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どんどん角をとって、丸くしていくだろう。

ここまでノーアイデアで1日の終盤を迎えてしまうと、ほんとうに今日こそは何も出てこなくて、毎日更新も途切れてしまうのではないかと思う。

日記のように、その日の気づきや出来ごとを素直に書く。
過去のことも、思い出も、書く。
悲しいことも、問題提起も、書いてもいい。
けれど、愚痴や文句は書かない。具体的な他者批判もしない。

自分で何となく決めているルールとして(常識かも?)。

愚痴や文句があったとしても、それを書いてしまう前に考えて、消化して、それなりの結論を出して。
悲しかったことや問題提起に形を変えて、読んでもらえる状態にしてから出す。

明るい内容でも良かれと思って書いたことでも、だれかを傷つけてしまうことは残念ながら多々ある。
一方を立てればもう一方が立たないとかも。
そんな矛盾や理不尽やストレスは、社会で毎日のように経験していることだ。

でも、それは意識すれば気をつけることはできる。
もらい事故もあるけれど、自分からそれを発信してしまうことは、意識すれば気をつけることができる。

これまで100を超えるnoteを書いてきた。
いつも、投稿する前に何度も何度も見直す。
それは、誤字脱字やおかしなところを見つける作業でもあるけれど、ほんとうは、ひとつの言葉、ひとつの言い回しがだれかに不快な思いをさせないだろうか、だれかを傷つけないだろうか、それを確認するためにしていることだ。

意図せずだれかを傷つけてしまう。
さっきも書いたけれど、それは残念ながら、ある。
でも、その可能性を0.1%でも下げるために、何度も見直す。

毒はとってもおいしくて、病みつきになってしまうから、意図して吐いていれば、摂り入れていれば、その虜になってしまうと思う。
チクリとする、だれかをいじるような、ワイドショーのような、ゴシップのような。
まともな言い分であったとしても、TPOが伴わないようなものも含めて。
一方で、だれにとっても不快でなくて、(悪く言えば)八方美人で、無難で、しかもそれがどこのだれともわからないいちユーザーの日記や気づきで。
そんな文章は面白みがなくて、つまらないと言われてしまうかもしれない。


でも、ぼくはそれでいいと思うんだ。
つまらなくても無難でも、目からウロコの情報がなくても、鋭い批判的視点がなくても。
気づかいができていて、正直で、嘘をついていなければ、それでいいと思うんだ。
だって、それでもときにだれかを傷つけてしまうから。
だからぼくは、それでいいと思う。

今後もきっと、ぼくは自分の文章を丸く丸くしようとするだろう。
技術的なことは別にして。
無限に書けても140文字でも、話し言葉でも。
どんどん角をとって、丸くしていくだろう。
その上で、楽しんでもらえる何かを発信したい。

つまらなくても無難でも、何でもいい。
自分がいて、みんながいるんじゃない。
みんながいてくれるから、自分がいる。

そんな気持ちを忘れずに、これからも書いていけたらいいな。



金曜日、お疲れさまでした。
みんなみんな、穏やかな夜を過ごせますように。


来週こそ梅雨は、明けるかなぁ...。








いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。