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エッセイ「ご馳走」

仕事がひと段落したこともあり、お疲れ様の意をこめて後輩を食事に誘った。飲み会はコロナ前ほどではないが普通にあるし、そういう時少し多めに会費を徴収されるほどには歳を食った。とは言え、自分から誘うことはほぼない。

今回のように、仕事がひと段落した時や送別か何かのタイミングで「じゃあ」と誘う。職場の人との距離感は、とても大事。

誘う時、死守していることがある。

① 誘うのは年2回まで。
② 誘う時は基本ご馳走する。
③ 2次会は誘われても行かない。

自分でも面倒くさい奴だなぁと思う。私が20代の頃、上司の飲み会に付き合う機会が今よりも格段に多かった。前職の仕事柄のせいも勿論あるが、上司より先に帰れないので帰宅はだいたい午前様、なのに次の日は朝から普通に仕事。スナックのママに心配されて温かい牛乳を出されたこともあるし、タクシーの運転手さんに叩き起こされたこともある。しかも割と、何度も。

当然たくさんのおじさん上司達はごちそうしてくれた。貴重な話もたくさん聞いた。しかし失われた肌の美しさと、20代の夜は戻らない。

そういう経験から後輩を安易に誘わないことに決めている。誘っても半年に一度程度、こちらが全て負担して、二次会も行かない。誘われても行かない。あくまでも仕事で、あくまでも仕事仲間だから。

しかし「誘う」=「ご馳走する」からには美味しいものを食べさせたいという老婆心が働く。未だ知らぬ味に出会い、口に入れるもの、身体を作るものに、こだわってほしい。それはあの頃、おじさん上司達に教わった、数少ない教えのうちのひとつだから。あ、「数少ない」とか言うと怒られそう。

そんな自己満足な想いを抱えて、最寄り駅から程近い焼き鳥屋さんにお店を決めた。わたしが10代の頃からある、古いが美味しいお店だ。何度か代替わりをしているが、味もお酒も間違いない。

料理は絶品で、しこたま飲んだ。
さてお勘定をというタイミングで店主に言われる。
「ごめんなさい、レジの調子が悪くて、現金でいただいてもいいですか?」

驚愕である。焦りで手が震える。
お財布に入った現金では全く足りなかった。

「あ、出します出します」と、後輩全員から現金を渡される。
「ごめん、本当ごめん!そんなつもりじゃ」
「え、なんでですか?」
「気にしないでください!」
「自分の分は自分で払いますよ!」

ひとりアワアワしてる間に、お会計完了。
「今日はありがとうございました!」と頭を下げる面々。

やめてくれ。
少しくらい、わたしにも、カッコつけさせてくれよぅ。

普段からちゃんと現金を用意しようと心改めた一日になった。
「ご馳走するから」と大風呂敷を敷いた手前、とにかく恥ずかしかった。

近いうち、今ではすっかりおじいちゃんになった、かつてのおじさん上司達に、聞いてもらおう。お酒の席で笑い話として成仏させてもらおう。

かつて教わった美味しいお店で、美味しいお酒のグラスを傾けて、かつての企業戦士達はきっと「まだまだお前も青いな」と、笑ってくれるだろうから。


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