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続 あいがもん倶楽部 ギフト用 帯

前回の12ヶ月分の帯の作成、それは『あいがもん倶楽部ギフト用帯』に、ある通りで、巡る季節ごとの、美しさ、愛おしさ、に、心喜ばせながら、言葉を選ぶ作業の楽しさに尽きた。
それをじんわりと反芻していたところに、嬉しい嬉しい続編の依頼があり、また、言葉の森だか海だかで、心ゆくまでたゆたうひと時を、得た。

今回のテーマは、『母の日』『父の日』『クリスマス』『誕生日』。

『母の日』と『父の日』。これがとても難しかった。
親しい友人をみても、父母、というのは、家庭の数に合わせてその姿を変え、そのどれもが愛おしくて、『かくあるべき』という表現(そうでない人を弾糾するような)は、避けたかった。
そういう想いはあったものの、結局は、自分の父母への眼差しや、母としての自分の眼差し、を、多分に反映するものになったのだけれど、そのふたつは、身体と心の真ん中を通ったものであることだけは確かなこと。
今のわたしにはこれ以上は無理かな、というところで、迷い迷った二つを選んでもらおうと送り、二つとも(大差はないのだけれど)採用してもらった。
というわけで、母の日父の日はふたつのパターンがある。

『クリスマス』は、あいがもん倶楽部さんのギフトを選ぶ人なら、こういう気持ちかな、と、心温まりながら。

『誕生日』は、生まれてみて嬉しい、産んでみて嬉しい、を、ありったけこめて。

しかし、贈り物って、素敵だ。
誰かが誰かを想い、選び、贈る。そこに添えさせて貰った言葉は、読まれたり読まれなかったりしながら、贈り物を開ける瞬間に居合わせて、読まれても読まれなくても、何度もわたしをあたためると思う。

今回も、徳子さんの素晴らしい筆に、息を吹き込んでいただき、感謝。

末筆ではありますが、あいがもん倶楽部さんの、合鴨米、小ぶりの粒はしっかりと厚みがあり、キュキュと噛みしめれば、むちりとひろがる旨味と滋養。家族も気に入り、あっという間に無くなってしまいました。今年の新米も、楽しみ。

母の日
母の愛 勇気の源 安寧の凪
目には触れぬ 憂いと祈り 母の慈愛

父の日
広い背に 家族の想い 受け 拓く
父の背は 護り 導き 広くなる

クリスマス
街華やぐ 心は生成りのまま 贈る

誕生日
生を受け 出会えた悦び 環になって

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