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冬の庭

大寒をむかえて寒さが鋭く深くなってきた。
今暮らしている東京に大学入試のために出てきた17歳の冬、空気が故郷のそれと異質で、あたかく丸いので驚いた。その翌日に受けた第一希望は落としたが、東京の別の大学に通うことが決まり、そののち割にあっという間に、あの丸みを体で選り分けることはできなくなってしまったのだけれど。

それでも、寒く乾燥した空気が鼻先を冷たくすると、思い出すのは故郷のこと。実家の庭だ。

父が建築士の資格を持っていたので、家の設計も、造園も、父によって為されていた。わたしの育ちとともに木々も育ってきたような庭。

小さな頃はドウダンツツジの垣根が門扉のない我が家の囲いで(気安くセールスの人が来て困ると母がよくこぼしていた)、玄関の手前には沈丁花、車停めの横にイチョウ、庭への径の傍に、ヒイラギ、ツツジ、サツキ、花水木、百日紅。ダイニングから望む開けた庭を抱くように大きな木蓮、わたしの小学校入学を記念して植えた紅梅、山茶花、カエデ、蝋梅、山椒などもあった。

父の休みの日には車で大きな公園に出かけたが、平日は、ほとんど家かこの庭で過ごしたように思う。特に庭は冬の記憶が濃い。冬は、虫がいないから。

春は萌え出た葉の裏に毛虫がいたし、人の通り道に蜘蛛は悪びれずあっという間に巣を張った(蜘蛛の巣が不意におでこに張り付くあの感じ…)。夏は生い茂る緑のむっとした生気に圧倒されながら、蚊を嫌悪し、蜂を恐怖した。紅葉の楽しい秋頃から徐々に虫が去り、あっという間に冬になる。

冬、植物や虫が眠り春を待つ間に、わたしはやっと大地と親しんだ。わたしの生まれ育った地域の冬は、乾燥して、ぴりつぴと冷たく、静かで、どこか清潔に思われた。心から安心して、庭にいた。心ゆくまで。

どこへ行くにも車という大人の道具に頼っていたあの頃、母はせっかちで、わたしは愚図で、いつも、あぁもう少し、と思いながら急かされた。もう少しあの噴水を見ていたかったのに、とか、そんなようなことなんだけれど。

自分で決めて、自分で行って、自分で帰ってこられる、初めての場所が庭だった。だれにも急かされず、虫にも怯えず、果てなく静か(大きな音も怖かった)な冬の庭。心ゆくまで、風の音を聞きながら居た。今では顔をしかめるだけの北風も、あの頃はぽつんと座り込むわたしを取り巻く近しいものだった。そういえば。

今、わたしは庭を持たず、鼻を冷たくするたびに、あの木々豊かな庭を恋しく感じていたのだけれど。自分で決めて、自分で行って、自分で帰ってこられる場所、は案外ある。心ゆくまで、というのは、家事育児の心がけ次第か、冷めてしまったドクダミ茶を飲み干し思う。

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