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双子ベビーカー乗車拒否のニュースを読んで考えさせられた

少し前になるけれど、元バレーボール選手の大山加奈さんが双子の子どもをベビーカーに乗せて都営バスに乗ろうとしたところ、1台目は乗車拒否に遭い、2台目は乗せてくれたけども、運転手に手伝ってもらえなかったことをSNSに投稿したことに関して、ずっとモヤモヤしている。


色んな考えが渦巻くけれど、うまく文章にまとめられずに悶々として過ごしていた。


まだ頭の中がごちゃごちゃな状態ではあるけれど、何とか息子が寝ている間に書いてしまおう。


妊娠前後でこの記事の見方が180度変わった

何とも虫の良い話だけど、妊娠する前にこの記事を読んでいたら、「助けてもらうことをあてにするな」って思っていたと思う。

子どもを育てるということは、つまり手がかかるということだし、それが分かった上で子どもを作ったんでしょ?って思ったと思う。

確かにその通り、正論。

ただ、妊娠して、歩くのも億劫なくらいにお腹が大きくなった頃から見方が変わった。

まこと、調子の良い話だ。

早く歩けなくなって初めて、これからお年寄りがゆっくり歩いてても絶対にイライラせんとこうと心に誓った。

身体がうまく動かないしんどさが身に沁みて分かったからだ。

そして、子どもが生まれた。


抱っこ紐やベビーカーに乗せて信号のない横断歩道を渡る時、スーパーで購入した荷物を乗せたカゴを会計用の台に載せるとき、あぁ、自分ではないもう一つの命を守りながら生活するってこんなに大変なのかと実感させられた。


そんな時、早々と車が止まってくれたり、カゴを台に載せるのを手伝ってくださったりすると本当にありがたくて、人の優しさが身に沁みて、涙が出るほど嬉しかった。


今はそんな生活にも慣れてきて、大概のことは私や夫がいればこなせるようになってきた。

けれど、もし子どもが双子だったなら、もしくは年子だったなら、少なくとも私1人じゃ全く子ども2人の面倒を見切れないだろうと思う。

子どもじゃなくても、身体が不自由になったり、歳を重ねて身体を動かすことが億劫になったら?

人の手を借りずして暮らしていくことは不可能に近いんじゃないだろうか。

そして、そんなシチュエーションに陥る可能性は結構身近に潜んでいる気がする。


「人に迷惑をかけてはいけない」精神が骨の髄まで沁みている

とは言え、私たち日本人は生まれてから、親、学校の先生、テレビ番組などなど、あらゆる場面で、人に迷惑をかけるなということを100万回言われて育つ。

かく言う私も、世の中の見方が変わった!と偉そうに言ってみたものの、骨の髄までその精神が染み付いている。


大山加奈さんの投稿で私が1番モヤモヤしたのは、その記事に批判的なコメントをしている人のうち、子育て経験者、それも双子を育てた方からが少なくなかったからだ。

具体的には、
人が手を差し伸べてくれることを期待するな。
双子用のベビーカーでバスに乗るな。

などなど。


きっと彼らも人に迷惑をかけまいと必死で子育てをして来られたんだろうと思う。

その大変さたるや、1人の子育てで毎日白目を剥いてる私の想像を超える。
そんな彼らを心から尊敬する。


私はバレーボールを観るのが大好きなので、全日本で活躍され、パワフル加奈と呼ばれていた大山加奈さんのことはもちろん知っている。


身長187センチの高さから繰り出すスパイクは、とても重くてボールの音が1人違うのだ。

そんな人一倍パワーの持ち主である大山さんですら苦労されているのだ。
バスに乗ることさえも。


バスに乗ることってそんなに贅沢なことなんだろうか。


心身ともに自由に過ごせる人たちに迷惑をかけないために、我慢すべき行為なのだろうか。


人に迷惑をかけない精神は美徳だと思う。
日本の美しい文化の一つだと思う。


けれど、そのことと、
人の手を借りてやっとこさ最低限の生活を過ごせる状況にいる人たちに、迷惑をかけるな。と人の手を借りることに対して我慢を強いることとは別の話なのではないかと思えて仕方がない。


少なくとも私は子育てを通して、人の優しさでどれだけ心が救われるかが身に沁みて分かった。

だから、自由に生活できる大勢の人のために一部の人が我慢をするべし!側ではなく、

子育てをしていようが、身体が自由に動かせなかろうが、何も我慢しなくて良い!側の人間でありたい。

例えそれが短期的には全体の効用を下げることになろうとも、きっとそういう社会の方が私は美しいと思う。

1人の力ではどうにもならないけれど、そんな母の背中を息子に見せてやりたい。







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