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江戸っ子の神田ってどのあたり

以前、神田神保町のオフィスで働いていたことがありました。アルバイトだったので、残業なしで午後4時には退社。近くの古書店街や九段方面、竹橋、お茶の水方面など気の向くまま散歩したものです。

普通、「神田」といったらどこを指すのでしょう。
たとえば、「ハロウィーンたら渋谷だべ」というときの「渋谷」は渋谷区のことではなく渋谷駅の近辺ということになります。

江戸っ子の代名詞ともいえる「神田」に、ここが中心といえる場所はあったのでしょうか?

何しろ「神田」といっても広いのです。西は神保町、東は秋葉原駅よりも東の小伝馬町あたり。南は大手町の北側から、北はJR水道橋駅、お茶の水駅・神田明神さらに文京区と台東区にくいこんだあたりまで神田です。東京に住んだことのある人にも分かりづらいですよね。

現在の千代田区の北東部をしめます。千代田区というのは東京23区の中でも中央にどど~んと皇居をいただき、皇居の囲む地域が千代田区ということになります。

1947年、神田区と麹町区が合併されて千代田区になったそうです。そのときに、旧神田区の町々は「神田○○」とか「○○神田」という町名になりました(以後、変更されたものもある)。なので、町名をたよりにあたっていくとわかりやすいのです。

戦前の神田は浅草とともに東京屈指の繁華街だったそうです。
今でいう新宿、渋谷みたいなものです。

話はとびますが、夏目漱石が通ったと言われる錦華小学校(現お茶の水小学校)が駿河台下交差点の近くにあります。
漱石の作品には神田がよく登場します。
神楽坂の学校(現、東京理科大)に通っていた「坊ちゃん」が下宿していたのは神田小川町です。
「門」の宗助が通勤で乗り換えた駅は駿河台下。「心」の先生の散歩コース。

駿河台下は当時の都電が何本か交差するターミナルだったのかもしれません。小説「門」の中でも繁華街である様子がうかがえます。

それなら、駿河台下あたりが神田の中心となる繁華街だった?
根拠は「門」だけですが。


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