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とある記事から・・・

少しというよりも、かなりセンシティブな話なので、読む方はお覚悟して読んでくだせぃ。

嫌な予感がしたら、反転回避してね。(ようは画面閉じれと)
 
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この記事自体、数日前にfacebookでつぶやいた記事なのですが、思うことがあって、修正をつけながら、こちらにUPしています。 

 
 
 

こんくらい、合間空けといたらいいかな。

医療サイト朝日新聞アピタルによれば、知的障碍者カップルが結婚擦り際には、不妊処置の提案をしていた・・という話が出ていた。

北海道の施設での話らしい・・・

これを聞いた時に、「え?どういうこと??」と一瞬目を疑ったのだけど、でも・・と、しばらく、答えはきっと出ないのだと思うが、考えている。

その施設では、知的障碍男女が結婚や同居を望んだ場合、男性はパイプカット、女性は不妊治療を20年以上前から対応をしてきていたという話だ。

これまでには8組、16名が応じていたそうだ・・
一応施設では「避妊を希望する本人や家族に提案して同意を得ていて強制はしていない」とのこと。

ここで私がこれを書いているのは、難しい問題であるということなだけで、どっちが正しいの間違っているのということをいうものではないのは先に言っておく。

有料サイトなので、細かい点は読めていないのだけど、とあるユーチューバーさんの放送で、この施設の運営者は「その先の命までは責任は取れない」(だいたいそんなニュアンス)というものが書かれていたのではないかと思う。

知的障碍を持っていたとして、人間である。
大切な命であることは何ら変わりがない。
生きる上で、親も歳をとって行き守ってやれないことから施設にお願いすることもあると思う。

実際、身体障碍者の我が弟も、母が見てやれないう(体力的に高齢者であることから)医療やヘルパーの手が届きやすい場所にと今動いているのもそこから来ている。

母が老いた体と判断で、弟に万が一があった際、即動けるのかというとそうも行かないだろう・・となれば、24時間体制で看護師さんが1人いていただける場所はありがたいのだ・・・

さて話を戻す。

知的障碍のある方が出会って、恋をして一緒にいたいと願うのは、当然だろうしそれは良い出来事だ・・
しかし、ことする場合「知的障碍」の遺伝も考えなくてはいけない。

人に対して、尊厳の無視などを言われる人もいるだろうが、知的障碍を持って子供が生まれて育児放棄した場合には?
もしも、お子さんも障碍をお持ちになってしまった時には??

この施設の長という人が言っている内容も、決して人非人的な考え方ではない。
むしろ、愛情があるからこその決断的発想なのではないだろうか・・・
この内容に対して承諾を得られなかった場合、保護できないという話も出てきてはいた・・

だけど、気をつけたいのは新聞であれニュースであれ、本人の言葉を本人が思いの丈を書き出しているのではなく、喋って記者が文字数などを考えて仕立てているわけだ。
他の媒体であれば(幾つはあるそうなので、ご興味ある方はさ具って読んでいただけるといいかと)

これは、我が弟の出来事だが、弟はアテトーゼ型脳性麻痺である。
今ではほとんどの行動は車椅子だ・・
一度結婚はした・・相手も障碍者だったが、身体は健康・・・で、聴覚障碍と言語障碍だけである・・(そのほかは聞いていないので知らない)

結婚し、弟と2人で暮らすと家を出て、他の男と弟の障碍者年金を使って旅行にゆき、離婚を宣言して別れた後「子供ができたから認知して」ときた・・・
これの後日談は色々あるが、長くなるから省こう・・

そして、その女性は母子寮に子供を残して消えた・・
この後、我が家では引き取りができないので、養子縁組をお願いした・・しかし、両親が障碍を持っていると、遺伝していないか問題はないかを調べねばならず、4歳になるまで縁組はできなかった・・

考えてみれば当たり前だ・・・
わかっていて引き取るのと、引き取ってから知るのでは育ての親御さんも困るだろう・・・

そんなこともあると考えた場合、もしも・・・
両親が育児を理解せずに放置してしまったら?
子供にも障碍があり、親が育てられなかったら?
その子供達の親御さんも、育てるのが困難になったので施設に預けたのだろう・・

とした場合・・・

相模原の事件の時に、障碍の子供達の親御さんが大きく騒いだのを見ていた時、母が言った・・

「寂しいけれど、ほっとしたと思うよ・・・」

障碍者を育ててきている母だからこその言葉だろう・・
私は障碍者を産んだ女として周りから卑下の目で見られていた母のためにも母のそばを離れなかった・・

弟を定規で叩いた教師が嫌いで、イベントにもなんでも参加した・・・
それでも、今思う・・・

生きていてほしい・・
私より先に逝ってほしい・・・

現在弟のことでの施設入寮準備をしている間中、きっとそこに預けたとしても、いつもいつも心配し、子供を守る狐みたいに他の人たちに威嚇し続けているのかもしれない。

北海道の施設の方も、決して人を軽んじているわけではないのだと思った・・
反発する人の言葉に「だから行政が手を貸してくれるだろう」「こういう時のための保護ではないのか」と・・・

でも、その保護が足りていなくて、生活保護なども足りずに亡くなった人もいるんだよな・・

設備が違う・と言われるかもしれないけど、でも、弟は特一級障碍・・それでも、65歳を過ぎた後、施設に入る際には「高齢者扱い」になる。

障碍者枠で入るのとは全く違っていて、保護がすごく少なくなる・・
だからこそ、焦りながら悩んでいたんだけどね。

実に難しい話だ・・・・

この話の後で親しい友から、「いくつかの媒体でこの話が載っているので、読み比べて欲しい」とアドバイスを受けた。
その友人は新聞記事を書いている、信頼のおける古い友人だ。

同じ新聞のニュース記事を書いているからこそ、「後から出てくる情報がある」というのを知っている。
こう言ったものは、先にも書いたがその媒体における限界の中で挙げて浮くのだから、その真実を伝えるための苦労を思ってしまう。

決して手抜きをしているわけではない、だからこそいくつかの人の意見を聞いて思考するのは大事なことだろう。

私の弟は生まれた後で出てしまった障碍だったりする。
未熟児で生まれて救急搬送が手荒だったために、感染症を受けてしまい、その結果である。
母体にいた時はそれでも元気に育っていたそうだ・・
それゆえに、弟の子供・・と考えると、障碍はないのではないかと安直に考えてしまっていた・・・が・・成長する間に様々なことがあった・・そこからくる遺伝子の変化はあるのだろうか・・そんなことも考えていた・・・

命に関わる問題だからこそ、書き上げてここに残しておこうと思った。
もしも、この記事を読んでくださった方がいて、考えてゆく一つの何かになったのであれば、幸いだと思う。

感謝を込めて。

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