掌編 強盗

「仕事を出せ!」

 出せと言われて誰でも出せるのであれば、プロのアダルトビデオ男優はいらない。プロの男優だって、そいつだけでは輝けない。

 無職の私が言うのも変だけど、仕事ってのは沢山の人の協力が必要っていうことに他ならないと思う。   

 今日、拳銃片手にハローワークにやってきたのもそういう訳だ。無職の私を助けてくれる素敵な肝の座った協力者、そいつを探しに。

 もちろん出せと凄んですぐ望みのものが転がってくるとは、私だって考えていない。まずは交渉のテーブルに着くために出せと伝えた次第だ。

 そもそも、言葉は信用できない。「出す」「出る」なんてもってのほかだ。

 蒸気と歯車で出来た体、そしてその熱量に脳を侵され十二分な技術を持ち、「こいつは、中々のものなんじゃないか」と感じた男が「出すよ!」と叫んでからまぁ長かった。

 こちらとしても、タイミングを整えていたのに、その「出すよ!」で出ないのは困る。

 最終的には「出すよ、出すよ出していい?いいの?どこに出すの?どこ?ねぇちゃんと言って、ああだめ、もう出るよ出る出るデッ…出すよ!出すからね!いい?」って感じだったのでもう、私も訳がわからなかった。

 ※デッに合わせたのだが失敗した。

 そんな様々な「出すよ」を笑顔で許してきた私が「出せ!」というのであるのだから、

 中々重みがある、少しは期待してもいい、筈ではあるのだが、拳銃を突きつけたこの男はなんでこんなやる気が感じられない顔なのかしら。

 私の、次の仕事がかかってるんだぞ。ヘッドフォンのボリュームを最大に上げた。頭がパンクする前に終わらせたい。言葉は信用できない。どうせ欲しいものは出てこない、ならばこの場をグラグラに揺さぶって自ら掴もうじゃない。

 正直に言おう、俺は油断していた。

 俺の窓口なんていうのは、ハローワークの中でもニッチというか、職を斡旋するというより、なんだ、履歴書添削とか面接対策とか、適当なそれらしい事を言う部署だ。格ゲー攻略の方が、キャラがさだまっている分よっぽど正確だ。

 だいたい、派遣社員の俺に人様の就職のアドバイスなんて出来るわけないだろう。新卒者向けの本を毎年書店で買って、そこに書いてある事をそのまま読んでいるだけだ。

 嗚呼、俺は油断していた。

 油断の前に、まずオナニーをしていた。

 誤解しないでいただきたい、俺は性的に倒錯しているわけでも、前頭葉に損傷があるわけでもない。

 男にとっての吐精は仕様が無いんだ。神様も設定し忘れたランダム関数。そうに違いない。

 俺だってどれだけ性欲と手を切りたいと思ったか、しかし、最近世の中の女の子は可愛すぎる。

 なんだ、なんでお前らはハロワに来るのにそんなかわいいのだ?

 必要な書類を毎回持ってこないのは、好きなのか?そんな事、ある訳がない。

 通常であれば判断出来るだろうが、精巣の隆盛によってはブレーキが壊れる。

 性欲とは砂場に似ている。城のそばに池をこしらえたり、幾重もの河をくり貫いたりしても、次の日には砂場は元通り。

 いや、そうじゃない、奥底に沈んで、腐ったり、変質したりしながらも、日々は少しずつ少しずつ積み重なっている…。

 表面上はカラカラだ。性欲とは、砂場だ。

 一週間前に偶然目撃したパンチラ、次の日にはもう忘れていた、しかし、突然、残業終わりの副都心線を降りたら、鮮烈なその記憶と共にアロマ企画のアダルトビデオを探っている俺がいる。そんなもんだ。そんなもんだ。が、その日の俺はアクセルも壊れていた。

 加速も減速も出来なくなると、どうなるか、どうでもよくなる。どうでもよくなると俺はどうなるか、職場の窓口で自慰をする。

 もう少し、もう少しだなんて励んでいたら、内気そうな歯科女子でもどうかしらんな女の子がこっちに来た、さて、そろそろ仕舞うか。残りは家で。エネルギーを股間から脳へ、なんて塩梅の時に。

 「仕事を出せ!」

 漸く頭に入ってきた、どうやらあの子は仕事を出せと叫んでいるみたい。拳銃を突きつけながら…。

 仮に、仮にあの銃が本物だとしても、ロビーに居るお客様、私の前に居る職員、その数からしておとなしくしておけば、私が怪我することってたぶん無いな。

 自分でも幼稚というか、どうかと思う。なんていうのは三十二歳で置いてきた。

 きっとこのまま結婚できないこと、母親が躁鬱病になってから自分の成長がとまっていること、二十歳の時みたいに色んな顔を持つことができなくなっている事。自信のつけかたをどこでも教わってない事。毎日のご飯の美味しいこと美味しいこと。

 ふと見ると、銃をつきつけられたコウジ君が、机の下で勃起していた。それも中途半端な形でなく、完全版で。

 やめて欲しい、いや、性癖を責める気はないんだけれども、波風をたてないで欲しい、私に。

 だってだって、もう私は諦めているんですよ?本当は諦めたくないんですよ?色々おもうところあるわけなんですよ。私にも。

 でもねでもね、あの梅雨時から母娘の呪いが完全に私に染み渡ったときから「職場では奴隷のように、粛々と働こう」「家に帰ったらお母さんの言うことを聞こう」「自分へのご褒美に、好きなものを食べよう」の繰り返しでなんとかどうにかやってきたのに。

 今だって、頭の中でたくさんの私が呼び込みをしている。ハズレも多いが、本当に自分がやらなきゃいけない事がゴロゴロ転がってそう。

 けれどけれど、そういった全部を律して、早く家に帰らなきゃ、がんばって仕事をしなきゃと我慢しているのに。どうしてそんな面白い事をするの?

 腹が立つ。身勝手だ。でもまだ我慢できる、水面張力ギリギリで自律できてる。これ以上チップが乗らない限り、キャッチセールスに捕まらずいつも通り終われる。家に帰ったらご飯を食べながらお母さんの愚痴を聞こう。

 早く帰らないとまた電話がかかってくる…。

 嫌な予感がした。机の携帯が目に入る。食卓のテーブルの前に、別卓に賭けのご用意がございます。今の私の着信音、エイフェックス・ツイン。

 「出せと言われましても、まずはあの求人検索パソコンで」

 「馬鹿にしてるのかあれ、指の脂でベトベトなんだよ、朝一番でも。拭いてないのか」

 「いや、そういうわけでは」

 「拭けよ。出せよ。なんだお前、私を舐めてるのか」

 「ちがいます」

 「働きたいんだよ、もう二十八歳だぞ。正社員になりたいんだよ、正しい社会の一員に」

 「僕もなりたいです」

 「意味わかんねぇよ」

 「派遣社員なんです。特定なんです。」

 「じゃあ偉い人、仕事出せる人出して」

 「僕はシャンプーが得意です」

 「…」

 「この前、フロントガラス粉々の交通事故にあってから、ガラス片だらけの頭でも、痛みも無く、きれいに」

 「仮に私に役に立つとしても、あと四時間後ぐらいだから、それ。早く出せよ!あるのは知ってんだ!お前、時間って前に進むだけって知ってる?」

 チクショウ、逃げたい。勃起が収まらない。逃げられない。どうしたらいい、脳に血が回らない、何故か逆にリラックスすらしている。

 昔彼女に首を絞められながらセックスした時も、こんなフワフワしてたなぁ…そういう事かぁ。あ、この曲かっこいいな。

 鳴ったよ。ディスプレイ「母」だよ。もう、駄目だ。限界、越えてしまった。携帯を左手にスッと立ち上がり、私は拳銃女子とコウジくんの元へと向かった。

 もしかしたら今日だけじゃなくて、ずっとギリギリだったのかも。我慢できない、したいようにしたい。お母さん、毎日、泣かないで、私から泣き顔を奪わないで。

 何してるんだろう、私、危ないよ。大丈夫かな。もう遅いか。

 あ、今日結構食い込む下着を穿いてる。朝から全然律せて無かったのか。じゃあ、しょうがない。

 何はともあれ、無礼にならないように紹介から始めよう。

 「この曲は、「ON」といいます。」

 やっちまったな、ケイコさん。脳が無い俺でも分かる。そりゃ悪手だ。

 この建物の入り口から、ずっとあんたを見ていた俺にはわかる。

 家に問題を抱えていても、顔には出さず、精一杯働いて、毎日俺に水をくれていた。几帳面な正確で、鉢いっぱいまで水をくれた。根腐れだ。

 それも良い思い出。あんたは良い奴だ、俺が保証したい。俺が光合成する時は、あんたの周りにいつだって沢山酸素を出してあげたい。

 社畜、奴隷、就職自殺、殺伐とした世で園芸作業の求人ばかり人に勧めるあんたが好きだ。自然と働くのは良いよ…変だけど、間違っていないよ。

 いや、分かってるって。今、ピンチなんだろう。あんたがそんな冒険に出るなんて。助けてやりたいが、俺は入口横に配置されてるから。

 ズン、という衝撃の後に音が来た。ヤバイ、ホンモノの銃だ。威嚇だけでは終わらない、そんな目つきで観葉植物の鉢植えを撃ち抜いた女が私に向かい合う。でもなんだろう、今日はお母さんの話を聞かなくて良いかもしれない。良くないないんだろうけど、良いかもしれない。

 「何、うるさいな、あんた、偉い人?」

 「平社員ですけど」

 「そんなに楽しいの?」

 「え、どういうことでしょう」

 「あんた、早く帰りたいんだろ、今はもう違うみたいだけどさ」

 「よく見てますね」

 「ムカつくんだよな、こっちは必死だよ。

  私は分かんだから。いつも。何その、暖色で、頭のなかに素麺でも詰まっていそうなテンションと思考。きもちわる」

 「働かなくてもいいと思うんです」

 「別に、あんた死んでも私逃げ切れるよたぶん」

 「馬鹿にしている訳じゃなくて、本当に」

 「バカにしてんでしょ、過労死のニュースで、偉い人が言ってたよ、現代の奴隷って、じゃあ奴隷にすらなれない無職の私はなんなの?答えられるの?考えてんじゃねぇよ、マーヴェルヒーローズかお前は」

 予想以上にヴェルのところの発音が良くて、ちょっと面白い空気になっちゃったわね、私、思う。そう、ペン挿しの中で。

 嗚呼、頭がよく回る。コウジさんにインキを補充してもらったからかしら。こんな時でも堂々としてるコウジさん、今日も素敵。

 私達ボールペンは、リフィルインキが満タンまで充填されていれば、人間のミスなんて直ぐわかっちゃう。君たち、履歴書書いてて間違えたって思ってるかもしれないけど、それ、私が気づかせてあげてることに、気づいてね。

 「うっさいんだよ!ほんとうに!」

 ミキが振り上げた銃床がコウジの机上のペンに叩きつけられた。インクがはじけ飛び、リノリウムの床を汚す。その床から、五十センチ程上、破壊による刹那の静寂で、パリッと乾いた音を鳴らした天井の蛍光灯から二メートル下。強盗開始時より未だ大音量、音漏れの激しいミキのヘッドホンから前方へ六〇センチの位置にあるコウジの陰茎は急いで仕舞おうとしたもんだからチャックに噛み、自分の意志とは無関係に強烈な存在感を固持していた。固持するだけならまだしも、ケイコの携帯から響く「ON」に合わせて蠕動し、充血、うっ血状態。もはや、脳は下半身にあった。

 「本当に、嫌いだわ、お前ら。私が最初の仕事、残業し過ぎでやめた時、失業保険出さねーし。もう、撃つわ」

 「馬鹿にしてるんじゃないんです」

 「頭割って、流し素麺しようか、オバサン」

 「違うの、最後まで聞いて、あなたは、誰かの下で働かなくても良いと思うの、だってとても耳が良いじゃない。他にもきっと色々あるわよ。ねぇ、コウジくん」

 「……はぁ、いやー……まずはハローワークカードを出して貰わないと…決まりなんで、…自分、これフケじゃなくて、フロントガラスですから」

 「そういう、杓子定規なやり方は、駄目だよ」

 「はぁ…すんません」

 「コウジくん、コウジくんの仕事のやり方って…いつもそうよ」

 「はぁ…でもまぁ、給料貰ってますから、許されてるんじゃ無いかな」

 「許すとか、許さないとかじゃなくて、ちゃんと自分の意思でさ」

 「いや、でも、マニュアルに…怒られたんで…」

 「怒られてもいいじゃない、というより、もう既にお客様怒ってるじゃない。ごめんなさい、まだ撃たないでね。」

 「もう無理。5。」

 「うーん、そうですね、分かりました、あ、すいませんでした。気をつけます。」

 「そうじゃなくてさ、私達二人でさ、個性的だけど、探してあげないと」

 「4。」

 久しぶりの自由時間は短かった。

 たぶん、この人が数字を数え終わったら私もコウジくんも死ぬ。お母さんの事がまた心配になってきちゃった、やっぱり呪いだよ、母から娘への愛情。「3。」でも死に際でようやっと自分で考えて自分で選ぶこと、出来たのか。そう考えると、嬉しいやら悲しいやらで、ふははっ、何か笑えるな。わたし。「2。」

 やっぱりかわいいよな、この子。黒髪のロング、好きなんだよな、笑えばもっとかわいいと思うのに、もったいないな、うん、チューしたい。「1。」ああ、もう。可愛いなぁ…笑ったとこが見たいなぁ…前髪がパッツンなのもいいなぁ…笑いかけてみようか、よし、笑顔「0。」

 弾丸は撃ち出されず、空包の残響の下、最後にミキが笑った。

 「一緒に強盗しようか。大丈夫、私は心が読めるから。大成功するよ」

 「え?」

 「ハロワに来てよかった。次の仕事がみつかりそうだ」

短歌と掌編小説と俳句を書く