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【ゲシュタルト療法体験記】私はもっと泣いていいし、怒っていいし、悲しんでいい。そして最高に喜んでいい。

ゲシュタルト療法を体験しました。

3ヶ月以上経った今でもその日のインパクトは忘れられなくて、わたしの痛みのど真ん中を突かれた感覚がする。

あの日は運良く、クライアント役に選ばれて(じゃんけんに導かれて)、聞いていたみんなが泣いてくれて、嬉しかった。たくさんハグをした。あの日の「繋がれた」感覚は絶対に忘れたくない。

場の力と、人とのつながりと、自分の感情や直感を信じたい。

私はもっと泣いていいし、怒っていいし、悲しんでいい。
そして最高に喜んでいい!

出てくる感情にプラスもマイナスもなくて
ましてや蓋をするものでもない。

子どもみたいに全部の感情に全力でいられたらいいのにね。

自分の感情に蓋をしたら「いい人」でいられて「無理なく」できるのかもしれないけれど、これこそがわたしが進んでいくのを阻むものだ、と気づくことができた。

「いい人でいたい」はずっと無意識的にやってしまう行動で、無意識にたくさんの反論の言葉を飲み込み、いい人であろうとしてきた。楽じゃなくて、苦しくても不安でもむかつくことがあっても、私は私を解放していく。

その覚悟を決めないといけないのだな、と今も思い出すと震える。

【セッション備忘録】
わたしが出したテーマ
「進むのか、立ち止まるのか」
仕事の話。個人事業主になりたいのに、育休中頑張りたいのに、私は前に進めないし疲れてしまった。

どうしたい?と聞かれて「何もしたくない」そういって、涙が出てきた。
仕事のコンプレックスは、「仕事が好き」って言っている人が羨ましかった。私もバリキャリになりたかった。仕事に打ち込んでいたかった。

でも、頑張れば自分が削れてしまう。感情を出すと、自分がダメージを受ける。だから感情を無にして働くことで自分を守ってきた。だから「頑張らないこと」を選択してきた。

ー「その原理は変だね。いつ作り上げたの?」
そうか、私は変だとすら思っていなかった。きっとそれはずっと前から。
母は感情を撒き散らすタイプの人で、両親の仲は悪くて、私は母の機嫌が損なわないようにしていた。言い争ったことなんてほぼないし、「ごめん」でやり過ごす。じぶんを守る。「無」にする。

てっきり、社会人になってからだと思っていたのに、ずっと昔からの癖に気づく。いい子ちゃんでいる。自分の意見や感情をぐっと我慢して「やりすごす」癖。

感情に蓋をするエネルギーが強いと疲れてしまう。

ー「怒ってみて」
と言われてクッションを出されてパンチするけど、全然何も浮かばない。出来ない、怖い。
ー「おかあさんみたいに、なりたくないんだよね?」
涙が止まらなかった。負の感情や怒りを出すのは、悪だと思っていた。

ー「」内はファシリテーターのももちゃんに言われたこと。

感覚としては、「……あ」と思い当たるような感じで、普段は見ようとしていなくてでもそこにある、とちらっと思っているところを的確に刺された気持ちだった。

泣きながら何度も何度もクッションを殴って、ムカつく、ムカつく!と少しずつ声に出していく。

「感情を出すのは訓練が必要なんですかね?」って泣きながら聞いたら、「必要なのは意志だけだよ」と言われた。

どれだけの言葉や思いを飲み込んでなかったことにしてきたのか、わたしは怒ってクッションにパンチすることも出来なかった。でもその後の周りのひとからのフィードバックで教えてもらったことなんだけども、だんだんとパンチが強くはなっていっていたらしい。

「頑張りました」

そう言ってもらって終わったセッションだった。

「ゲシュタルトでは壊れることを推奨している」と言っていた通り、帰ってからのわたしは1ヶ月くらい感情の波にぐわんぐわんにされていた。イライラすることも増えた。笑

7月もまた別のセッションで同じテーマを扱って、イライラしたことはメモするようにしている。

ありのままの自分で、わたしがわたしでいられれば
それだけで前に進んでいく。自ずと、自動的にレベルアップしていく。

私らしさ(すなわち「感情」)を押さえ込んでいるのが問題なのだ。

そのゲシュタルトの考え方がとても好きだなあと思っている。

気持ちが嬉しいです!ゆるゆるスローライフを楽しんでいきましょう♡