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もうこれ以上は

「もうこれ以上は頑張れない、という一線は、頑張っているその人にしか、決められないからね」

それに続いたのは、「だから自信を持っていいんだよ」だったか、「だから自分で決めていいんだよ」だったか。涙が溢れ出るのをこらえるので精いっぱいで、よく覚えていない。

当時、大学四年生のわたしは、惑っていた。就活もそろそろ終わりか、という初夏。内定が出たのは、第一希望の出版業界でなはく、第二希望の医療業界だった。内定を保留にして、惑いながら、業界研究の一環でOG訪問をさせてもらった編集プロダクションで、アルバイトをしていた。もしもうちで働くなら、社員になる前提で仕事をまかせるが、編プロは下請けなのでとかく忙しく、ローリスクローリターン、第一選択肢とする前に熟慮すべし、と、助言と配慮をいただいて、細々とした雑用を仰せつかっていたのだった。

卒論も並行して進めていた。二年間お世話になるつもりだったゼミの教授が一年間イギリスに研究にでてしまい(代理の教授は他大から来てくれていたのだけれど)、わたしは何がわからないのかわからない、というくらいに戸惑っていた。何なくテーマを決めて研究を始める周りのゼミ生が皆途方もなく優秀にみえて(実際粒ぞろいだった)、わざわざ電車で代理教授のいる郊外の大学まで赴き、教授の部屋でおんおん泣いたりした。(※そろそろ忘れたい苦い思い出)

とにかくあっちもこっちも惑っていた。そろそろどこで働くか決めければいけないし、卒論もテーマを決め、必要なデータを集めるための調査を始めなくてはならない。

ある日のバイト中、午前中の頼まれごとを済ませて、編集長のデスクへ持って行ったとき、「それで就活はどう?」と不意に水を向けられた。

自己アピールをどんどんせよというのが、就活の定説だったが、わたしはそれが大の苦手で、面接のたびに釈然とせず、不採用の結果を見ては何か否定されたような気持ちになる、を繰り返し、自己肯定感は地に落ちていた。自分の口で自分のことを話す、というのは、もともと苦手だったから(いまも!)、就活がこんな風な苦行であったこと、今ならなるほどと笑って頷けるのだけれど。

とにかく、「就活どう?」は、突如始まった面接のようで、わたしをとても緊張させた。上司は、どんなに仕事が立て込み眉間に皺を寄せていても、話しかけると一呼吸おいてニュートラルに「どうした?」と、振り向いて対応してくれていた人(これが大人か…と、何度も嘆じた)だったのだが、それでも、張り詰めた。

どうにもはかばかしくない、という内容を、泣かぬよう笑顔で。うまくはぐらかしたつもりだったのだが、静かな声は、優しく言った。「もうこれ以上頑張れない。という一線は、頑張っているその人にしか、決められないからね」と。昼休みに入って、フロアに人はまばらで、外はいい天気だった。「頑張れ」も「大丈夫」も、何故だか言われるたびに悲しくなっていたあの頃、この言葉の持つ許容と慈愛は荒んだ心に絶大で、声を出せずにただただ頷いた。

頑張った、ということには、誰のお墨付きもいらない。自分が決めて良い。自信を持って。
と、言っているけど言ってない、優しい眼差しのこの言葉を御守りのようにして、就活を終了し、編プロで社員になることを辞退し、保留していた内定を受け、卒論に邁進。無事に書き終えた。そしてその後何度も、惑いそうな時に思い起こした。

もうそろそろ、わたしも当時の上司の齢。これまでの生き様は、この言葉にうまく魔法をかけられるだろうか。あの時のような魔法をかけて、渡せたら嬉しい。瑞々しくも、傷つきやすい、奮闘する、惑う誰かに。

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