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妊娠初期まとめ

妊娠初期の過ごし方についてまとめます。
自己満な備忘録です。

妊娠前の私の状況

日本で過ごす妊娠初期は、本帰国後5か月後×フルタイム復帰後、という生活の最中でした。合わせて直近1年の間に手術を2回経験しているので、もはや何が起きているのか身体は大混乱状態だったようにも振り返っています。

気持ち的にはこんな感じだった、
と箇条書きで振り返ります。

✅新しい生活からの、母国への逆カルチャーショック中。日々の生活が整うまで、そしてそれに慣れるまで時間がかかる。変化に対し、がむしゃらに体力勝負で乗り越えられず老いを痛感。

✅久々の職場復帰。前に働いていた会社とはいえ、職場環境は前とまったく同じではない。休職制度があるだけありがたく、ワガママは言っちゃいけないけど、こんな何年も休んだ奴を受け止める側の体制が整っているわけではない。そして味方も理解者もいない孤独感。

✅1年中南国なフィリピンから、本帰国。秋に本帰国したので日本はどんどん冬になる。最初の冬、まじで寒い。着るものも履くものもないし活力も奪われる。身体だけでなく心も凍てつく。さらには春が来て、四季の変化についてゆけない。

✅体調不良再発。通院も手術もして満身創痍。投薬で副作用が出たり、復職後まもないというのに通院や手術で職場を休むことに引け目を感じることだらけ。思うように息抜きができずメンタルが安定しない。

✅繁忙期突入。復職して仕事に向き合えるから頑張りたいという気持ちがあるのに、どれだけやっても仕事が終わらない。何かがいけないと思って環境を変えようと努力していたけど、時間が足りなくてもがきまくって空回り。



妊娠発覚後の悪阻開始

そんなこんなの毎日のなかでしたので、
陽性反応も冷静に慎重に受け止めていたなかの悪阻。

私の場合は「気のせい‥?思い込み‥?」と思うくらいに早めにやってきて、食べられるものが限られてしまいました。

実はフィリピンでも妊娠初期を経験しているのですが(妊娠継続はできなかったけれど)、そのときは毎度食べつわりだったのでもりもり食欲旺盛で、心配はあるものの比較的元気にしていました。

ところが!!!
今回は食べたいモノが本当にないし、常に眠いし、だるい。

「もはや何かのストレスなのかも‥?」という気持ちもあって大混乱していました。

個人差はあると思うのですが、私は食べられるものがとにかく日替わりでした。「食べられる!」と思ったものが口にすると全く受け付けなかったこともありました。

夫には毎日買い物へ行ってもらうことになりましたが、頼んでおきながら食べられなかったり、昨日食べられたものが今日はもう要らなかったり。どんな暴君よ、と自らを省みています。夫は文句も言わず、毎晩買いに行ってくれていました。
(夫よありがとう😢)

そんな私が、食べられたものは以下の通り。

ずっと食べられたもの

✅スイカ
✅トマト
✅キウイ
✅バナナ
✅サンドイッチ
✅カリカリした梅干し

時々食べられたもの
✅マックのポテト
✅こんにゃくゼリー
✅酢飯
✅納豆巻
✅冷やし中華
✅餃子

そうそう、餃子。
なんだかよくわからないけど、唐突に餃子が食べたくなり、ひとりで大量に作りまくった夜もありました。
それも、ただ「餃子であれば良い」というわけではなく、お店のテイクアウトの餃子は味が濃くて食べられない、スーパーのお惣菜は臭い、冷凍餃子は脂っこくて受け付けない・・などという、どこぞのお嬢さまのようなことを感じてしまい(普段は超絶庶民)、自己流にて作りました。
身体も通常稼働ではないから、作るにもノロノロ時間をかけて作りまして、冷凍して少しづつ食べました。


手づくり餃子

こんな偏りまくる生活だったし、体重も減ったため、赤子に悪影響がないか不安にはなりましたが、医師曰く、大丈夫な範疇とのことで過剰に不安にならぬように過ごしました。

食べるの好きな私が、日常生活において食べることもままならず、食べるものを選ぶ楽しみも奪われる。私の数少ない趣味のひとつである料理もできず(頭が回らなくて献立が思い付かない、匂いで気持ち悪い、立っているのもつらい)、生活基盤が整わず、しんどかったですかね・・

つらかったことを書いていますが、酷いかたは入院したり休職されたりすることもあるそうです。私は入院には至らず、有休を切り崩したり在宅勤務を活用したことで、そういった状況にならなかったことはラッキーなほうだったと思います。
また、つらいししんどかったけど、今までのあれこれと比べると、悪阻のあることは赤子が無事育っている証拠だと思えて、だいぶ精神的には楽だったかもしれません。(喉元過ぎて忘れただけかも?笑)

初期の手続き関連

 

そんな不安定極まりない日々のなか、迫り来る手続き関連。

「心拍確認を目処に妊娠届を出して、母子手帳をもらわねば~~~!」という意識はあったのですが、悪阻により、とてもじゃないけどお役所まで行ける気がしない🫠妊娠は病気ではないとはいえ、病気ではないからこそ薬などで押し込めることもできません。

電子申請はかえって手間だったため(住まいによって異なるらしいので詳細はwebにて)、私の場合は、代理人申請にて取りに行ってもらいました。

諸々説明を受けてきて手続きしてもらいましたが、窓口は平日日中しか開いてないし、受け取った説明資料はすべて紙。提出書類も各々手書きで、説明もわかりにくい。いただいた資料のなかには妊婦健診の受診票があり、こちらも類に漏れず手書き。しかも複写。印鑑も必要な箇所があるという。イマドキ、YouTubeで確認したり、アプリとかでちゃちゃっと入力できたりしないのかしら。

身体の作りからして、身体のことは女性が経験し乗り越えるしかない(男性にはできない)としても、こういう手続き関連は男女関係なくできるからこそ男性に肩代わりしてもらいたいんだけどな。でも、きっと妊娠の過程で女性がやることありきなのでしょう。

きっと何かに好都合なんだろうと信じるけど、
不都合極まりなく時代錯誤なあれこれに、
大変驚きの連続でした~~~😮


緊急受診~妊婦検診

妊婦検診に入るぞ!というタイミングで、出産できる病院へ転院したのですが、大量の不正出血があり緊急受診。文字通り血の気が引きました。

出血したという症状よりも、精神的な半狂乱のほうが酷い状態で病院へ行きました。「着床出血?絨毛膜下血腫?流産・・?」と散々ググってしまいましたが、赤子は無事。医者からは、無理せず過ごすようにと言われ、その後ほどなくして症状は落ち着きました。

妊娠初期の診察は4wに1回程度なのですよね。病院通いが頻繁になりつつあった私にとって、妊婦健診は思ったよりも感覚が空く感じがして、毎日そわそわそわそわそわ~~~
お腹のなかが見えるわけではないので、常に不安だったように思います。

また、私は妊娠したら、心の安定のために、エンジェルサウンズを買おうと以前より考えていました。しかし、迷って迷って、やめました。


そして、妊娠の初期段階で、早くも決断を迫られたのは出生前検査と言われる、NIPT検査を受けるか否かということです。賛否両論あることは重々承知していますが、私は受けないことに決めました。ここについては以前から知っていた知識+αで念入りに調べたり、直接医者の見解を聞いたり、また夫婦で何度も議論を重ねた結果です。

広がる出生前検査(NIPT) 背景から見る課題と問題点とは - NHK クローズアップ現代 全記録

実は、私のなかではエンジェルサウンズを買わなかったことも、検査を「受けない」という結論に至ったことも、自分がかねてより想定していた方向性とは異なったものでした。何事も、そのときの自分にならないと、自分が何を大切にしたいのかなんてわからないものだなと改めて思います。

安定期に入るまで

自分の体調不良とうまく付き合いながら、通院にもこなれていきながら、いわゆる「安定期」までをひとつの目標に過ごしました。

妊娠初期は通院の回数も少ないし、体調が優れず、許される限りベットと同化している日々がほとんどでした。毎朝、トツキトオカやベビーカレンダーといったアプリで赤ちゃんの様子を確認することが日課になり、なんとも言葉にならない毎日を過ごしながら暮らしました。

そういう意味では、妊娠初期は1日1日が長く感じられたかもしれません。つわりがしんどくてあれこれ食べられそうなものを割高でも買ってしまって出費がかさんだり、体調不良や通院でこれまたどんどん有休がなくなってしまったり、なかなか友人からのお誘いにのれずに友達がいなくなるように感じたり・・。赤ちゃんのことを思えばどちらが大切かは言うまでもなく、ひとつひとつは些細なことではあります。しかし、そうした小さな喪失感の積み重ねはじわりじわりと私の日常生活を浸食するかのようでした。少しでも気分の良いときは、安定期に入ってからやりたいことをピックアップして、安静に過ごしていました。









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