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石塊のひとりごち vol.1

 レサシアン名を知りて吾れ湯冷めせり


 呼ばれて振り返ると、目をつむって口を半開きにした妻が、のけぞるような姿勢でキッチンカウンターの向こうに静止していた。さてどうしたものかと思っていると、妻はこう尋ねてきた。

「こんな感じのジャケットがあったと思うんだけど、なんだったけか?」

 言わんとしていることが飲み込めるまで若干の間があったものの、ここは十年来の付き合いのこと。こんな表情でこんな格好をした人物があしらわれた、CDのジャケットのことを訊いているのだろう。私はしばし無言で考え込む。

「たぶんUKロックだったと思うんだよね」

 やはりそういうことだった。そしてすぐさま心あたりに行き着いた。UKロックということであれば、私の好きなレディオヘッドのセカンドアルバム、『ザ・ベンズ』のジャケットに違いない。
 口で言うより実物を見たほうが早いと思い、隣室のCDラックからそのアルバムを引っ張り出してくると、

「これでしょ?」

 と、妻に手渡した。

「そうそう、これだよ!さすがパパ!」

 正解。とりとめのない会話の後、妻は満足そうにベッドへ戻って行ってしまった。まじまじとそのジャケット写真を眺める私だけが、キッチンに取り残された。

 頭を後ろに反らせた裸の男性のバストアップが、暗闇の中に浮かんでいる。虚ろに閉じられた目に、虚ろに開かれた口。両胸の、肩の付け根あたりには、白いパッチのようなものが張り付いている。
 熱狂的ファンとまではいかないが、好きなロックバンドは?と訊かれたら、レディオヘッドだと即答する。そんな私だったが、『ザ・ベンズ』のジャケットに写っているのはヴォーカルのトム・ヨークの顔だろうぐらいに、ぼんやり思っていたのだ。しかしこうしてよく見てみると、それはちっともトム・ヨークなんかじゃないし、それどころか生身の人間ですらないとういことに、今更ながら気が付いた。
 ぐにゃりとゴムのように曲がった首。心電図をとる器具の電極だと思っていた胸元の白い円形の物体も、空気弁の類であるようだった。
 そう、人工呼吸や心臓マッサージの練習に使う、あの人形みたいだ。
 ネットで調べてみたらやっぱりそうで、オーガズムに達したかのような表情を気に入ったトムが(!)病院から借りてきて、アルバムのアートワークに使用したらしかった。いかにも現代社会へのアイロニーを歌うレディオヘッドらしい所業だ。
 それはそうと、この顔には見覚えがあった。高校の保健体育の授業の実習で使ったことのある人形も、仕事で立ち会ったAED講習の現場にあったのも、どことなくこれと似たような顔立ちだ。
 そう思うと、今度はこの救命訓練用の人形に俄然興味が湧いてきた。調べてみると、製品パッケージが出てきた。Rescsi Anneと書かれている。商標だ。レサシアンと読むらしい。ブラウザに名前を打ち込む。Googleの検索結果のトップにメーカーのサイトが現れる。

 二〇二〇年、レサシアンは六〇回目の誕生日を迎えます。

 大きな文字の見出しに、続けてこう書かれている。

「セーヌ川の少女」から生まれたレサシアンは現在、世界中で何百万人もの近代蘇生の救命テクニックを学ぶ人々、救われた人々の”生命のシンボル”となっています。

 セーヌ川の少女…。一九世紀にセーヌ川で引き上げられた、身元不明の少女の遺体。人工呼吸法の学習用マネキン・レサシアンの開発者は、彼女のデスマスクを意匠として、その顔に用いたのだった。

 説明文の合間には、同じく少女のデスマスクから型取られた石膏像の画像が載っていた。

 瞼を閉じて儚げな微笑を浮かべた顔が美しかった。
 
 ただ呆然と、私はその顔に見入ってしまっていた。時計の針が私をすっかり置き去りにして進んでいる。風呂上がりにTシャツ一枚でいた両腕がヒヤリと冷えて、人形のプラスチックの肌のイメージに重なる。
 ふと我に帰ると、溺死体の少女の顔に心奪われていた自分に、うしろめたい思いが立ち込めてきた。

 寝室に帰ると、妻と二人の娘はすっかり河底の泥のような深い眠りの中にいて、穏やかな寝顔を並べていた。

石塊俳句用挿絵_B


俳句・文:石塊
挿絵:コセフルセ

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