化粧という鎧
女性として生きることの不満やほぼ毎月やってくるアレへの鬱陶しさはありつつも、シスジェンダー女性として育ってきた私はそれなりにメイクをする。バイトのときはマスクに眼鏡なので日焼け止め下地→パウダー→アイブロウしかせず、なかなかに酷い顔で働いているし、普段もファンデーションは塗らない。基本的に皮膚に何か載っている状態が好きではないので。
コスメは人並みかそれ以上に好きだ。インスタで見るのは動物以外だと専ら海外コスメの紹介で、全体的に画面がピンクでラブリーな感じになっている。パッケージや色味を見ているだけでも心が満たされて、多少はストレス軽減に役立っているのかもしれない。買いもしないリップのスウォッチを無限にスクロール。ただ、自分に塗るとなると話は変わってくる。
フルメイクをするようになってからもう12年は経つのに、未だに化粧後の自分の顔に慣れない。周りは何とも思っていない(よね?)だろうが、鏡に映る自分がピエロやサーカスの人に見えてくるのだ。とくにまつ毛をギャンギャンに上げるとピエロ風味が増すので、わざと緩く上げるようにはしている。むしろビューラーは使わないことが多いくらい。
巷でいう 盛り耐性なし顔 というやつか?
私にとってのメイクは武装の意味合いが強い気がする。感覚的にはマスク依存の人に近い。メイクという薄い一枚の壁があるほうが、安心して人と関われる。逆にノーメイクでゴミ捨てに出た際にお隣さんと鉢合わせすると、非常に気まずい。木の枝一本でサバンナに放り出された気分だ。今、防御力0なので攻撃しないでください……見んといてください……。
まだ私が小学生の頃、いわゆるギャルをしていた親戚と出かけるときは、彼女の化粧のために数時間待たされた。2〜3時間も何をしているんだと疑問で仕方なかったが、今はすこし理解できる。ギャルではない私は15〜20分あれば足りるけども。
個人の嗜好なのは言うまでもないが、あれは社会に出るために着る鎧みたいな側面もあったのだろうと思う。
メイクをしない人、たとえば多くの男性にとっては、それがパリッとアイロンのかかったシャツだったり高価な腕時計だったりするのかもしれない。無精髭にビーチサンダルの日と、きっちりセットされた髪にスーツの日では自信や安心感も違うだろう。
メイクを施すことの楽しみも当然ある。似合うリップを当てたときは気分も上がるし、友達にアイシャドウの色を褒められたら素直に嬉しい。
けれど、やはり私にとってのメイクは他所行きの顔にするための儀式のようなものだ。朝の10分価値は高い。眠れたはずの10分を化粧時間に充てるのはなんだか惜しい。子どもはいいな。
自分の顔といちばん付き合いが長いのは他ならぬ自分だし、何もしない状態がいちばん綺麗と思える人間でありたい。高望みしすぎかな。