれません。

だから、一生懸命になるのはダサいとか、時間がないだとか、育ってきた環境が悪いだとか、お金がないから無理だとか、言い訳だけはどんどん得意になっていって、表面だけ満たされたふりをしていたのだと、いまなら思います。


創作をはじめたきっかけ

そうした心境の中、「子どもの似顔絵」を描く機会が訪れました。SNSに載せたら反響があるかもしれない、という下心もありつつ筆をとったのが今のぼくに繋がる創作活動の記念すべき第一歩でした。

始めてすぐは、走らせた筆が楽しくて、思いつくままに落書きのような絵をいくつも描いていました。ちょっとしたイラストのような絵でも、SNSにあげたら「かわいいですね」なんてコメントしてくれる人がいて嬉しかった記憶があります。そして、今でも忘れられないあるコメントをもらいました。

内容は「僕は創作を諦めました。悔しいです。まよなかさんは創作活動をやめないでくださいね。応援しています。」といったような内容でした。彼は本当は創作を続けたかったのだけれど、経済的理由や環境が原因で諦めざるを得なかった方でした。

何度かやりとりするうちに、彼の創作することへの想いが痛いほど伝わってきました。それまで何も考えずに好き勝手に創作していたぼくが、このやりとりをきっかけに「彼はなんのために創作表現をしていたのだろう」という疑問を持つようになります。

それはいつしか自分自身への問いに変わり、「ぼくにとっての創作はなんだろう」「伝えたいことはなんだろう」「ぼくにとって、本当に大切なものはなんだろう」と、日に日に自分への問いかけも深く降りていきました。コメントでのやりとりをきっかけに、自分自身と朝から晩まで飽きもせず、対話する日々の始まりです。


創作をきっかけに自分と対話する日々

このとき、ようやく自分の中にすっかり忘れていた、小さな子どものような存在を思い出したんですね。好きなことや心が動いた瞬間、本当に美しいと思ったものをたくさん見てきた幼かったあの頃のぼくの心の眼。時に人生に投げやりになったどうしようもないぼくなのに、それでもどこにも行かずに心の奥底で静かに待っていてくれた小さな小さなぼくの分身。

自分が好きなこと、幼い頃に夢みたこと、大人になったら欲しかったもの、人生で感情が動いたあの日のこと、世界を美しいと思ったときのこと、そして、何より大切にしたいもの。生きる意味は子どもの頃の心のなかにたくさん詰まっていました。アンサーは自分の中にずっとあったんです。

それから何年もかけて「表現/創作すること」と向き合い、自問自答する時間だけが過ぎていきました。(これは今でも進行形です。)足りない自分の姿を嫌になるほど見つめ、生きることに絶望した日も何度もありました。やっぱりやめたい、創作することは苦しいと思い、もう越えられないかも、と思うような夜もありました。でも、それでも、創造する世界が、創作を通してみるこの世界が美しいと思えるときもあって、心が震える度、迷っていた気持ちが薄れていきました。



あれから月日は経ち

こうして、葛藤や苦しみ、自分と世界へ問いかけ続け生まれたぼくなりの哲学が、自分の為の目印になっています。すごく遠かった道のりですが、最近はこの世界に対するひとつのアンサーをようやく出せそうだなと思っています。「なぜ生まれてきたのか、世界は救いなんかない。生きていたくない。」いつもそう思っていたあの頃、本当に欲しかったものは生きる強さだったんだと思います。こんな世界でも全てを受け止めて前に進む強さが欲しかった。「それでもぼくは、」って言える強さが欲しかった。ぼくが発信している言葉の種は、こんな暗くて、寂しくて、孤独で、迷ってばかりの場所から生まれました。

そうした時間から、創作と表現することから、多くの救いをぼくは受け取ってきました。ここから先の人生は、お返ししていく番だと思っています。
いつも見てくださる方、どうもありがとう。

拙い文章でしたが、ご静聴、どうもありがとうございました。


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