《普通》の中に物語がある

日本に住む人なら誰もが同意するであろう、東京に住むことで得られる利点。

それは、世間的にはどんなにマイノリティーな趣味や属性を持っていても、同志が「集まる」こと。

「私と夫と夫の彼氏」という漫画の作者さんと、きのコさんによるトークイベント
『「ポリアモリーな関係」を描く✕生きる 〜オープンリレーションシップの表現と実践を考える』に参加してきました。

想像していた以上に人数が集まっていて驚いた。マイノリティーの中のさらにマイノリティー、世間一般的にはなかなか理解されない話だろうと思っていたけれど、同じ単語に惹かれる者は「ちゃんと」存在している。

東京に来てから、ごった返す人混みを歩いていると、時々ふと思う。外見上は《普通》と何も変わらないように見える人の中にも、実は色んな物語や紆余曲折が潜んでいるのだ、と。

ポリアモリーやポリアモラスな関係性については以前から興味があって、きのコさん始め、ネット記事や、雑誌「現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在」など、一時期よく触れていた。

自分には世間で言われるところの、惚れっぽい性質があると思っているし、3年前でも10年以上前でも、一度好きになってしまえば、濃淡はあれど、ずっと引きずり続ける。

それに加え、3年前に激しい惹かれと挫折を経験したのを契機に、人間関係を継続する方法を模索し足掻く中で、ポリアモリーという生き方に出会った。

イベント内での説明によると、漫画「私と夫と夫の彼氏」は、夫が実はゲイだと判明するところから始まる作品だそうだ。
原作は未読だけれど、あらすじや物語の成立した経緯を伺って感じたことを記しておく。

左利きと同じ割合いるという調査結果もあるのに、実際は身近な人の中にもいるとは中々想定されない。そんな現実の中で、こうした物語が読者の視野を広げてくれたら、世界が今よりも少し、優しく柔軟になる気がする。

黙っていれば異性愛者だと思われる世界の中で、とかく特殊だと捉えられがちな同性に向く性的志向も、夫の彼氏との三者関係も、物語の中で、当事者同士の文脈の積み重ねにより、無理なく一つの物語として動いていく。

どの人も「自分にも相手にも無理なく」を追求した結果として、今の生き方に至っているのだろうし、もしどこかに無理がある関係や生き方ならば、いつか破綻してしまうのだろう、と感じた。自分にとっては、アサーティブな(自分も相手も尊重する)振る舞いの大切さについて、改めて認識する機会になった。

そして、イベント中にきのコさんが仰っていた通り、ある意味、必要に迫られてアクティビストにならざるを得ない人々もいれば、声は上げずに日々の生活を、ひっそりと営んでいる人々も存在している。LGBTQと括ってみても、実際には人の数だけ違う生活があり、人生がある。

今回の「私の夫と夫の彼氏」の他にも「つくたべ」しかり「恋せぬふたり」しかり、ある生活者としての性的マイノリティーを描いた物語が増えてきていることに、当事者の一人として、力づけられるな、と感じた。

《おまけ》
LGBTQ✕障害というダブルマイノリティー支援のクラウドファンディングの期限が迫っています。ご協力お願いします!
https://camp-fire.jp/projects/view/669460?utm_source=line&utm_medium=social&utm_campaign=line_sp_share_c_msg_projects_show 


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