見出し画像

気付けば10月

あっと言う間に9月が終わってしまった。八月の終わりから始まった学生生活も既に1ヵ月以上が経過している。

どんな毎日を過ごしているか、というと、とにかく楽しい、割と呑気な方の学生生活である。割と、というか大分。毎朝「さあ今日は何を着よう♡」とテンション高めで起き、近くに住んでいるので徒歩で通学、たまに遠くのおしゃれカフェでコーヒーを買い、こそこそと課題を進め、久しぶりにシャーペンで手が痛くなるほど文字を書き…でもどこかで物足りなさもあり、現場が恋しい。

私のコースは、経験者がほとんどで、ほぼ全員がそれまで保育園で勤めており、みんな「子ども達が恋しい…」と話している。

呑気な方の学生生活、と言ったのは、私はシングル、一人暮らし、学生生活に全振りするために仕事もしておらず時間は全て自分だけのもの。友人には3ヵ月のビューティフルベイビーがいるママや、三児の母親、夫もバリバリフルタイムで働いていたりするけど。これまで彼が大学生だった頃の様子や、友人の留学生時代の話を聞いたりしていて、なんかちょっと思っていたのと違う、というのも実はある。

彼は、本当に文字通り、寝ている時間以外はずっと勉強していた。時間が勿体ないから、といってお湯を入れてかき混ぜるだけのマッシュドポテトが食事だったりした。私はそれがない。カレッジと大学の違い、また専攻にもよるんだなぁ、というのがある。

あと、留学生の名誉のために言っておくと、彼らはとんでもない金額の留学生授業料+家賃などを支払うために平日の夕方や週末は仕事をしていることが多い。だから倍、忙しいのだ。

私はワーホリ期間で散財してしまったので、いざ永住権を目指す時に予算が無く、とりあえず働いて永住権を取って、後から現地人料金で学校に行こうという計画を立てた。それはなんだか回り道にも思えたが、たまにカレッジを卒業しても就職先が無かったりビザがうまく行かず永住権に繋げられなかったり、そもそもカレッジ卒業後も永住権が取れる「予定」として暮らして行く訳なのでこう気持ち的にややストレスもあるかと思う。そう考えると回り道では無かったのかな、とも最近思う。そして永住権を取得後だと、学校や奨学金等の選択肢が広がり私はOntario ECE Grantsというものを利用していて、生活費を含めお金の心配がない。

どの位時間があるか、というと毎日自炊出来ている。あ、でも午前中の授業を元に夜までに課題を提出しなけれないけない日があって、その日の夜に予定を入れてしまって、その日は脅威の集中力で5時までに仕上げた。金曜にその採点が返って来たが一応満点だった♡でもあれはもうやらない。

時間は全て自分のもの。それでも、友人らとの会話の中で、こんな気づきもあった。

という。ちなみに、お年頃になってきて、同年代の友人らとも「子ども」に関する事を話す事が増えた。いや、20代でもあったけれど。不妊治療をずっとしている友人夫婦もいるし、妊娠後に「実はこういう大変な思いをして…」と教えてくれたりした友人もいるし、子どもの有無について葛藤があり離婚を選択する友人夫婦もいる。本当に色々なカップルの形がある。

そして、みんな声を大にして言わないけれど、とてもプライベートな事だから

こういう事もある。だから、本当に「子どもまだ?」とか「二人目は?」とか個人的な事は聞いてはならぬ。

ちょっとカレッジの話からは遠のいてしまったが、どんな感じで授業が行われているかも少しお話しよう。

「明日は初めてのグループディスカッション」とツイートしたら、トロント大学に在籍中の秀才から「入って数日でディスカッションがあるなんて、海外の学校っぽいね、頑張ってね」と返信を貰った。確かにそうかもしれない。

あと、どのクラスでも教授から3分置きに「なにか意見か質問は?これについてどう思う?」が飛んでくる。出席しているだけ、授業を聞いているだけではダメなのだ。きっとこれは日本からやって来たばかりの留学生チームには辛いだろう。こう、スタイルが違う。今となってはグループディスカッションも、授業中内の発言も毎日の事だから何とも思わなくなって来た。

そして、授業中に生徒が質問したり、教授に意見したりすることもよくある。そういう私も「日本ではこういう風らしい」というちょっと間違った事を披露され「違うと思います」と発言したことがある。その時は、己の文化だが当地の保育との違いの考察が甘かったためにコテンパンにやられてしまった(言い方)でもそれ以来、彼女はクラスでは私しか東アジア人がいないので頻繁に、私に発言しろ的な視線を送って来たりするようになった。そもそもクラス内にはインド系やパキスタン、スリランカ、ベトナム、フィリピンなどのアジア勢もいるのだが、研究資料の偏りでアジア=東アジアとなりがちなのである。これについては、先日授業でも取り上げられていた。

あとはなんだろう、よく聞く「留学生は留学生同士で固まりがち」っていうの、それについても考えたりした。私の通う学校は、私立校でコースや奨学金の関係などもあり、市民と永住者しか在籍していない。だから留学生はいないのだが、それに似たような構造は見られる。

例えば、カナダ生まれだったり、カナダ歴が長いと人種や民族の壁があまりなく、とてもオープンで誰とでも仲良くしたがるイメージがある。カナダ人の国民性、フレンドリーさ、である。それに対し、滞在歴が浅かったりすると同じバックグラウンドを持つ人同士、または同じ言語を第一言語として話す者同士固まりがち。

私はそれをダメだとは思わないが、留学生の呟きとしてよく「現地の友達が出来ない」みたいなのを聞くが、留学生同士でまとまってしまうのは、留学生側の心情や行動の結果なのではないかと考察する。

あとは、幼児教育学科なので、基本的にみんなオープンで似た者同士の集まりなイメージもある。日本でもそうだが、当地でも保育士のほとんどはどちらかというと「せっかち」が多い。いわゆるマルチタスクをこなし、気配りが出来て、人をまとめるのが上手なパキパキタイプである。しかし、当然ながら「おっとりさん」も少なからずいて、そういう人達は現場では「遅い」「仕事が出来ない」と言われがちである。校内でもやっぱりおっとりさんの居場所はどんどん狭くなっていくイメージはある。例えばグレードが掛かっているグループワークで、生徒側が自由にグループを組んでいい、となるとせっかち組は0.5秒でグループが出来る。

しかし、そこは幼児教育、インクルーシブアプローチといいますか、おっとりさんの話も聞くのが本来の我々の仕事。私は、サブカル系陽キャタイプなので小さい頃からどちらとも仲良くやっていける。

あとは、トロントならではだなぁ、と思うのは

とか、

とか。

と、当たり前ながら思いました。

先日9月30日は

こちらの日。私は今年もオレンジを着ませんでした。単純にオレンジ色の服を持っていない、という理由で。

クラスメイトの一人は「小学生の息子に、オレンジ色のサッカーのユニフォームを着せて学校に送って行ったのだけれど、彼は”ママ、別にオレンジの服を着なくてもいいんだよ。僕は過去にどんな事があったのか、今日はどんな理由でオレンジを着るのかちゃんと知っている。それだけでいいんだよ”と言っていて、私は朝から涙ぐんでしまった。」と朝の様子を思い返し教えてくれた。

更に同年代のトロント生まれトロント育ちの友人も「私は、ここで生まれてここで育った。それを誇りに思っている。それでも私の学生時代はこの歴史を学校で学ぶことは無かった。今、幼稚園や小中学校に通う自分の子どもや親戚らが、学校で正しい歴史を学んだり、ディスカッションする時間が与えられたり、私の知らない事実を彼らから聞くこともあり、心が痛い。私の同年代のクラスにいた先住民族コミュニティーの友達らはその当時どんな思いだったんだろう、と時折思う」と話していた。

先週は授業でレジデンシャルスクールについてのビデオ等を観る事も多く、当時の首相の肉声が入ったドキュメンタリーなんかを観て「ああ、これはジェノサイドだったのだな」と知った。いや、知っていたけれど、知らなかったのだ。

私はその時、日本について少し思いを馳せていた。唯一の被爆国出身者として私が後世に正しい知識を教えられるか、またアジア諸国にして来た事を正しく理解しているか、というとそうではない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?