歯医者の異常な愛情 その2 (カルマティックあげるよ ♯9)
かかりつけの歯医者さんとお茶の約束をした私。
約束当日、のどかな日曜の昼下がり、バイクをふかせて待ち合わせ場所の店へと辿り着く。
昭和の時代からありそうな、古く懐かしい雰囲気が漂う洋食屋である。
今まで前を通ったことは幾度となくあるが、中に入ったことはない。
店の開拓も含めてお茶会が楽しみだ。
待ち合わせ時間の14時になった。
店の前でぼんやり待っていると、道の向こうから中年の男性が歩いて近づいてくるのが見えた。私の顔を見てにこっと笑う。
「コセさんどうもこんにちは。いやあ、お待たせしました」
角刈りの頭に、カジュアルなポロシャツ姿、少し中年太り気味の体型。
顔に見覚えはなかったが、それもそのはず。
いつも目以外は白衣とマスクに覆われていて、表情すらつかみ取れなかったからだ。声からしてその人は間違いなく、いつもお世話になっている歯医者さんだった。
私の方からもにこやかに挨拶して、早速一緒に店の中へと入った。
――――――――――――――――――――――
私と歯医者さんは2人掛けの分厚い木製のテーブルに、向かい合って腰かけた。
店はこじんまりとした造りで、マスターらしき男性が一人で切り盛りしていた。
昼過ぎという時間帯もあってか、店内に客は少ない。
「このお店には学生の頃はよく来てましてね。今日はだいぶ久々に入りましたけど、懐かしい気分です」
歯医者さんは言った。なるほど、思い出の店というわけか。
メニュー豊富な洋食屋だが食事はお互い済ませてきたので、飲み物だけ注文することに。
私はジンジャーエール、歯医者さんはオレンジジュースをオーダーした。
飲み物を待っている間から歯医者さんは活発に話し始めていた。
「歯医者も色々なお客さんがいるから毎日大変ですよ。それでいて案外社会的地位も低いしね」
「僕が若い頃はブルース・リーが流行ってましてね。僕含め周りのみんなも憧れてて、ヌンチャク買って真似したりしてましたよ。でも親に『おまえは歯医者にならなきゃダメだ!』って反対されて、結局その通りになりましたけどね」
飲み物が運ばれてきた後も、歯医者さんはほとんどそれに口をつけず、楽しそうに話している。私も会話を合わせたり、時には質問を返したりと和やかな会話を楽しんだ。
私は少し驚いていた。
いつも医院ではもの静かで穏やかな印象だった歯医者さんが、マスクを取って街中に出ただけでここまで活発にしゃべりまくるなんて。
あのブルース・リーが好きというのも意外だった。
しばらくはこんな流れで、歯医者さんの思い出話や世間話やらが続いた。
歯医者さんには奥さんとお子さんもいらっしゃるらしい。
温かく家族想いな感じだし、きっと健やかな家庭なんだろう、と感じた。
しかし、しばらくすると歯医者さんは次第に、歴史や政治の話をするようになった。
「鎌倉時代にね、モンゴル帝国が日本に攻めてきたことがあったでしょう?今の日本は当時と同じ状況に近づいてるんですよ」
突然なんのこっちゃと思いながらへえへえ聞いていると、歯医者さんは自分の話が受け入れられてると感じたのか、嬉々として話し続けた。
「中国って国があるでしょう?あそこがよくないんですよ」
「北朝鮮がこの間もミサイルの発射実験をしましたよね?実はね、北朝鮮は中国の手先なんですよ」
「中国は北京オリンピックが終わったら武力で日本を制圧します。そのオリンピック前には先に台湾を侵略します」
「中国は今、東シナ海の海底調査をしているんです。でも実は調査なんかじゃなくて、日本を侵略する為のルートを研究しているんですよ。それを日本は許しているんです。バカな国ですよねえ、日本って」
歯医者さんは矢継ぎ早にそんなことを口にしてきた。
尖閣諸島の領土問題が表面化した今でこそ中国脅威論はよく聞くようになったが、当時はまだ北京オリンピック開催の数年前で、そういう話を会食の場でしてくる人は珍しかった。
少なくとも私はそんな人に初めて会った。
半信半疑で聞いてはいたが、歯医者さんの熱のこもった語り口は妙にリアリティを感じさせる力があり、話題によってはうっかり信じそうになった部分もあった。
少し物騒な話題にはなってきていたが、私はそれでも国際問題の話が好きな人なんだろうと思って、じっと聞いていた。
いつの間にか彼ばかりが喋り、私はただ相槌を打つだけという構図になっていた。
またしばらくすると彼の話には宗教が絡んでくるようになった。
「鎌倉の時代にですね、日蓮大聖人というお坊様がいらっしゃったんです。とても立派なお方で、常に人々のことを憂い、世を救おうとしていました」
日本史が不得意な私でも、日蓮ならほんの少しだけ知っている。
小学生の頃図書館で読んだ、歴史のマンガ本に載っていたからだ。
歯医者さんの講釈は続いた。
「混乱を極めた鎌倉の時代、日蓮大聖人は仏法の教えを説いて荒れた世を直そうとしました。しかし、幕府は日蓮大聖人を島流しにしたり首を切ろうとしたりと、迫害したんです。ひどいですよね」
「さきほどモンゴルが日本に攻めて来た話をしましたよね?あれは、幕府が日蓮大聖人を迫害した罰です」
別に私は宗教の話は嫌いではない。
むしろ多少の関心はあった。
私はそれなりに芸術を愛する人間だが、国内外問わず歴史上の芸術品や建築物には、作り手側が信仰する宗教の影響が色濃く見られることが多いからだ。
また私の家系も日蓮系ではないが世俗的な仏教の一宗派に属しているので、立場上宗教と無縁というわけでもない。
しかし、彼の話すテーマが先ほどの物騒な外交問題から、今度は宗教の話題へとシフトしたあたり、私はだんだんと雲行きの怪しさを感じてきてはいた。
「モンゴルに攻められた日本は滅亡寸前でした。しかし、あの時代に日蓮大聖人と信徒たち皆が『南無妙法蓮華経』のお題目を一生懸命唱え続けたからこそ、日本は救われたのです」
「しかし、今の日本は当時と同じ状況に近づいています。異常気象、大地震、凶悪犯罪、外国からの侵略。もう日本国は終わりに近づいています」
だんだんと宗教の講釈から、オカルトめいた話になってきた。
この人は隠謀論や終末論を語るのが好きなのか?
歯医者さんは相変わらずしゃべくりまくっていたが、出会い始め当初の穏やかで印象は既に感じられなかった。
まるで演説でもしているかのような真剣な表情で、私の目を強く見つめながら語り続けている。
鈍感な私も、さすがに嫌な予感がしていた。
しかし彼の迫力に押されてしまい、はあはあ、と頷きながら話を聞くだけであった。
「コセさん、いいですか?今の日本を救う為には『南無妙法蓮華経』このお題目を国民皆で唱える必要があるのです。この経典には自然界の法則が全て込められているんですよ。おかげで私もだいぶ視野が広がりました」
「人が向かうべき最終の目標は成仏です。永遠の安泰、幸福に包まれるのです」
歯医者は次々に宗教じみた言葉を繰り出してきた。
やや戸惑い気味であっただろう私の表情などお構い無しに。
そして彼はテーブルに腕をあげ、身を乗り出し、私の目をキッと見つめながら話し出した。
「…この街に一ヶ所だけ、本物の日蓮大聖人様にお会いできる場所があります。まずは共にそこに行って準備を始めましょう。始めに数珠と経典を買う必要がありますが、わずか500円です。あとは朝と晩にお経を唱えるだけですから、在宅でもできます。あなたのように若い方もたくさんやってますよ。わずかそれだけで宇宙の法則が理解できるのです。
……やりましょうコセさん!変わりましょう!」
こう告げられた時点で、私はようやく理解した。
手前に座る歯医者が私を今日お茶に誘ったのは、談笑を楽しむためなどではない。
自身が妄信する宗教に入信させるためなのだ、と。
呆然とする私にはお構い無しに、歯医者は何か調子の良い誘い文句を口にしては
「やりましょう!」
「変わりましょう!」
と繰り返すかのごとく連呼してきた。
テーブルから身を乗り出し、顔を近づけ、ギラギラした眼差しで私の目を見つめながら。
その様子は私が知っている、いつも物静かな歯科の院長の姿ではなかった。
彼の勧誘は熱心そのものだったが、私はとてもやる気にはなれなかった。
確かに初期費用はお手頃価格だし、在宅でも気軽に修行ができるのは宗教としては魅力的なのかもしれない。
しかしそもそも「お題目を皆で唱えれば日本を救うことができる」という彼の言葉がいかにも馬鹿げていて嘘くさかった。
そんなことが本当なら軍備も安保もいらないだろう。
自宅でお題目を唱える姿を親に見られるのも嫌だった。
突然違う宗派のお経を唱えるようになった息子の姿を見たら、どうかしたのかと心配するであろう。
確かに日蓮は立派な方だったのかもしれないが、私自身がそこまでリスクを冒してわざわざ入信する必要などない。
何より私を懸命に説得して入信させようとする、目の前にいる歯医者の妄信しきった様子に警戒感を感じていた。
これでは行き先で待っているであろう他の信徒達も、どんな人間かわかったものではない。
(これは言う通りに付いて行くと確実に面倒くさいことになるぞ……)
そう確信した。
なので断ろうと決意したが、あからさまに拒否するのも気が引ける。
そんなわけで遠回しな言葉を使いつつ断ることにした。
「宗派を変えることになるので、そう突然には決められないですよ」
「熱意はありがたいんですけど、そういったある種思想性の強い宗教団体に入ったりするのは、自分自身どうしても抵抗があるんですよね」
と。
こう言われたら普通、思いやりのある人間なら「じゃあ、しばらく考えてみて」くらいな言葉を添えて一旦引き下がるであろう。
しかしこの男はそうではなかった。
「コセさん、宗教団体などではありません!ただ自然界の法則を学ぶだけです。マイナスにはなりません。あなたは芸術が好きなんでしょ?それをやっていく分にも絶対プラスになりますよ」
「そういった抵抗感などというのは、あなたの中に潜む魔の力です。正しい道に行こうとするあなたのことを邪魔してるんですよ」
「僕も初めは恋人に勧められて、嫌な気持ちで始めたんですよ。でも、今では本当にやっててよかったと思ってます。うちの子供達も毎日やってますよ」
「コセさん、やりましょう!あなたのお力が必要なんです!」
などと言って、色んな口上で逃げ道を塞ごうとしてくる。
私は今日この場に来てしまったことを、今更ながら深く後悔していた。
このままではダメだ……しかし、こんな様子だと強い口調で否定したら、何をされるかわかったもんではない。そう思うほど歯医者の言動は狂気じみていた。
歯医者は自分の話に酔っているのか、どんどん口調が攻撃的になってきた。
悩む私のことなどお構いなく、話の中で他の宗教を侮辱したり、自分の行いを自慢する様子がうかがえた。
「○○○○って有名な宗教団体がいるじゃないですか?あそこは日蓮大聖人様の名前を使いながら、金儲けばかりしてる成金宗教なんですよ。僕らの憎い敵なんです」
「今あちこちのお寺にいる僧侶だって銭のことしか頭にない。クソ坊頭ですよ」
「ある時ツーリングに一緒に行った仲間が邪宗に入ってましてね。手かざしで世を清めることができるとかいうくだらない宗教なんです。早速辞めさせて、私と同じ道に入れました」
「知り合いの具合がよくなく、その家に神棚があったからはずしました。神道も邪宗です。おかげで良くなりましたよ」
「さあコセさん、やりましょう!」
ニタニタ笑いながら次から次にそういう話をしてくる。
目の前でとち狂った様子で話し続けるその男を見て、私は「これが、本当にいつも優しげなあの歯医者さんなのか?」と戦慄を覚えていた。
楽しくお茶を楽しむつもりだったのに、こんな人の裏の顔に出会ってしまうなんて…。
ふと周りを見ると、我々以外の客は既に消えていた。
どうしよう……この男は、何が何でも私を教団の元へとこの後連れていくつもりだ。
私が首を縦に振らない限り、解放してくれる気配はない。
何度も何度もしつこく説得をされている最中、いっそイエスと答えれば楽になるかもしれない、という誘惑が何度も私の頭をよぎった。
しかしその都度、「それはダメだ!」と自分に言い聞かせた。
私は普段から周囲の物事に流されやすい人間ではあったが、こういう局面では妙にしぶとかった。
ふと壁に掛けられた時計を見ると、時は既に夕方だった。
歯医者の説得はますますヒートアップしていく。
「街を見渡せば金髪にミニスカートのだらしない女性ばかり。清楚な大和撫子はどこに行ったんですか?一緒に日本国を取り戻しましょう」
「あなたはまさに今、悩める修羅の状態です。そのままでは前へと進めません。それでいいんですか?」
「やりましょうよ!コセさん!変わりましょう!」
彼の熱意は増すばかりだが、それだけ私の警戒心は増すばかりで全くの逆効果であった。
彼は話を一旦止めると、それまでほとんど口をつけてなかったオレンジジュースをすすって言った。
「このジュースだってこんなに美味しい!これもまた、日蓮大聖人と仏法のおかげです!」
その様子を見てさすがにこれは狂いすぎだと感じた。
別にそのジュースはキリスト教徒が飲んだってイスラム教徒が飲んだって美味しいだろう。
「コセさん、やるなら今です。遅れては後悔しますよ。ああ、なんであの時やってなかったんだろうって」
「あなたにもこの幸せを味わっていただきたいんです。幸せにしたいんですよ」
「もちろん強制はしません。やるやらないはあなたの自由です。でも、あなたを幸せにしたいからこうして私は語りかけてるんです」
「このまま僕は1日中だろうと、1週間だろうとあなたを説得する自信があります!もちろん1週間ここにいろというわけではないけれど、それだけ私はあなたに伝えたいという熱意があるんです!」
「今の日本を救うためにはこれしかありません!」
「やりましょう!」
「変わりましょう!」
「今すぐ行きましょう!悩める修羅のままではいけません!」
長時間に渡るしつこい勧誘に、とうとう私も堪忍袋の緒が切れた。
少し強めの口調でこう答えた。
「僕はもう少し、悩める修羅でいたいです。今の自分が好きなんです。今日はこのへんで!」
逆上されるのを覚悟できっぱりと伝えた。
勇気を出してというよりは、もう疲れて我慢ならず、身体から自然に言葉が出た感じだ。
そんな要望など聞かずに歯医者は勧誘を続けるだろう……と思って彼の顔に目をやると、意外なことにポカンとした表情で、ピタッと話すのを止めてしまっていた。
「じゃあ、お会計しましょうか…」と、案外すんなり承諾してくれた。私は少し拍子抜けだった。
長時間説得し続けたのにダメだと分かったのか、ひとまず今日のところは諦めてくれたらしい。
時計を見ると、既に夕方18時になっていた。結局座ってから4時間も入り浸ってしまった。
歯医者とまともな世間話を楽しんでいたのは精々、始めの30分程度だった気がする。
後の3時間半はずっと胡散臭い政治と宗教の話と、熱意だけ達者な支離滅裂な説得、更にうち半分の時間は口癖のように繰り返された「やりましょう!」の言葉だった気がする。
つ~~か~~れ~~た~~~!!!!
――――――――――――――――――――――
店長を呼んで会計を済ませる。
歯医者は
「今日は遊びじゃないんで、おごりません。別会計にしましょう」
と会計の際私に言ってきた。
遊びじゃないとおごらないって何だよ、と思ったがその時の私にはどうでもよかった。
所詮ソフトドリンク一杯分だし、それより一刻も早くこの場から解放されたかった。
白髪まじりのキャリアの長そうな店のマスターは、我々が怪しい宗教話をまき散らしながら
ドリンク1杯で4時間も居座った迷惑千万な客であるにも関わらず、「ありがとうございました」とにこやかに会計を済ませてくれた。
私を勧誘してきたカルト歯医者より、よっぽどこのマスターの方が仏様に近い。
別れ際、歯医者さんは私に冊子が入ったらしき1枚の茶封筒を差し出してきた。
「こちらに日蓮大聖人様の教えが書かれています。お読みになって、興味が湧きましたらいつでも私に相談してください」
別にいらなかったがさっさと別れたかったので、ひとまず受け取って鞄の中に入れた。
「それでは、失礼しますー!」
一応歯医者に別れの挨拶をし、バイクに乗って車道へと出た。
歯医者は笑顔で私に会釈した後、歩いてどこかへと去っていった。
私はバイクのエンジンをふかしながら、ひたすらあの歯医者が歩いていく方と反対方向を目指し走った。
一刻も早く、あの歯医者と遠く離れた場所へと逃げたかったのだ。
煩い講釈や説得で疲れきった頭と身体を癒すため、しばらく静かな場所で一人休みたかった。
文:KOSSE
挿絵:ETSU
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