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世界で自分が一番最悪な人間に思えても【映画『わたしは最悪。』を観て】

タイトルを見た瞬間、自分自身を「最悪」だと思えた数々の出来事が、頭の中でフラッシュバックした。

そうだ、自分自身を「最悪」だと思えるような出来事を何度経験してもなお、私はまだ、みっともなく生きている。

この映画の主人公は、どうだろう。
一体どんな「最悪」を経験してきたのだろう。

そんな思いで映画館の席に着いた。

以下、ネタバレを含む感想や考察を述べていきます。 

ユリヤという主人公について

オスロの美しい空の下、主人公のユリヤが1人佇んでいる姿から物語は始まる。

その表情は不安そうで、不満そうで、「ここに自分はいていいのだろうか」なんて答えのない問いを自分自身に投げかけているように見えた。
この映画がどういう映画かをワンシーンだけで表現している、素晴らしい冒頭だと思う。

ユリヤは決して能力がない人間でもないし、努力ができない人間でもない。
そして、周囲の環境でもユリヤを阻むものはおそらくない。
母の「やってみればいいんじゃない?」という一言はユリヤの背中を押してくれていたはずだ。

それなのに、ユリヤは自分の人生に満足できない。
自分がやりたいと思ったことを、やりたいようにやっているはずなのに。
それが「正しい選択」であり、幸福な状態であるはずなのに。


「一体何が不満なのか?」
そう、彼女自身も思っただろう。
満たされている状態のはずなのに。
自分は美しく、才能もあり、努力もできるはずなのに。

なぜ、いつまでも自分は人生の脇役のような気分なのか?
なぜ、いつまでも自分は自分の人生を肯定してやれないのだろうか?

恋人のアクセルについて

仕事がコロコロ変わるように、恋人もコロコロと変わってしまうユリヤだが、年上であり、グラフィックノベル作家としての才能もあり、頭も良く、人生経験が豊富なアクセルと付き合うことを選択する。

父親との関係が上手くいっていないからこそ、年上の男性を求めたのではないか。才能のある人間と共に暮らすことで、自分自身も成長できると期待したのではないか。
そんな気がする。

実際、アクセルと暮らし始めた当初は順風満帆な日々が過ぎていったのだと思う。
しかし、お互いの家族を知り、自分たちの「これから」を考えたときに、ユリヤとアクセルの思いはすれ違う。

ユリヤの両親は、別居しており(離婚までしてたかな?)、関係はとても良好とは言えない。
そんな家庭で育ったユリヤが、自ら家庭を持つことに自信を持てないことは極々自然な感情であると思う。

対して、アクセルの両親は、母がヒステリックになりがちなのに対して父がしっかりと支えることで、お互いに喧嘩することはあっても、共に暮らす選択肢を選んでいる。また、アクセル自身も子供が好きであり、子供たちと過ごすことに幸せを感じている。
そんな家庭で育ったアクセルがユリヤと家庭を持ちたいと願い、「妻」や「母」といったポジションを求めるのも当然だと思う。

しかし、ユリヤはそれを「まだわからない」と言い、拒否する。

ユリヤとしては、「妻」や「母」になる選択肢を選ぶことが正しいのか、まだ判断できないから、待ってほしいという思いだったと思う。

しかしアクセルは言う。
「きみは一体何を待っているつもりなんだ?」

待てば何か変わるのか?決心がつくのか?
20代後半にもなって、まだ何か変わると期待しているのか?
40代になっているアクセルだからこそ、の言葉だと思う。

実際それは正しいのだ、きっと。
年をとったからといって、何かが変わるわけではない。
誰かが「自分の人生に満足できる選択肢」を提示してくれるわけでもない。
それは、何度も仕事や恋を転々と変えてきたユリヤが一番よくわかっているはずである。

結局、自分自身で正しさを祈りながら、選択するしかないのだ。

だからこそ、「お互いの家庭」という変えることのできない「違い」が、それによる「人間性」の違いが、ユリヤとアクセルの間に立ち塞がったとき。

やはり、彼らは一緒にはいられなかったんだろうな、と思う。 

「愛しているけど、愛していない」

活躍するアクセルのそばにいることが耐えられなくなり、パーティーを抜けだし、1人きりで歩き続けるユリヤ。
オスロの風景を眺めながら、思わず涙がこぼれる。

「自分はいったい何をしているのだろう」
「彼を愛しているはずなのに、どうして彼の成功を喜べないのだろう」
「なぜこんなに虚しい気持ちにならなければいけないのだろう」

言葉にしていないはずなのに、彼女の思いが伝わってくる。
映画ならではの表現だと思う。

どうしようもない虚しさ、寂しさ、孤独感。
世界で自分が一番最悪な人間になったような気分。
「正しい選択肢を選んだはずなのに」
「また、自分は間違ってしまったんだろうか?」

「誰でもいいから、誰かに必要とされたい」
そんな思いで、見ず知らずのパーティーに飛び込む。
そこで、ありのままに話すことのできる魅力的で若い男性であるアイヴィンに出逢う。

思わず思う。
「ああきっとこれは運命の出逢いだ」

願わざるにはいられない。
「彼に逢いたい」「彼に触れたい」「彼を自分だけの物にしたい」

「最悪な選択肢」だなんてことは、分かりきっている。
アクセルを裏切る選択だ。非難されるべき選択だ。
それでも、きっと自分の人生の主役になるために、自分の人生を肯定するために、この選択をすべきなんだ。
そんな思いに突き動かされ、アクセルに別れを告げる。

「俺が何かしたのか?」
別れを告げられた際、アクセルは思わず口にする。
ユリヤが世界で一番最悪な人間に思えてくる。

怒りに身を任せ、ユリヤの人間性を、選択を否定する。
「自分は何も悪いことをしていないのに」
そんな思いだったのだろう。

しかし、どうしようもないのだとユリヤは思っただろう。

彼の才能や人間性において、愛している部分だってある。
アクセルが何か、決定的に悪いことをしたわけではない。

だけど、どうしても許せない部分だって、
自分が、彼が変えられない部分だって、同時にあるのだ。

時が解決してくれるものでもない。
わかっている。

だからこその「愛しているけど、愛していない」なのだと思う。

アイヴィンとの暮らし、そして。

アイヴィンと暮らし、ユリヤは満ち足りた毎日を送る。
「ああやっぱりこの選択は正しかったんだ」そう思えてくる。

だが、望んでいなかった妊娠が発覚する。
「子供を産む」か「産まないか」という選択肢がユリヤの前に立ちはだかる。
「まだわからない」としていた現実に向き合わされる。

加えて別れた元恋人のアクセルが病気で入院したことを聞き、心が揺らぐ。
「彼と別れた選択は正しかったのか?」
そんなふうに思えたんだと思う。


実際、病院で出会った際のアクセルはユリヤのことをまだ愛している。
そして、その言葉はどこまでもユリヤの背中を押すものだ。

「君はいい母親になるよ」

きっと、思わず出た言葉なんだと思う。

別れたあの日はユリヤが世界で一番最悪な人間に思えた。
自分から離れたことを一生後悔すればいいとすらアクセルは思っただろう。

それでも、自分はもうすぐ死んでしまうから。
妻になるか、母になるか、そのどちらにもならないか。
それはユリヤが選ぶべきことだ。それでも。

新しい命を宿したユリヤにかけるべき言葉として、彼が発した言葉はきっと、子供を望まないアイヴィンからは決して出てこない言葉であり、ユリヤの心を大きく動かすものだったんだと思う。

「最悪な選択」をしてしまったとしても。

アクセルが危篤状態にあることを知っても、ユリヤは病院に向かわない。
アクセルの最期を看取るという、「正しい選択」を選ばない。

逃げるように街を歩き回るという、「最悪な選択」をしてしまう。
世界で自分が一番最悪な人間に思えてくる。
あのオスロの風景を見ながら涙を流した日から、随分時を経たはずなのに。
あの日と同じように、朝日を眺めながら涙を流す。

自分が書いた文章を見たアイヴィンの褒め言葉に対し、怒りを露わにする。
アイヴィンの生き方を否定するような言葉を思わず浴びせるという「最悪な選択」をする。

思わず思ってしまった。
結局、ユリヤは何も変われていないのではないか、と。
このまま彼女は、いつまでも自分の人生を肯定してやれないまま生きていくしかないのか、と。

それでも、映画のラスト。
おそらく数年後のシーンが映し出された際に、その予想は覆された。

カメラマンという、風景であれ人物であれ、写す相手がいなければ成り立たない職を生業にしているユリヤ。
アイヴィンとは別れ、1人で暮らしている。
冒頭の不安げな表情とは対照的に、真っ直ぐな意志を感じる表情。

「最悪な選択」を繰り返ししてきた。
世界で自分が一番最悪な人間に思えるような日を何度も経験した。

それが「すべき経験」だったのかなんて、わからない。
今自分がしている選択だって、正しいのかなんて、わからない。

もっと上手くやれたんじゃないか。
あの日、自分が、彼が、傷ついた事実は消えないのに。
これからだって、きっと「最悪な選択」をする。
その選択を後悔することだって、きっと何度だってある。

それでも、ユリヤはきっと、そんな自分の人生をやっと肯定できるようになったのではないかと思う。
「最悪な自分」を、やっと許せるようになったのではないかと思う。

まだ私自身は、ユリヤのように自分の人生を肯定できていない。

「それでも、いつかはこんな未来を願ってもいいんだろうか。」

そんなふうに思わせれてくれる、とてもいい映画だった。

書ききれていないが、演出面でも色々と気になる部分があったため、また配信等で見直したいと思います。

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