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6年前、満月の夜に

次女が6歳の誕生日を迎え、もう6年も前のこと、と、褪せはじめた記憶を、静かに手繰り寄せてみる。

わたしは切迫早産体質のようで、長女の時も、次女の時も、妊娠後期は安静の日々だった。

長女の時は、盛夏を寝て過ごした。里帰りしていた実家では、午後になると母が勤めに出かけていき、ひとり寝そべり、庭の百日紅をじっと見ていた。夏の光の中では、生きとし生けるものがすべからく生をよろこんでいる。それは部屋の中で横たわっていると、他人事のように遠く(腹の中では小さな命を確かに育んでいたのだけれども)、百日紅のピンク色の鮮やかさがひどくよそよそしかった。日々の無為が虚無になり、出産への不安と孤独ごとわたしを飲み込んでいた。

次女の時は、厳冬を寝て過ごした。長女の時のような、不安と孤独がないまぜの、終わりの見えない閉塞感は感じなかったが、その暮らしは終始イヤイヤ期の長女と共にあった。長女の時と同じく里帰りをしていて、家事はほとんどせずに済んだのだけれど、そうなると目の前には育児しかなかった。娘は里帰り早々にじいじにお風呂でひどく叱られて以来、わたしとしかお風呂に入れなくなっていたし、わたし以外の人と眠ったこともなかった。

言うことをきかない、とか、わがまま、なんて、2歳だったら当たり前なのに、オムツ替えひとつとっても…という日々のそれは、大きな張りやすいお腹ではなかなかにしんどくて、しかし両親がそれについて愚痴をこぼすのを聞くのは、もっとしんどいのだった。煮詰まっても散歩にも行けない日々。

ある日、健診に行くと、もう服薬ではどうにもならないので、このまま入院するようにと言われた。頭の中が真っ白になる。え?この子はどうするんだろう?ばかりを考えていた。

当時2歳の長女は言葉が早く、よく話も聞ける子だったから(それゆえ、大人からは多くを求められがちだった。2歳児らしさのはずのものが、小生意気に見えたりもして。)、ゆっくりと、この後のことを言い聞かせた。「じいじとばあばの言うことをよく聞いてね」は、苦しい気持ちになるような気がして言えず、代わりに「じいじとばあばがいるから、大丈夫だからね」と繰り返した。

長女は、慣れないわたしの実家で、じいじとばあばにたくさん叱られながら、とてもよく頑張った。面会にきても、帰り際に泣くようなことは一度もなくて、救われた。彼女なりの強がりだろうか。夜寝る前には「おかあさーん」と叫び泣くので可哀想で可哀想で辛いのだと、母からは聞かされていたのだけれど。

母も仕事を続け(少し減らし)ながら、工夫を重ね、たくさん努力してくれた。父も随分寄り添ってくれたと思うし、離れた自宅で暮らしていた夫は激務に追われていたが、寸暇があればこちらに来てくれた。

3週間の入院を経て35週を迎えた日、お腹の次女は産院での分娩に耐えられるくらいの体重に成長し、退院が許可された。ひな祭りだった。長女をたくさんたくさん撫でまわしながら過ごして3日目、なんとなく、お腹が張りやすい。そんな話を母にしていると、長女が「今日あかちゃん出てくるよー」と、無邪気に言う。念のため、早い時間にシャワーを浴び、入院準備をする。

その夜、寝かしつけを始める頃には、お腹の張りは10分おきくらいの感覚になっていた。点滴を抜いて退院する時にも、前駆陣痛のようなものはきていたので、またそれかな?と思い、静かに深く呼吸をして痛みを逃しながら、寝かしつけをする。何か伝わっていたのか、長女は神妙な顔でわたしの顔をいつまでも撫でまわしていた。

日付をまたいで深夜2時すぎ、トイレに立つ。横になっている間は気がつかなかったが、思わずトイレで立てなくなるほどの痛みになっており、間隔も急に狭まる。これは…と母を起こし、産院に電話。父も起こし、添い寝を代わってもらう。長女の寝顔をみつめ、行ってくるねと囁くと、あらゆる不安は消えていった。
赤ちゃん産んで、一緒に帰ってくるからね。そうしたらもう、入院しないからね。

1時間前までは、この数週間かけつづけた「まだもう少しお腹にいてね」という声かけをしていたのだが、車で産院に向かいながらちゃっかり「するっと出てきてね」に言い換えてみる。満月に照らされた美しい夜道。

産院に着くとどんどん陣痛がすすみ「先生まだだから!まだいきまないでぇー!!」と助産師さんに何度も叫ばれる。「はい、いいよー」と、やっと言われ、ふっと力を抜いたらするりと出てきたような、そんなお産で、それは夜道を照らしていた月がぴったり満月をむかえた真夜中3時の数分後のことだった。月の不思議な力の、大いなること。

それまでの、家族に対するもどかしさままならなさ申し訳なさ(迷惑をかけているのに、わたしにできるのは寝ていることばかり)、が、一瞬にして、純度の高い感謝に変わった夜。産後、幸せで幸せで、何度も泣いた。気づけば厳冬をこえ、世には春の気配が満ちており、次女の名前には、春の字がつく。

まだ小さな長女には、次女の産前から産後の大変な時期まで含めて、たくさんの試練を与えてしまったと、ずっと感じていた。でも、目の前で仲睦まじく遊ぶ姉妹をいま見ていると、それはそれ、これはこれ、と、素直に思う。

生命の不思議、生命の重み、生命の可能性。娘たちの誕生と存在を思うと、そんな言葉がつい過るけれど、きっとそれは、言葉の理解で捉えようとはしなくてよいものだろう。言葉の理解を、超えたもの。ただ感じるしかできないそれは、6年前の満月がたたえていた、あえかで確かな光の中に、在ったもののような気がしている。

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