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キン肉マンにはなれなかったけれど。

ぼくは、おおきくなったら、きんにくまんに、なりたいです!

記憶にはまったくないのだけれど、幼稚園のお誕生日会で、ぼくは元気いっぱいにそう言い放ったそうだ。

35年前のぼくへ。
惜しかったな。
キミは今、ぜい肉マンだ。


そのときなぜ、ぼくはキン肉マンがよかったのだろう。
まだまだ幼稚園児だったし、ほかの超人の名前を知らなかったのだろうか。
実際ぼくは、キン肉マンよりもロビンマスクが好きだった。

アンパンマンならしょくぱんまん。
幽遊白書なら蔵馬。
男塾なら飛燕。
ジョジョなら花京院やブチャラティ。
キングダムなら羌瘣や蒙恬。

昔から、そんなクールでクレバーなキャラが好きなのだ。

主人公は当然強くて正義感に満ちているけれど、ときにアツくなり過ぎて周りが見えなくなってしまう。
それを、まぁまぁ落ち着きなさい、となだめながら、クールにピンチを乗り越えてみせる。
そんな立ち位置に、あこがれていたのだと思う。

ただ、だいたいそういうキャラに限って、大事な戦いやラスボスの前には死んでしまっていたり、大怪我を負って離脱していたりする(気がする)。
さいごは結局主人公が活躍するし、最終回には登場することさえなかったりする。
悲しいなぁと思いつつも、やっぱりそんなキャラが、主人公よりも好きなのだ。


実際自分のことを考えると、これまでそんな立ち位置にいることが多かった気がしている。
別にクールなわけではないし、どちらかというとずっとしゃべっているし、クレバーに立ち回れるわけでもない。
けれど、前に出る人間の一歩後ろにいて、それをサポートしながら一緒に進んでいく感覚が、ずっとしっくりきていたと思うのだ。

「副○○」というのが、何だか好きだった。
思えば、小学生のときも生徒会では書記(会長、副会長の次)だったし、高校のバスケ部でも副部長だった。
そのほか、副班長、副委員長、副店長、などなど。
もちろんトップになれなくて仕方なく、ということもあったけれど。
身長はつねに高かった方なのだけれど(小6で166㎝あった)、小学校から高校まで、背の順で一番後ろだったこともない。
いつも後ろから2番目。
なんだろう。
1番にはなれない宿命なのだろうか。
仕事でもそう。
これは順位でも何でもないけれど、だいたい後方支援の仕事が多い。
みんなの仕事のお膳立て。
今もそれが、ぼくの役割だ。

長男だからかなぁ。
世話焼き気質なのかもしれないけれど。

だからnoteでも、自分の信じた道や好きな道に進もうとしている人や、自由奔放にわが道を往く人をずっと見ていたいと思う。
不安に押しつぶされそうになりながらも、軌道修正しながらも。
もしくは恐れを知らず、自信たっぷりに。

ぼくのパートナーも、まじめで気が強くてとてもしっかりしている。
ぼくは金魚のフンのように、後ろをついてまわる。
たまに、彼女がやりきれなかったことがこぼれてくる。
それを、後ろで拾いながら歩く。
彼女が道を見失いかけたときには迷わず歩けるように、後ろから修正していく(予定)。


このように書いていると、ぼくの人生はまるでだれかの人生のついでみたいな感じがするけれど、もちろん決してそんなことはない。

だれかのファンでも傍観者でも、No.2でも金魚のフンでも、ぼくの人生はぼくが主人公だ。
もちろんもっとああしたい、こういうふうになりたい、その思いは尽きないし後悔がないわけではないけれど、今こうしてしあわせを感じながら生きている。
それをより実感できるようにという意味でまだまだ頑張らなければならないけれど、しあわせの尺度は、だれより前だとか後ろだとかいいとか悪いとかで測るものではないのだから。


35年前のぼくへ。
キン肉マンにはなれなかったけれど、キミは今とってもしあわせにしているよ。
何なら今からでも目指せるよ、キン肉マン。
やらないけどね。


今ぼくがなりたいもの。
それは何だろう。
だれみたいな、というものはないかなぁ。
今正しいと思っていることが無駄になっていなければいいのだと、それはこころから思う。
また35年後(生きてる?)、そんな後じゃなくてもいいけれど。
今の自分に、今よりもっと、しあわせな「今」を見せてあげたいな。






いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。