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ポケットモンスター赤と銀の思い出

息抜きにピカチウの絵を描きました。今でも初代のことなら結構覚えてるもので、イワヤマトンネルの出口の木にピーピーリカバーがあったことをぱっといえるくらいには当時のめりこんでいました。

ポケットモンスター赤

ソフトを買ったのは小学一年生のときだったはずです。発売してすぐではなくて、たぶん一年近く経過して大ヒットした頃に買った後追い組でした。トイザらスで購入した記憶があります。

帰りの車の中で、説明書の最後のほうに載っていた序盤にでてくるポケモン紹介のページを見て気持ちを高めてました。最初の三体もそこにあって、ぼくは一目惚れでヒトカゲ一択でした。ゲーム的には大失策でしたね

まあでも、あのころそんなにヒトカゲが序盤不利とか弄られた印象はないです。ブースターもファイヤーも今みたいにネタ扱いされてなかったですし。というかそういう扱いされてるのを知ったのもここ最近です。ぼくとぼくの周りの友達がそこまでタイプ相性とか対戦に興味なく、好きなポケモンで組んだパーティで遊んでたエンジョイ勢的プレイスタイルだったのも理由としてあったかもしれません。個体値とか知ってるやついたのかなあ。

なんで赤バージョンを選んだかといえば単純にパッケージのリザードンがカッコ良かったからです。周りは緑が若干多かったような気もしますが集計したわけではないので不明です。どっちを買っても結局出てこないポケモンはいるわけで、ないものねだりで緑持ってる人が羨ましかったりしました。それこそアニメ化してニャースが出てくると赤では存在しないのでものすごくショックなんですよ。通信して手に入れてもなんか違うというか借りてきたネコのようというか。上手いこと言いたかっただけです。あまりうまくなくてすみません。

通信対戦はあまりやらなかったんですけど交換はよくやってましたね。通信ケーブルを三回ほど買い直したりしました。なぜあんなものが紛失しまくっていたのか今でも謎です。ぼくはポケモン以外にもゲームボーイのソフトをそこそこ遊んでましたけど、通信ケーブルを使用した覚えがないので実質ポケモン専用ケーブルでしたね。

関連グッズもよく集めてました。ポケモンシール烈伝なんかは持ってない奴の方が少なかったくらいです。書いてて、同級生にゴールドのシール盗まれたことを思い出しました。子供は欲望に忠実です。

あとマニアックなところでいえばポケモンのサイコロなんかも集めてました。プラスチックのサイコロの各面に火や水等の属性チップをはめ込み、それとサイコロ化したポケモン人形を一緒に投げてなんやかんやして遊ぶおもちゃでした。持ってる友達が他にいなかったので遊び方を知りません。

遊びのルールがわからないやつでいうとバトル鉛筆なんかも買いました。うちの学校はゆるかったので特に持ち込み禁止とかにはならなかったですけど遊ぶ人もほぼいませんでした。今思うとかなり平和な小学校時代でしたね。

ポケットモンスター銀

ポケモン金銀が発売されてもぼくは飛びつきませんでした。コロコロなどで新ポケモンの情報が出てもあまりわくわくせず、ホウオウとかルギアがちょっとカッコいいなと評価するくらいで、ゲームを買いたいとまでは思いませんでした。どうやらぼくには原理主義者的な傾向があるようです。

ゲーム好きの友達がいて、彼が近所のホームセンターで銀バージョンを買ったあとぼくの家に遊びにきました。興味自体はあったので彼がプレイしているのを横で見ていました。

ある程度まで進めてセーブすると、ぼくにもやらせてあげると貸してくれました。ぼくはワニノコを選んでプレイしました。ゲームボーイカラーだったので色がついてるのはいいと思ったし、レベルが上がるまでの経験値が可視化されて便利だなあと感心しましたね。

オタチとか鳥ポケモンとかをゲットし、ある程度レベルを上げ、最初のジムリーダーを倒したあたりで、友達が帰る時間になったので、セーブせずに電源を切って返しました。昔のゲームなのでセーブデータは一つしかありませんから、当然ぼくのデータを残すことはできません。なのでぼくのポケモン銀の最終履歴はワニノコでジムバッジ一個です。それもまたいい思い出です。\(^o^)/






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