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そんなわずかな可能性を。 #素敵な日本語で言葉遊び

日曜日は、ぼくと彼女のすこし早いクリスマスだった。
昼過ぎに家を出て、銀座へ。
お互いに贈れるものがあればと思い、銀座SIXを上から下まで歩きまわってみたものの、これだ!というものに巡りあえず、まさかのプレゼントを買わずに帰るという事態に。
金曜日のnoteに書いたとおり、プレゼントはほしいし贈りたい、そう思ってはいたけれど、これしかないなと思えるものに出会えなければ仕方がない。
素敵なもの、たくさんあった。
それでもね、なんとなく。
これを贈る、もらう、それって今に相応しい?
そんなことを考えていたら、雨も降ってきたしおうちごはんの時間だし、こんなこともあるよねと、ケーキとチーズと家飲み用のおつまみだけ仕入れて銀座をあとにした。

でも、さすがに何もないのはどうなんだろうと帰りの電車で会議。
じゃあお互いに本を贈りあうっていうのはどう?
ということで、今年のぼくらのクリスマスプレゼントは、お互いに気になっていた本を贈りあうということになった。

...うーん。
七海さんの企画noteなのに、前置きが長くなってしまったよ。
もうすこしだけ、書かせてください。

家に帰り、彼女が準備してくれていたごはんをふたりで食べた(ごはんのことにも触れたいけれど、企画の話に入るから泣く泣く割愛だ)。
かなり食べたことはまったく気にせず(ぼくらはふたりともよく食べる)、ここからはお酒とおつまみの時間。
今日はあるお酒を開封しようと決めていた。

Glenrothes (グレンロセス)、1979年ヴィンテージ。
あまり目立たないけれど、とてもバランスのとれた優しいスコッチウイスキーだ。

1979年。
それは、ぼくの生まれた年。
もう10年以上前か、いつかの節目に飲みたいと思い、買っておいたもの。
彼女と一緒に暮らしはじめて最初のクリスマス。
思い切る理由には、十分だった。

ボトリングが2002年なので、長い年月に耐えられずコルクはもうボロボロだった。
それでもその赤みがかった濃い琥珀色の味わいはまったく色褪せることなく、ドライのレーズンやフィグのような凝縮感のある甘味から、キャラメル、重ためのクッキーやバタースコッチ。
開封したてによくあるアルコール感のアタックはあったけれど、余韻もとても心地よく、温かみのあるフィニッシュだった。

そんな至高のスコッチを味わいながら一緒に食べるおつまみも、また格別で。

用意したのは、フランスのウォッシュチーズ「エポワス」と、スペインの生ハム。
それらを薄くスライスしたカンパーニュにのせて、エポワスにははちみつを、ハムにはオリーブオイルを、すこしだけかける。

単体でも十分においしいそれらが合わさることで、これは決して大げさではなく、思わず目を閉じてうっとりしてしまうような、まさに天にも昇るような味わいが生まれる。
1+1が2以上のものになる。
3でもなければ、10でもない。
100と言ってもいいかもしれない。
それだけ素晴らしい、奇跡のようなマリアージュ。

ふたりでたくさん話をした。
TVでM-1がやっていることも知っていた。
それでもぼくらは、ずっとふたりで話をしていた。
肩を寄せ合って、ソファに並んで過ごす時間。
ふたりの家で過ごす週に1度のこの時間には、こんな特別な日には、最高のウイスキーとおつまみがあればほかに何もいらなかった。
特別な日だったから、多少のぜいたくはしたけれど。
やっぱりこの過ごし方が、ぼくらにとってのしあわせなのだろう。

横に並んで、時折彼女の顔を見る。
すこし火照ったように見える頬が、おつまみを口いっぱいにほおばって膨らんでいる。
たくさんもぐもぐして、一気にごくりと飲みこんで、笑う。
そんな彼女の表情を見られるだけで、ぼくには十分だった。

すこし早いけれど、ふたりで暮らしはじめて最初のクリスマス。
さいごはコーヒーとチョコレートケーキで(食べすぎ)、ぼくらは特別な1日を締めくくった。




薄紅に彼女の頬を染めたのは
夢から醒めた琥珀それとも




わかってる。
それはきっと、長い眠りから醒めたばかりのグレンロセスだ。
でもね。
ほんのわずかな可能性だけでもとどめておきたい。
彼女の頬をほんのり赤く染めていたのは。
それは、となりにいるだれかかもしれないよね、っていう、そんなわずかな可能性を。







百瀬七海さん主催の企画「 #素敵な日本語で言葉遊び 」に参加しています。


七海さん、素敵な企画、ありがとうございました。
31日まで募集されているので、みなさんもぜひ素敵な短歌で色を詠んでみてください。






いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。