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混沌 雑踏

自分だけの世界に浸っていると、外の世界と自分の世界が一つに溶けたような錯覚に陥る。noteは感情の本棚だと昔書いたけれど、今私の感情は、綺麗でアンティークな、下北沢で売っていそうな一点もののおしゃれアイテムではなくて、大量生産された、個性を失ったアイテムたちのようだ。後ろではきっと低賃金の児童労働が行われている。そんなよくあるディストピアリアリティーショーみたいなプラスチックな感情が蠢いている。

私が15歳のとき、おじいちゃんが亡くなった。母が私の部屋に駆け込んで「おじいちゃんが死んだ」と口にする直前、2年間使っていた私のパソコンもクラッシュして寿命を迎えた。こういうことはよくあるもので、何かが終わる時や何かが始まるとき、偶発的に大切なものが壊れたり無くなったりする。もしくは、私たちはこういう偶発的な奇跡を見つけて、受け入れ難い出来事を受容しようとしているだけかもしれない。

私の中でなにかがプチンと切れた翌朝、サンフランシスコの古着屋でみつけたネックレスのチェーンが切れていた。ぶらぶら揺れるチェーンをみつめながら、そのチェーンが自分が大好きなネックレスであったことも、私はすぐには気づけなかった。銀の長いネックレス。丸いチャームがついていて、鳥だか波だか島だかわからないような模様が刻まれていた。結局あれはなんのネックレスだったのだろう。わからないまま壊れてしまった。結局自分のなかで何かが切れたことさえも、私はしばらく気づかなかった。

思い浮かんだ情景がある。お気に入りの、特別な香水があるとする。その香水の瓶を、理科の実験でボールを重力に任せて落とすように、落としてみる。カシャーンと大きな後悔の音がして、香水のボトルが割れる。床に広がるピンク透明の液、ムワっと広がる匂い。きつい、きつい匂い。鼻が曲がりそうになる。どこかにいってくれ、、。あんなに大好きだった香水にも、一瞬で嫌悪感しか感じなくなる。

感情もそうなのかもしれない。悲しみとか愛とか温もりとか寂しさとか、スパイスみたいに一振り二振りかける分には美味しいけれど、容器を壊して溢れ出した感情はとても手に負えない。箒で掃いて、雑巾で吸い取られて、ササッと外にすてられてしまう。野ざらしにされて、風に吹かれて、やがてどこかに分散する。時が経てばなくなる。

いや、なくなるわけではない。きっとなにもなくならない。感情の原子たちが分散するだけで、濃度が低くなるだけで、何も消えてなくなりはしない。こんな大量生産された、ドロドロした感情たちも、保湿クリームみたいに少しずつ毎日使いしていけば人にありがたがられるのかもしれない。大量生産されているから、どこでも買えるのが少し問題だけれど。大量生産されたグロテスクな感情たちは、分散されてもされてもあとからあとから生産されて、肌の上で伸ばしても伸ばしてもゆっくりと雪みたいに積もっていく。そのうち私たちをオゾン層みたいに覆ってしまうんじゃないかしら。

そんなことを混沌とした頭で考える私はきっと何かを求めている。強い強い、凝縮された私の香水液は、なにかを惹きつけようと必死だ。その香水さえも、濃度が濃すぎてもう誰にも欲しがってもらえないかもしれないけれど。

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