「話を聞く」とは何か

「話を聞く」というのは、案外に奥が深い行為ように思う。

ただ、ふんふん、と相手の話を聞いているだけでは、一方的なお説拝聴になってしまい、話を聞いていたはずが、気づけば自分の話ばかりをしている、ということもある。

「聞き上手になる方法」という類の本は、世にわんさかとあるのだが、そこあるのは「相手にしゃべってもらう方法」であり、本質的なものは少ない。

いいかえれば、「相手に興味を持つにはどうすればよいか」というポイントを示しているにすぎず、会話をテクニカルなものに落とし込んでいる時点で、むしろ「話を聞く」という行為から遠ざかっているのではないか。

他者と自分理解の場をいかに築くか。こぼれ落ちた言葉を受け入れる行為がもたらすものとは何か。そんな問いに挑んだのが、鷲田清一の『「聴く」ことの力』である。

<話すためには、まず聴かれなければならない。話はつねにだれかに向けてなさせるものだからである>(本書より)

思うに「聞き上手」とは「再構築上手」ではないか。相手から聞いた話を、自分の言葉で再構築して投げ返しながら、自分の考えもまた深めていく。他人の気づきから、自分に気づく。その繰り返しなのかもしれない。

(著述家/真山知幸)

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