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現地校に編入して驚いた話

はじめに

この文章は2つのNOTEを読んでもらうことで完結するようにしてあります。体力のある方は2つのNOTEでこの内容を読み進めてください。後発のNOTEは出来上がり次第すぐに公開します。

私が驚きという感情に注目する理由

この回では、私たちが持つ「驚く」という感情に焦点を絞ってNOTEを書いていこうと思う。「驚き」というこの刹那的とも言える感情に無意識的に向き合う人はかなり少ないのではないだろうか?なぜなら、それはとても瞬間的で突発的に訪れ、大抵その後にすぐ他の感情が「驚き」の感情を上塗りするからだ。「驚く」という感情は予期しなかったことに対して偶発的におこる反応である。要は期待していなかった何かしらのエピソードが引き起こす感情で自発的なものではない。その「驚き」をくれたエピソードが何だったのか?どうして驚いたのか?を掘り下げて考えてみると、意外と海外生活ないしは日本生活でのギャップに気づきやすくなるのではないか?と考えているのである。この「予期しない」という部分に対して、自分の辞書にないことであればなおのこと、良い悪いで簡単に判断して切り捨てるのではなく、その国の文化背景を考慮して逐一分析していくことを習慣化してみる。その結果、相手との関係や状況を自身の感情のみに囚われることなく処理できるようになる。小難しいけれど、分析すれば人は冷静になれる、そして相手の視点を加味して客観的に話す知恵や知識を取得することができるようになる。これを論破するために使う人もいるけれど、私たちはそうではなくお互いの良い塩梅を見つける技術を身に着けること、それが結果、多角的に物事を見る視点を養うことができる社会で需要のある人になるということになる。ここまでくれば、一方的で暴力的な議論をすることも少なくなるので途端に相手が受け入れやすい状況を作ることができるし、相手が仮に暴力的な議論をふっかけて来ても想定の範囲内の意見として大抵はいなすことができるようになるだろう。むしろ、そこまでを踏まえた会話なんかが相手とすることが出来るようになる。こうなれば、帰国子女が生きにくい世界を自分が誘発する可能性が限りなく抑えられるし、「海外ではね~」「日本はおかしいよ!」なんて場を白けさせるような言い方を相手を選ばずに言い出すなんてことがいかに自分で危ない橋を渡っているか自身でも自然に理解できるようになるだろう。

自分の思考基準をまず知ろう

私たちの思考癖たるものは、基本的に日本もしくはそれ以外をベースに構築されている。海外経験が長ければ「日本以外の国」のルールを模倣するし、日本育ちであれば日本のルールを模倣する。極めて当たり前のことだ。もちろん、どちらの国にも属さないというのもケースとしてはあって、どうもこういったケースが厄介そうだ。なぜなら自分の都合の良い文化を自分の都合が良いように選びながら双方の「いいところ取り」するからである。中学生以上の子は思考を少し深堀りして考えてみるといい。大抵の帰国子女はこの最後のケースに該当する。だからこそ私たちは疎まれやすい。生きにくい。そういった自分を客観的に知ることは嫌でも必要だ。

私が考える今の日本人の思考癖

そうはいってもこれは私たちだけに限らない。
お正月にハロウィーン、クリスマス。結婚式は梅雨なのに海外のジューンブライドが人気である。それに加え、暦は大安がいい。お葬式は仏教徒だが宗派はよくわかっていない。結婚式はチャペルでウエディングドレスをきてあげたいくせに、いざ友達がクリスチャンで毎週末教会でお祈りをしていますと言われると少し引いてしまう。私たち日本人は元からこんな人種ではないだろうが、好きなもの新しいもの流行っているものに敏感で無色透明、なんでも楽しそうなものは取り入れてその色になってしまう、カメレオンみたいな人種なのではないだろうか。これが私のもつ日本人のイメージだ。
それでいいじゃないか! Let them go. の精神で皆が行けば良いものの、なぜかお互いに監視の目を光らせて干渉し合う不思議なところがある。最近は少し国際化が進んで欧米以外の文化も積極的に受け入れる若年層が増えて来ているものの、やはり白人優位主義の思考癖があり、なんでも欧米が最先端だと信じている。そのように自国を後発的に思ってしまう一方で、アジア諸国では未だトップでいると信じてやまない。ここら辺はどんなに優秀な大学を卒業しているかとは関係しない印象がある。
何と言っても国自体が世界の出来事にとても関心がないに等しい。幼少時代からディベートする文化もなく、文字情報を受け取れる人が限りなく少ない。おそらく本を読む文化がないからだろう。ラジオ、テレビ、ネットニュースが短くて簡単で、そういったメディアからのみの情報で暮らしている。昨今中東問題がまた活発になってきているものの、そういった話にはてんで興味がなく、まるで他の惑星で起こっていることだと思っている。学校でどれだけの教師がこの話題を生徒に振るだろうか。その割になぜかハワイ関連にだけは興味が強い。海外旅行=ハワイ信仰が強く、何年たっても訪れる場所は観光マップに書いてある場所でほぼ一緒。行動範囲も限られ、冒険心は全くない。いつでもどこでもみんながやることと同じことを遵守することが乱れないルールを守っていく上で最重要項目だと思っている。
でもこういった安全で安心、確実で着実な文化が私たちの規律を守り、そして平和で安全な日本を作り出しているのもまた着目する点で、一長一短な部分でもあるのだ。これが思考癖であり、我々のベースになる文化だろう。

同じ場所に住み続けるとこの基準が安定する

日本や現地の子どもたちは、このベースを振り返る必要もなければ揺るがされる必要もない幼少期を過ごす。これは完全にアイデンティティ形成という観点において強みであり、同じ環境で生きてこれたからこその恩恵である。大多数はこれに該当するので、同じ環境で得る「普通」を確固たるものとして積み重ねていくことができる。これが精神的な安定を支える大きな柱であることは、自身のキャリアからも理解している。少しでも教育業界に身を置いて児童心理学などに触れる機会があった方はこの基盤が揺るがないことの大切さを知っているはずだ。

この基準外に触れたときの化学変化が私たちの強みでもある

当たり前じゃないものを、地盤が安定しない外国で幼少期に経験する。私たちの常識の基準から大きく逸脱したものや人、そして事柄に出会ったとき、私たちは想像を超えたその瞬間に「驚く」という反応をするだろう。先にも述べたとおり、この「驚き」という感情を小さいころから連続的に経験し、受け皿を磨きつづけたのが私たち帰国子女という存在なのかもしれない。どちらを基準にするかは別として、日本と海外の狭間を彷徨う人生がゆえに必ずこの感情には私たちは国を越えたレベルで出会っているはずなのだ。
それは例えば当たり前にある国や地域ごとのルールに繋がっていく。そこから派生する驚きイベントに向き合うこと。自分の常識と比較して分析しながら新しい相手と上手く付き合っていくこと。それは、日本人であるけれど日本人として生きられない、帰国子女であるがゆえに日本人になりきれない私たちが匠になれる部分ではないだろうか。これをダイバーシティ、多様性を受け入れるなんて言葉で今の世の中はよく表現する。
何とも言えぬ中間でいるという私たちの経験は、我々に様々な角度から物事の仕組みや、広い視野を教えてくれるようになる。自分と違う立ち位置にいる人、もしかすると右と左サイドにいる人たちの中間に立つことが多いかもしれない。そこでどちらにも分かる言語で、そして言い回しで立ち回ることができるかが試されている。実際、自身の経験や価値観を伝えることができるようになることを私たちは国際人として求められがちだし、そうやって生きていくことを社会は私たちに求めがちである。

「どちらにも属しはしない、でもどちらにも片足を突っ込んでいる」

という私たちらしい立ち位置、自分を守るための「いいところ取り」ではなく社会が良くなるための「いいところ取り」が出来るような思考癖や経験を身につけること。そして急速に変わりゆく社会の中で良い化学変化を起こせるような起爆剤になることを日本の社会は特に都合はいいが求めている。だからこそ私たちには帰国子女という別称が与えられ、受験にも特別枠が設けられているのかもしれない。これは何も優秀だから設けられているわけでもないことは実際に学校に入ると気付かされるだろう、勉学は遥かに日本の文化で育ってきた子どもの方が慣れているしできるのだ。私たちに求められることは、海外で育った経験を良い意味で日本にいる子供と混ざり合うことでインスパイアし合うこと、要は日本にいるマジョリティーの子どもたちに良い変化や気づきをあげるきっかけになってほしいということを期待されているのではないだろうか。実際のところ、大学入学後に私もそう教授に言われていた。「本当は帰国子女は必要ないんだよね」なんて言われることは大学を出てからも心無い人から頻繁に言われている。何か歯がゆいきもするが、そこで目くじらを立てることは不要な争いを生むだけであり、だからこそ今回はそういった刺激を与えられる存在であることをアピールするといった観点で上手く生きる方法を考えた結果の「驚きからの思考術」を文章にしたいと思った次第なのだ。

学校生活驚いたこと

2017年に学校を再訪したときの写真を使っていきます

今からお話しするエピソードは、あくまでも東海岸の内陸、大きな白人富裕層コミュニティー地区の現地校でおこったことである。更に最初にもお伝えした通り、私の高校時代はスマホをはじめとしたITディバイスの乏しい時代であったので、ITが普及した現在よりもかなりアナログに助けられている場面もあるだろう。しかしながら、学校生活というものは日本の高校生を見ても分かるがそこまで大きく根本的には変わっていないので何かの参考になれば嬉しい。このNOTEを通じて1つのトピックからどのような考察に至るのか、思考のプロセスも含めて現帰国子女の子が読む場合にはヒントとなれば更に嬉しい。

5位 日本では考えられない授業がある

意味がいまだにわからないことも多いのよね

アメリカの授業は生徒が能動的に選択すること、そして一定の環境下で自由度が高い授業とそのサポートが一般的な日本の学校よりも整っていたと感じている。一方で、能力という観点では平等ではなく判定もビジュアル化されてシビアで、横一列に同じことをさせない。才能(この場合、勉学に秀でていることも才能)がある子どもには多様なオプションが用意される。これはアメリカ以外の国でもあることで、学校には一口に理系に進むといっても多様なカリキュラムが存在する。これは日本の選抜クラスみたいなものではなく、大学とも繋がっているところが特徴だ。学ぶというレールが高校と大学で分断されないという意味ではとても良い制度だと思う。
日本でも聞き馴染みのあるIB(インターナショナルバカロレア)というクラスは勿論のこと、アメリカではAP(Advanced Placement)というものが一般的だ。これらの授業の他にも一般的なカリキュラムもあるので生徒は自分の進学希望や適正、そして能力に合わせて選択していくことができる。私が在籍した高校では1997年からIBプログラムを学区で実施しており、AP両方の生徒が混在していた。

Advanced Placement とは、アメリカの大学進学希望者が絶対に受けないといけない統一テスト、SATを手がけるCollege Board社が開発したプログラムで高校生が大学レベルの授業を体験し、大学の単位も得られるというもの。

MAYざっくり説明

私が一番衝撃的だった授業は、APの友人が取っていたSenior(高校3年生)の授業だ。各生徒が半年の授業でマウスを一匹授業内で受け取り、同じ個体を育てながら大きな迷路の順路を覚えさせるである。基本的にお世話をすることまでがセットなのだが、個体が死んでしまうと新しいマウスで再スタートをしなければならず、自分の成績にダイレクトに響いてしまう。順路を覚えさせるための生態系等々のリサーチも必要で、誰に言われずとも毎日Try&Errorで頑張っていた姿を思い出す。このような授業は費用、スケール、非効率性から見ても日本の高校ではまず導入されないだろう。アメリカではこういった一見非効率とも思えるような授業が多数存在する。覚えてこなすということに全くフォーカスされていないということだ。どちらかと言えば、自分で調べ考え、それを必ずプレゼンする、ディベートするなどのアウトプットの時間を設けることで成果とみなす傾向がある。もちろんテストも毎週のようにVocablaryテストだの、Chapter Quizなどあるものの、継続的にミニテストがあるので確実に日々勉強する習慣をつけるような形式だった。

実際、私が受けた授業もとにかく調べ物と発表が多かった。その調べ物は時間外で行われるので宿題になる。世界史では自分の好きな戦争を選んで1ヶ月くらいかけて調べて発表する。みんな自主的に博物館などに足を運部などしていたし、富裕層の子どもはわざわざ飛行機に乗ってワシントンDCなどの博物館に行ってくる子もいて、それだけ親も学校の成績に熱心な人が多い印象だった。私自身も広島と長崎の原爆博物館に連絡し、映像資料を取り寄せた。快く無償で資料を送ってくれた両館の職員の皆様には今も本当に感謝の気持ちでいっぱいである。結果、原爆というものがいかに残酷であるのか、その授業に出席していた子供たちは「見てはいけない隠された歴史」を見ることとなった。そういったこともフレキシブルに受け入れてくれた先生たちも当時は多くいたように思う。何日もほぼ寝ずに準備したたどたどしいプレゼンに「すごかった」「ショックだったけど大切な時間をありがとう」と肩を叩いてくれた同級生との思い出も私にとっては何にも代えがたいものだ。高校2年生なんて授業にも消極的で違うことに興味がある年頃の時期であるが、言葉の通じない転入生の辿々しいプレゼンに耳を傾けて言葉をかけてくれる生徒もあまりいないだろうから、良い学区で学んでいたんだろうと改めて感じる部分でもある。

なかでも、個人的に絶対に忘れることができないのは物理の「単振り子」の授業だ。ペアワークで巨大な振り子を実際に作って鉄球を飛ばし、その飛距離が成績に加算されるというものである。最初聞いた時は耳を疑った。単に方程式を覚えて計算式を解くでは終わらず、一定条件を満たす振り子を実際に自分たちで制作するためにその方程式を使ってみろというのだ。必要なのはチェーンソー、木の板、そしてそれを振り子にするための備品たち。。。私も実際にホームセンターに足を運び、3メートルくらいの振り子を友人と作った。友人が放物線の計算をして設計図を作り、エンジニアのお父様がそれを確認して手直しをする。2週間ほど友人の家で振り子を作る重労働となった。実際はDIYが好きな彼のお父様が相当やってくれた部分もあるが、アメリカ人家庭の男子高校生が父親と平気でチェーンソーをウィンウィンするのを横目に、私は彼のお母さんとレモネードを作ったりした。この時ばかりはパートナーが男の子で助かったと思った記憶がある。肝心の振り子お披露目の日は、各ご家庭が親も総出で振り子を学校に運び入れるお祭り騒ぎで、鉄球が空を飛ぶたびに歓声があがった。きっと日本であれば怪我をする懸念や、フィールドが穴だらけになるという責任問題など、各所が細かしいことを言いそうなものだが、当時はそんなものは何一つなかった。勿論サッカーフィールドの芝生には、いくつもの穴が空いていたが、みんなで足で埋めたのも思い出深い。ちなみに私の振り子は無事に鉄球を空には打ち上げたものの飛距離はいまいちだったような記憶があるような、ないような。。。

あと驚いた授業は合唱だろうか。そもそも日本に音楽の授業はあれど合唱の授業はない。音楽の授業としてはブラスバンドの授業もあり、楽器ができる人は有利な授業であると感じた。学校は当たり前だが「歌う」ことで加点されるのだが、みんなの前で一人でて歌うような授業はなく、あくまでもソロパートは競い合いで加点の対象となる。そんな中、突然駆り出されたのがメジャーリーグの国歌斉唱なんてことがあった。地元の高校生が突然東京ドームで国歌を歌わされるようなものだから、経験して学ぶにしてはスケールが大きすぎはしないだろうか?メジャーリーグのフィールドで観客を見上げてアメリカ国歌を歌う経験なんて、なかなか日本人の子どもができることではないので今でも良い思い出である。当時はとても嫌だったけれどね。

こういうチャラバカに恩を売るのもまた一興

物理や化学の時間に突然行われるペアテストも衝撃的で、突然ペアを自由に選んで2人で成績に関わるテストを受けさせれた。お互いテスト中は声を出してはいけないし、できるところからどんどん解けといったような感じで、お互いの叡智を結集してスコアに繋げていく理解不能なテストである。ペアを決める際の不平等などは自分たちで解決する必要がある。話し合い、駆け引き等、そういった環境が私をより日本では嫌がられる我の強い女に育てあげたんだろうと思う。おしとやかで健気で男子に尽くすみたいな女性ではないのは、間違いなく私がこの完全AWAYの環境で野生児のように育ったことが一因であると思う。

4位 とにかく大人が強い、家族の絆は美しいもの

高校生くらいになると大反抗期にアメリカの子供もたくさん入っているし、男子は格好つけたいし、女子はセクシーでいたい子も多いので色恋沙汰は日常茶飯事。難しい駆け引きなどもあるので、外者の私は少し難しい世界だ。結果的に、私の仲良くしていた友人は色恋よりも日本のアニメが好きな子が多かったし、勉強ができる子が多かったのであまりこういったことに首を突っ込む機会もなかった。ただSenior(高3)も後期になると私も大体みんなの話していることが理解でき、私の勝気な性格も表にでるようになった。この変化に周りの同級生が興味を示し、チアリーディングやアメフト部に所属している派手な子とも友達になる機会が増えていく。喧嘩か浮気かしらないけれど、カフェテリアで持っているバッグでボコボコに殴られても決して手をあげない男の子はかっこよく見えた。男の子は絶対に女の子に手を挙げてはいけないというスピリットはここで学んだ。一方、女の子同士の喧嘩はしょっちゅうで美術の時間に口論からのキャットファイト(取っ組み合い)が起こったり、バスの中で髪を掴み合っていたり、何がどうしたのかわからないままセキュリティーのおじ様方が教室に入ってくる現場に遭遇した。

一見子どもらしいと思うでしょうが、アメリカは優秀な学校でも常にドラッグと隣り合わせなことも忘れられない。私は根からのビビりでインキャだったし、セクシーの対岸に住まうモブだったので対象にならなかったものの、お子様がセクシーな親御様方は本当に気をつけてほしい。ドラッグや18禁パーティーが富裕層が多い地区ほどある。ドアを開けたらワァ!みたなことが起こり、あの子とあの子は週末のパーティーで・・・みたいなことでよく揉めてみるのを目にしている。

さて少し話がズレたけれど、こういった自由な大人っぽく見える子供の世界でも大人という存在の力加減は凄まじいものがある。
まず、警察やガードマンに逆らうような輩は一切いない。というのも彼らはとても強く怖い存在なことを子供達は知っている。HEY!!っと言われればもうそれ以上は何もしない、大人は怖いのだ。そして学校の先生も本気を出せばとても怖い、彼らの進学を絶ってしまうような力を持ち合わせているからだ。内申点という名の授業成績、推薦状、ここですぐ何か先生にFワードを吐こうものならdetentionという罰が待っている。停学は内申に響く、授業をSkipすればすぐ様双方向性のマイクで先生同士で確認してバレてしまう。授業で一番最初に覚えた英語かもしれない。いまだに言える。

黄色い丸のところにあるマイクが魔のマイク(2017年)

"Mr.--- Please come to the principle office after the class." (○○君、その授業が終わったらすぐに校長室がある事務所に来てください)というもの。
これがクラスの天井にある双方向性マイクから流れると、クラスは騒ついてその子に "OMG!! What did you do?!"と揶揄うまでが1セットだった。私は2回経験があるけれど、どれも間違った呼び出しで、クラスが優等生が呼ばれたとあって大騒ぎになったことは今でも良い思い出だ。

大人の範囲はなにも教師に留まらない。私が心底理解できなかったのが、アメリカ人男子高校生のマザコン具合である。身長180センチ以上のイカついアメフトボーイも例に漏れずお母さんが大好きみたいな輩が幾人もいた。何かあればすぐ "MOM" という言葉を出す。マザコンの集う城、それが学校だった。ハイスクール系のドラマを見れば廊下に個人用ロッカーが並んでいるのを見かけたことはないだろうか?これは実際に私が使っていたロッカー。

学年ごとにロッカーがランダムで割り当てられて4年間使う

このロッカーを開けたところに、家族写真でもなくお母さんとの写真をでかでかと中心に飾っているような男の子も普通にいる。お父さんとの2ショットを飾っている女の子は見たことはない。基本家族を大切にするアメリカ人であるが、母への愛はとてもすごい。正直いって私が彼女であれば、このモロ具合は耐えられないのだが、これを含めて高校の甘酸っぱい恋愛事情なのかもしれないなと思っていた。

家族が大事なことはいいことですが、当時の私は受け入れられず

3位 借りたものをボロボロにし、そして返さない

一度渡したら無事で再会できると思うな物の貸し借り

本当に物を大切にしないアメリカ人。特に田舎はサステナブルとか何それ美味しいの?といった具合には意識はそれほど高くない。学校生活ともなれば皆無に等しい。とりあえず日本的な思考「食べ物を大切に」「モノは大切に」「あったものは元の場所に戻す」などは期待するだけ無駄である。ピザの耳を友達に投げつけて遊んだり、食べきれない食事をフォークでつついているなんてことは普通にある。食べれない量も平気でとりあえず取る。そんな具合で友達のものも大切にしない人は多いのだ。

私がアメリカの学校生活で聞く言葉で一番言葉の意味を信用していないのは
"Can I BORROW~?"というフレーズだ。これはborrowではなくtake, haveがニュアンスとしては正しい。貸せば99%ボロボロになって返ってくる、ないしはそのまま次のクラスへ持っていかれるなどして借りパクされると思ったほうが良い。イラストにもかいた2つはその定番アイテムで、鉛筆やシャープペンシルのお尻は授業中に噛んでボロボロにされる、噛み癖がついている人がアメリカ人には多い。NBAなどの試合を見てもわかるように、彼らは日常的にガムを食べる、どうやら口元が寂しくなる人が多いようだ。最初にボロボロの鉛筆(ヨダレ付き)を返された時は衝撃的すぎて怒ることもできず、悪意すら感じた。日常的に行われる借りパク、破壊への対策は貸さないということもできるのだが、「これは父親が私のバースデーにくれたものだから絶対に返してね」などと相手に付加価値を分からせるなどすると効果的だった。物を大切にする理由を付けないと彼らは物を大切にする習慣がないのである。

2位 各生徒に一人スクールカウンセラーがつくこと

この人たちだけは常にスーツにネクタイだったな…

私の知る限り、私の進路や進学プラン、そして選択する授業までを包括的にサポートしてくれた最も有力なパートナーは間違いなくスクールカウンセラーだった。彼らは学校カウンセリングの修士号を保持している州の認定を受けたプロフェッショナルだ。高校に入学すると必ず各生徒に1人のカウンセラーが割り当てられる。基本的には4年間同じ人の元でお世話になるのだが、入学したらまず進路を一緒に考え、そこから選択する科目を一緒に選んで個人の時間割を立てていく。高校生活を過ごす中で心理的な負担などで息詰まるとこの人たちが専門的にカウンセラーとして子供たちの対応をする。もちろん相性もあるので、うまくいかない場合はチェンジも可能だ。

幸い、私のカウンセラーはとても良い人で、個人的には学校の中で一番穏やかで真面目なおじさんだったと思っているし、ずっと連絡を取ってきたので奥様も私のことを知っているくらいには親交がある。何度彼の前で泣いたり怒ったりしたかわからないが、その度に私を励まし、時には一緒になって学科の先生に怒りに行ったり、私のサポートを全力でしてくれた先生だ。卒業後、彼が日本文化に興味を持ち、私のクリスマスカードや贈り物を飾る棚を用意してくれていたことを知った。庭には鯉がいて、日本庭園のようになっているのを見て驚いたものだ。彼の奥様から「彼は貴方のことをずっと話していたの、とてもパワフルで一生懸命で、だから僕がサポートしてあげなければ!」と社会人になってお会いした時に言われたときは感無量だった。

このような経験が、大学、就職、そして社会人となった今も私を前に突き動かしてくれている。ただし、カウンセラーとの出会いが必ずしも吉と出るわけではない。弟のカウンセラーは真逆で不親切だった。でもこれはきっと、国境を越えて文化を越えても結局人は同じで、頼ってくれる人、頑張っている人、心と心を通わせたなら人は余計にその人のために頑張りたくなるものだろう。私のカウンセラーで他の日本人の子も担当したといっていただが、正直覚えていないのだと言っていたところをみると、人と向き合う勇気だったり根気だったりというのが海外生活では少なからず必要な要素なのかもしれないと考えてしまう。

何はともあれ、学校で教師がサイドビジネス的に進路指導をするスタイルは両者にとってヘルシーな関係ではないと感じている。子どもに必要なのは、勉学以外のサポートであり、日本はそれを予備校の先生が担っている節がある。ただ予備校の先生にすべてを任せて学校生活がおざなりになるのは本末転倒だ。子どもにとっては学校生活がメインなのだから。そう考えると、スクールカウンセラーの必要性は今後の日本の公立学校でも必須なのではないかと感じてしまう。

1位 薬物とかスタンガンとか、映画でしか見たことないわ

銃社会だからこそガンは忘れられない存在、これは学年が上がるほど本当の話

最近日本でも流行りだしているドラッグ問題。渋谷や原宿では簡単に購入できてしまう日本もこれからは深刻な問題になっていくのかもしれないが、アメリカでは結構カジュアルにドラッグの登竜門となっているのがハイスクールである。どこで手に入れるのかと聞いたら普通に売っている場所があると答えた友人のクリス氏。何か突然ハイになったなと思うと、授業中に小さなストローで白い粉をすってヘラヘラヘラ。ということは日常茶飯事だった。

高校で留学していたという大学時代友人。たった1年の留学だったが、現地でできた彼氏は大麻を育てていて一緒に吸っていたという。この女の子は地方のお嬢様でとてもそんなことをする子には見えないのだが、しようと思えば合法な州では特に手に入りやすい。

あとは銃関係の話で言うと、ダウンタウンでガンシュートの音を聞いたことがあるのだが、咄嗟に近くの大人が私を庇ってスターバックスの店舗にかくまってくれた事がある。後から血だらけの道をみて震えあがったものだが、彼らはそういったことがあるとすぐに店を閉じたり、子供を守ったりかくまったりするように訓練されている。実際、学校でも避難訓練は発砲があったときの訓練になる。こういった背景からも大人は子供を自由に行動させることが少ない。米国の人から見れば、高校生の私がダウンタウンに一人でいることも今思えばとても怖いことだったのかもしれない。。。

先にもお話しした通り、高校には悪い行いをした生徒についてはディテンションというお仕置きの制度がある。停学や親の呼び出しみたいなのはしょっちゅうあるのだけれど、これが酷くなると学内にはDetantion Roomなる闇の部屋が存在しているというのはなんとなく知っていた。
在学中はこの中を見ることは出来なかったけれど、社会人になって見学したときにセキュリティーの方が見せてくれたが結構衝撃的な部屋だったのでご紹介したい。

ほんと何があったの?といったような部屋ですが、お仕置き部屋です

これが学内にあるというのが不気味というか、不思議というか、とにかく日本では考えらないと思う。この部屋は中からは鍵がかけられず、外からしか鍵の開け閉めができないなど作りも工夫されていた。実際に警察の方がここに生徒を迎えにくるみたいなこともあるそうで、確かに私の在学中に、スタンガンを振り回した子はここに閉じ込められていたっぽいことを聞いた事があるので、使用されていることもあるのかも。

アメリカ人って大事なことを大文字で書く文化ありますよね…

部屋の中には星条旗があるのもアメリカらしい。その下に格言みたいなのが書かれていて、お説教する気しかない部屋。要は、日本よりも危険な事件が身近にあって、体も大きく体力もある子たちなので大人が抱え込んで抑えたり、セキュリティーは拳銃も持っている。そういった環境の中で日本でのほほんと生きてきた高校生が何を感じ学ぶのか、こういった見たことのない驚きについて棚卸することは必要なことではないだろうか。

驚いたことから私たちが学んでいること

こうした驚いた出来事を分析して言語化できるようになると、改めて帰国子女という存在がいかに幼少期、または学校生活を違った文化の元で生きているのかが客観的にわかるようになる。大抵の帰国子女は、幼少期から日本を離れていることも多く、そこまで日本語が得意ではないので特に言語化されるという機会も少ないだろう。私のような日本教育制度で基盤を作って高校中期から自分の意思とは別にして日本を離れ、日本人の少ない現地校に入るケースもまず少ない。こういった背景もあって、自分の当たり前と世界の当たり前を経験から比較し悩み、そして考える機会に恵まれたというのは正直あるのではないかと感じている。大切なのは、こういった比較を客観的に行えるような思考トレーニングは親が子供にしてあげられるということである。そして高学年であれば自分でその思考トレーニングが可能だということであり、幼少期から行ったからできなくて良い訳ではない。なぜなら、最後は日本で学校生活を送るというのであれば、そういった思考がなければ我々が苦労を強いられることになるからである。

ただ日本の社会は、帰国子女に対して決して英語の発音や、どれだけその国の人になりきれたかを基準に人を選んでいるわけではないことを覚えていてほしい。具体的に言うと、中学校受験までは親が面接に同伴するだろう。それは親の教育方針や普通の度合いを見られているし、英語の能力というのはその中の一つに過ぎない。むしろ作文で思考力や日本の学習について来れるかをみる方が大事かもしれない。しかし、高校受験、ましてや大学入試になればもう親はまったく関係がない。SAT等の共通テストの点数などで足切りがあったりするものの、面接を通して大学のニーズを満たしてくれる人材を各学校は選んでいるので英語がいくらできても通過するとは限らない。社会人になると、もはや帰国子女入試は存在しなくなり、むしろ帰国子女であることを煙たいと思う会社も多くあるので、人間性を問われる事が多くなる。このように、私たちは自分たちが経験したことを年齢が上がるごとにより言語化、文章化しないことには日本という国では生きていく場所を失ってしまう。かといって、海外の会社に出ていけるかというとこのご時世、就労ビザの問題でそれもなかなか難しいのはご存知の通りだ。

「驚いた」「凄かった」「日本は〇〇で嫌だ、アメリカの方がいい」といった貧相な表現具合では、旅行者に毛が生えたようなものである。私たちは自分の経験と日本やその他の国の文化を瞬時に比較し、経験からその思考に至った結論を論理的に人に伝える力で「価値」を捻出しなければならない。社会人になった暁には、それを踏まえてビジネスシーンで知性としてスモールトークに活かしていくことで結果を出さなければならない。そうでなければ、帰国子女としての経験が社会に還元されるという事がないのだ。英語の発音がいいから企業があなたを採用することは絶対にあり得ない。頭が悪い、思考が稚拙、差別的、人を馬鹿にするなどの言動が見られた場合、良い会社に入社したところで何か鼻につく帰国子女で終わってしまう。

今日私がお話しした経験はあくまでも驚いたことの具体例にはなるものの、私はこのような体験をネタで消化しないように、日々の時事ネタや事件、社会人になって出会う驚きとMergeさせて自分の経験をより深みのあるものにしていきたいと思ってメモを取ること、振り返ることを定期的に続けている。そのような視点で生きていると、新しい発見や挑戦がチャンスに見えてワクワクする。それがまた新しい出会いを生み、自分の生きてきた人生が大変だったと思っても「よかった」と胸を張って生きる経験に繋がっていくという経験をしているからだ。

人や社会の期待に応えるのは辛い、だけれどもある程度それを経験してしまえば今度は自分の期待に応えることのほうが大変だと気付く。私は過去の帰国子女の自分の期待に応える大人になりたいと思って生きているけれど、こちらのほうがどうやら骨の折れる労働になりそうだ。

さて、みなさんが最近驚いたことはなんだった?


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