だからスキを手渡したいんだ week16
こんばんは、だいすーけです。
その週に読んだnoteのなかからいくつかの作品をピックアップしてご紹介するという取り組みをしています。今回はその16回め。
今週はポカポカつづきでうれしくなりますね。
ウイルスのことではまた厳しい状況になりつつあるけれど、気持ちは温かく、こころに余裕をもって過ごしていきたいな。
それではさっそく、ご紹介したいと思います。
week16です。
どうぞ。
◇
在宅ワークになって家族が同僚みたいだ / 地中海性気候 さん
ふだんは見ることのない家族の別の一面に触れる機会が、この一年で増えた人はきっと多いのではないでしょうか。
そう、リモートワーク。
家族の、パートナーの、仕事の顔。そんな一面について感じたことを、書いてみる
...というnoteはよくあると思うのですが、
夫を同僚として観察してみた。
なんて、とても面白い視点ですよね。
去年の5月のnoteですが、なかなか変わらないこの状況、今でも新鮮味をもって頷ける方も多いのではないでしょうか。
ぼくは何人もが机を合わせてデスクワークをする職種に就いたことがないのですが、想像するに学校と似たようなところがありますよね。いろんな人がいるし、クラスによって色があるように、仕事内容や部署によってもそれぞれなんだろうな、と思うんです。同じデスクワークでも。
地中海性気候さんの旦那さまのこと、ぼくはもちろん面識はありませんが、目次を読むだけで、ちょっとふふっとなってしまう。
本文を未読の昭和生まれの方、昭和ならではのひとり言をいくつか想像しながらリンクへ飛んでくださいね。もしかしたら、旦那さまと仲良くなれるかもしれません。
このnoteを書かれてからだいぶ経って、今はどうでしょう。同僚としての旦那さま、家族としての旦那さま。助け合うことの大切さはどんな関係性でも変わらないと思うけど、あらたな発見を重ねる中でまた培うものが、たくさん生まれている気がしています。
✦企画✦#あのころ駄菓子屋で / 拝啓 あんこぼーろ さん
とおい過去のことを、思い出すきっかけになるでしょうか。
こちらは、拝啓 あんこぼーろさんの企画「あのころ駄菓子屋で」の告知noteです。
あの頃の駄菓子を語るとき、僕たちは、あの頃の顔になると思うのです。
ぼくの小学生のころは、放課後の行動範囲内にふたつの駄菓子屋さんがありました。「佐藤商店」と「工藤商店」。「今日どっち?サトウ?クドウ?」みたいに、日々ひたすらに友だちとたまりつづけた場所。懐かしいなぁ。ぼくはどちらかというと「佐藤派」でした。
皆さんにとって、駄菓子屋さんとはどんな存在ですか?
駄菓子屋さんとの関わり方というか、付き合い方も人によってだいぶちがうかもしれませんよね。小学生の頃を思い出す人もいれば中学高校の頃を思い出す人もいるだろうし、もっと幼い子ども時代を思い出す人もいるでしょう。それぞれにとっての駄菓子屋さん、とても興味があります。
協調性や不条理や団結や他のコミュニティについて学ぶ場所。いつもの社会から離れた、もう一つの不思議な社会。
そう、ぼくらは学んだんですよね。
あの、ちいさなお店で。
家とも学校ともちがうコミュニティ。少額だけど、お金の介在する場所。そこで学んだことって、人生の価値観にさえ作用することだと思います。
企画は今月いっぱい。
これを機会に、振りかえってみたら面白いかもしれませんよね。
心のサーフィンが下手な私が学んだこと。 / ゆらゆら*⑅୨୧ さん
"休む"="甘え"
この思いに苦しんでいる人が、いると思います。どちらかというときっと、ぼくもそうだと思っていて。
わかってるんですよね、「ああ、今無理してる」。でも、止めることができない。無理した結果の反動、その大きさもわかってるけど、それでも。
だから私はいま、
転んだ後の練習をしています。
感情の波を乗りこなすことが、得意ではないのなら。「心のサーフィン」が、うまくないのなら。
転び方を、覚えればいい。
うまくいかなかったときの対処法(失敗したときの、ではなくて)を、最初に学んでおくこと。それってとても大切なことなのではないかなと思います。慣れないこと、苦手なこと。それは、うまくいかないのは当たりまえ。それならば、そのときのために備えておけばいい。大事に至らないための方法を、知っておけばいい。
すこしたとえはちがうかもしれないけれど、柔道も最初は受け身の練習をしますよね。怪我をしないように。自転車も、最初は補助輪付きで練習する。
倒れてしまわないように。
うまくいかなくても、今ひとつ前に進めなくても、チャレンジする気持ちの根本を折ってしまわないように。
自分自身にそれをするって、なかなかできることではありません。だから、応援したいなと思っています。
転んだ後にどうするか。
「心のサーフィン」。楽しめるときが、来るといいな。
特許翻訳歴16年、み・カミーノさんがコロナ禍で選択した新しいステージ / アマンダ さん
生まれてはじめてインタビューを受けてみたら、自分の歩んできた道も悪くなかったかなと思えた話 / み・カミーノ さん
すでにたくさんの方に読まれていると思います、アマンダさんの書かれた、み・カミーノさんのインタビューnoteと、インタビューを受けたあとの感想、所感を綴ったご本人のnote。
内容については、リンクをご覧頂ければと思います。整然としていて明快で、でもしっかり熱がある。これは書いてもらって嬉しかったでしょうね、カミーノさん。
こちらのふたつのnoteを読んで考えたことは、「自分の過去を振りかえるときに伴走してくれる存在の大きさ」についてです。大げさな書き方をしてしまいましたが、カミーノさんご本人も、それを感じていらっしゃると思います。
ひとりで振りかえると、どうしても視点に乏しくなってしまいがち。黒歴史は黒くしか見えず、過ごしてきた時間のなかに隠れている彩りを引き出すことはきっと難しい。
伴走してくれる人がいて、歩いてきた道にちがう角度からライトを当ててくれる。そうしてまったく別の光と影が浮かび上がる。道々に転がっていたものを再定義する、機会に恵まれる。
インタビューを受けてみて、わたしの内面に少し変化があったので、
自分の人生にあらたな解釈が加わった気持ちって、いったいどんなものだろう。その解釈は、与えられたものではなくて。ちょっとだけ、引き出すお手伝いをしてもらったもの。
ちょっとだけ、と書きましたが、もちろんそこに費やされるインタビュアーさんの力によるところが大きいはず。このあたりのことはまったく素人なので何とも言えませんが、インタビューを受ける側がこれはインタビューだと認識しない(ほどリラックスしている)とか、委ねたいと思うとか、そこで構築する信頼の深さが大切なのだろうなと思いました。
未読の方はぜひ、リンクをご覧ください。
インタビューを受けるって、とても貴重な経験。
受けとる相手のことを考える。 / ゆっこ|yukiko yamada さん
「である調」と、「ですます調」。文章を書いていて、これはどちらにするのが正しいか。それで迷ってしまった経験が、皆さんにもあると思います。
自分に向けて書くときは、である調。
誰かに向けて書くときは、ですます調。
書く内容によって、それらを使い分ける。とくに意識していなくてもそうなると、ゆっこさんは仰っています。
それはきっと、「伝えたい」気持ちの表出。より届くような言葉を、語尾を、無意識的に選んでいる。そんなふうに思います。
文章を外に向けて書く以上、一定の「伝えたい」があると思いますが、おそらくはこのnoteの主題はこちらの話。
語り掛けるように書こうとすると、(中略)メッセージ性が強くなり、冷静に読み返してみると圧を感じることがあるのだ。
適切な語尾を選ぶことはもちろんだけれども、その上でさらに気をつけるべきことがある。正論を正論としてぶつけられたとき、それをストレスなく、気持ちよく受け取ることができる人が果たしてどれだけいるだろうか。
「押しつけがましくならない」こと、「正しさ」を慎重に取り扱うこと。「である調」「ですます調」の選択は、伝えたいことを的確に届ける手段のひとつ。あくまで忘れたくないのは、
それは受け取り手が本当に受け取れる言葉や表現になってるのか
行間や余白にも、メッセージを込められるような。
そんな文章の書き方が、理想かもしれませんよね。
◇
「だからスキを手渡したいんだ week16」、今回は6つのnoteをご紹介しました。
人との関係性、向き合うことというか、自分の内面と外の世界をどのようにフィットさせていくのか。程度の大小あれど、そこに思い悩むことはきっとずっと無くならないし消えないし、人と関わって生きていく以上ずっとついてくるお話ですよね。そのようなことをテーマにしたお話が、今週は多かった気がします。
と、いうことで。
今回はこのあたりで終わりたいと思います。
未読の作品があったら、リンクへ飛んでみてくださいね。
あたらしい価値観や共感や、うれしいたのしいに出会えるかもしれません。
それでは。
今回も、お付き合いありがとうございました。
このシリーズはマガジンに収録していますので、よかったらこちらもチェックしてみてください。
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