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パートナーの待つ家に向かって。

職場から新居までは、45分歩けば帰れることがわかった。
近いうちに自転車通勤を復活させることを考えているのだけれど、自転車だと20分あれば帰れてしまう。
身体を動かすということを考えると、歩いた方がいいのかもしれないな。

Google Mapで家までの道をナビして歩く。
この交差点も、あの橋も。
直進が多く、曲がる回数はすくない。
ぼくは地図を読むのが苦手だから、はじめての道を歩くと、ナビを見ても教えてもらっても平気で道を間違えてしまう。
けれどこの帰り道は、そんなぼくにとっても優しくて、自然と足どりもはやくなった。


途中までの道は、地下鉄のルートのほぼ真上を歩く形だと気づいた。
この下に、何百人、何千人の人をのせて行き来する鉄の容れものが走っている。
そう考えると、不思議な気持ちになった。

地下鉄に乗っているとき、もちろん目的地は意識してはいるけれど、今自分がどの辺りを揺られているのかは考えない。
スマホに目を落とす。
考え事をする。
noteを書く。
本を読む。
寝る。
ぎゅうぎゅうのなかを、とにかく耐える。
そうこうしているうちに、目的地へとたどり着く。

今、ぼくはどこにいるのだろう。
街の景色は、どんなものなのだろう。

今ぼくがいるこの上には、たしかにだれかの生活がある。

今ぼくがいるこの上には、辛い一日を前に立ち上がるだれかがいる。
今ぼくがいるこの上には、愛する人の元から旅立つだれかがいる。
今ぼくがいるこの上には、孤独に耐えて光を探すだれかがいる。

もちろんそれは、逆も同じ。

今帰り道を歩くぼくの下には、辛い一日を乗り切っただれかがいる。
今帰り道を歩くぼくの下には、愛する人の元へ帰るだれかがいる。
今帰り道を歩くぼくの下には、輝く光を見つけただれかがいる。

となりに座っているこの人にも、今すれ違ったあの人にも。
みんなにそれぞれの生活がある。


あたらしい生活がはじまって、ぼくはみんなそれぞれにある生活を考えるようになった。
だれかのしあわせ。だれかの孤独。
当然自分と同じではない、だれかのオリジナルな世界。
外から見ても、きっとわかるものではないもの。
そんな生活を想像しながら、街を歩く。

ぼくは、パートナーの待つ家に向かって歩みをはやめる。
ぼくの帰りは遅いから、彼女はきっと深く深く、起きたら憶えていない夢の中だ。
そんな彼女の寝顔を早く見たいと、家路を急ぐ。
帰ったら彼女を起こさないように、なるべく音を立てないように。
シャワーを浴びて、ごはんを食べて。
となりにそっと、身体を預けよう。









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