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【本】伊藤亜紗『手の倫理』

素晴らしかったです。
倫理/道徳の話、触覚の話、介助の話など、パーツだけを見ると関心のある人ない人がいると思いますが、この本は、この世で肉体をもって生き、人とふれあう人すべてに読んでほしい本だと思いました。

オーディブル利用者の方は、2023年9月10日現在、聴き放題に入っています。
耳で聞いてもわかりやすい柔らかい文章なので、おすすめです。

読んだきっかけ

またもや、学びデザイン荒木博行マスターのVoicyでのおすすめからです。

朝に聞いた1回めの放送で、これは私が知りたいことだという直感があり、すぐにAmazonで購入しました。
読むほどに、あいまいなもやもやしたものを著者が当たり前のようにわかりやすい言葉に言語化していくのがおいしくて、おいしいあまりつい読了を先延ばしにしてしまっていました。
内容もすばらしいのですが、言語化の適切さが気持ちよく、きっと、まめに読み返す本になると思います。

この本から感じ取ったこと

著者のいう道徳と倫理の違いを荒木マスターのVoicyで知り、なるほど!とひざをうって買った本でしたが、その例のように、この本はひとつの言葉をおろそかには扱わず、360度きちんとふれて理解ししっかり定義してから、使っています。

その言葉に対する誠実さは、もちろん、人や物事についても同じです。
私もこういうふうに世界に接してしきたい、と強く思います。

そう感じる例をいくつか、あげてみます。

「さわる」は一方的、「ふれる」は相互的
どちらが絶対的にいい/悪いはなく、そのシチュエーション、その相手によって、いい/悪いがあるから、この問題は「倫理的」(現実の具体的な状況でどうふるまうか)問題であって、「道徳的」(学校で習うような普遍的なルール)ではない。

多様性は、人と人の違いという意味でよりも、一人の人のなかにあるもののほうが重要
「眼の前にいるこの人には、必ず自分に見えていない側面がある」という前提で人と接する必要があるということで、これは配慮というよりむしろ敬意の問題。「思っていたのと違うかもしれない」可能性と確保しておく

「安心」と「信頼」の違い
安心とは「相手のせいで自分がひどい目にある」可能性を意識しないこと、信頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚したうえで、「にもかかわらず」、ひどい目にあわない方に賭ける、ということ。
リスクが人をいきいきさせるケースもある。

読み返すたび、自分はこうして人と接してこれただろうか、と振り返りつつ、これからは強く「倫理的」でありたいと思います。

倫理的とは、
「いまこの状況で自分には何ができ、どのような選択肢がありうるのか」、迷い、悩みながらも、相手をよく観察して、相手の自分の知らない部分に敬意を払い、ときによっては「信頼」する
ということだと、私はこの本を読んで解釈しました。

忘れないように、自分のなかの多様性にもちゃんと目を向けつつ。


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