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まっさらな日

── 今日は「愛は勝つ」歌ってる人多いんだろうね。

通信カラオケのランキングを眺めながら、店主が言った。

え~、そうなの?
と上の空で言って、手にしたハイボールをひとくち飲んでから、妙にざわざわした。ゴクリ、と喉が鳴った。

こっそりカウンターの下で「KAN」と検索して、訃報を知った。


ここ2か月くらい、飛ばし気味の列車にしがみついていた。

2017年この町に来た時、私は誰かが敷いたレールを降りた。
だからいま私の足元にあるレールは、自分で敷いたものだ。

自分の足で歩くと決めて7年目。
歩いたり走ったり躓いたりしながらすっかり履き慣れた靴。自分でレールを敷いて列車に乗ることも覚えたし、最近は乗りっぱなしで景色が残像のように見えることもある。

ここ2か月に限ったことじゃない、列車はたいていスピードを出しすぎる。

でも、それが嫌なわけじゃない。


久しぶりに列車を降りて、華金。

── 華金なんて、言わないよね最近。
── 今日これでおしまいだったらどうしよう。
── わ、貸し切りじゃん。
── 貸し切りだから、高いよ。

そんな他愛もない話をしながら行きつけで飲むお酒が好きだ。
こんな私でも大人になれたんだなあと思う。


KANさんの訃報が想像以上にショックだった話は、InstagramとFacebookに書いたので割愛するけれど、

推しは推せるうちに推せ。
好きなこと・もの・ひとは好きなうちに、好きなようにしなさい。

そんなメッセージだったのだと思う。


ほんとうに何にもないオフの日って、1か月に1日あるかないか。

メインのリモートワークと、週に1日の保育士勤務以外は「仕事」と呼ぶよりも「趣味」と言ったほうが正しいようなライフワークだし、デートだってそれなりにしているから、休みがないわけじゃない。
仕事も、今関わっているものはすべて大好きで、心からやりたいと思ってやれていることばかり。

けれど、誰かにとってのわたしという「役割」を意識する時間と、ただわたし自身のためだけにどんなことをしてもしなくてもいい「まっさら」な時間との違いは大きい。
たぶんわたしは、そんな「まっさら」な時間がないとだめになる。

そして今日がそれだった。

それなりに好きだったアーティストの訃報に気づかないくらい「役割」に没頭していたことへの贖罪のような気持で、昼まで寝た。
正確には、布団に入ったまま、流し損ねた涙を流した。

それから起き出して、湯につかる。
行きつけの温泉、というかスーパー銭湯みたいな、とにかく家の湯舟では「湯につかる」ことで満たしたいわたしのニーズが満たせないので、それが満たせる湯に、わざわざ車を走らせる。

のぼせると持病の片頭痛が発症するのでサウナブームに乗っかれない。
けれど、サウナブームのおかげで水風呂と外気浴を手に入れた。
長めに湯につかり、水風呂に一瞬入って、風に吹かれながら瞑想する。

頭がからっぽになり、ああ、しあわせだなあ。
と思うところまでがわたしの「湯につかる」だ。


心が悲鳴を上げているときと、心が満たされているとき、私は本屋に行きたくなる。

前者のときは背表紙をただただ眺めて、ゆっくりと店内を歩いて、心を落ち着かせる。
後者のときは気になる本をいくつか手に取って、備え付けのソファで眠くなるまで読み、たいてい1冊くらい買って帰る。

今日は図書館で借りた本があったので、カフェで半分くらい読んでから、それでも本屋に行きたくなったので立ち寄った。


カフェで読んだのは、
「ほしい未来」は自分の手でつくる(鈴木菜央)

ウェブマガジン「グリーンズ」を立ち上げた鈴木菜央さんの、グリーンズにまつわる話、実は読んだことがなかったので改めて。
いま一緒に働いている人たちが、グリーンズの関係者だったり同じ界隈だったりするので、読んでいるとほんとうに一瞬一瞬が目に浮かぶ。
すごく共感して、すごく刺さった。


本屋で読んだのは、
桃を煮るひと(くどうれいん)

こちらも気になっていたけれど読んでいなかった。今度紫波町図書館の「夜のとしょかん」というトークイベントに登壇されるということで読んでおきたいと思い。
岩手あるある、みたいなものを感じて嬉しくなる。不思議なほど親近感が湧く。
ああ、私は岩手が好きなのだなあと分かりきっていることを確認してじんわりとした。


明日からまた、頑張ろう。
わたしの人生をわたしらしく生きていこう。

そんな「まっさら」な日だった。


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