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漫才の締めの挨拶、もっとはきはきやらんのかね問題


挨拶がはきはきしている漫才が好きです。


私は芸人DD(誰でも大好き)気味なところがあって、お笑いのネタなら割となんでも楽しく見る。
特に漫才を見るのが好きだ。

ドルオタ(アイドルオタク)用語の“誰でも大好き(Daredemo Daisuki)”の頭文字を取った言葉。
特定のアイドルのみを応援するのではなく、複数のアイドルを掛け持ちで応援しているいわゆる“複数推し”の人を表す。
博愛主義者的な“全推し”のアイドルファンを指す場合もある。

推し活メディアnuman https://numan.tokyo/words/1moLw/

私はこの「博愛主義者的な”全推し”タイプ」に近いと考えられる。

地方勢の引きこもりお笑いオタクかぶれというやつなので都会の地下劇場でしか見られないようなネタはまだあまり見たことがないけど、割と何でも面白がれると思う。
こういうお客はゲラと呼ばれて、時には芸人を甘やかしてしまうと言われることもあるが、それでも私はほとんど好き嫌いしない方だ。

関西人は日常会話で「自分ゲラやな?」といった感じで、よくゲラという言葉を用います。

ゲラには、「よく笑う人」「笑い上戸」という意味があります。

クスクス笑うのではなく、哄笑の方がゲラのニュアンスをよく表していますね。

ゲラの人がいると、その場が温かくなり、笑いやすい雰囲気ができあがります。

株式会社3PEACE お笑い用語解説 https://www.3peace-inc.com/toranomaki/gera/



ただ、そんな私にも多少の好き嫌いはある。
嫌いというか、「こういう感じの方がもっと好き」といえばいいだろうか。

それが「挨拶がはきはきしている漫才」だ。


最近は「はいどうも〜!」だなんて元気に舞台に出てくる芸人さんを見ることは少なくなった。
ここまで元気じゃなくてもいい。
ただ、挨拶とあれば名乗りもはきはきしている漫才が好きだ。

最近は挨拶から既にひとボケかましてオモロを掴みに行っている人たちもいる。
そんなオモロの中でもしっかり「これから僕たち、私たちが漫才始めますよ!」と合図を出してくれるやつがいい。
こういう芸人さんはまだいっぱいいる。


私が今回さらにフェチ(?)を追求したいのが「漫才の締めの挨拶」だ。
締めの挨拶がトーンダウンしていたり、あくまで台本にあるセリフであり流れ作業の一部ですって感じで終わっている漫才を見るとどうもモヤモヤしてしまう。

デザートのないフルコース。
喉に引っかかった小さな魚の骨。
たぬきちのいないどうぶつの森。

勉強不足だったら申し訳ないが、今のところこのことについてテレビやインターネットで誰かがこの「漫才の締めの挨拶」について問題提起していたり議論したりしているのは見たことがない。
(今Googleで「漫才 締め」とか「漫才 締め はきはき」で検索してみたところ漫才の締めのフレーズについて調べた記事が検索結果の上位を占めていた)

強いて言えば去年のM-1グランプリの季節に一部SNSでとある芸人の漫才の締めの挨拶の声がどんどん小さくなっているというネタツイートがちょっとバズっていたぐらいだろうか。

ということはおそらく今のところ(2024年3月現在)誰もそれほど気にしていないことなのだろう。

しかし私にはどうも締めの挨拶がはっきりしてない漫才を見ると「はいこのお話はおしまい!ありがとね〜!」という気持ちの区切りをつけることができなくて物足りなく感じてしまうのだ。


この件について私は1つの仮説を立てた。
ボケ数を増やすために締めの挨拶に割く尺が足りない説」だ。

たとえばM-1グランプリの戦い方。
さまざまな芸人さんが分析したり議論したりしているが、それを調べてみたところナイツの塙さんがM-1の漫才について次のような攻略法を述べているものがあった。

M-1の歴史は高速化の歴史でもあるんです。4分の間にいかにボケ数を詰め込むか。

2019年10月9日(水)エキサイトニュース https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20191009_109883/


私の記憶が正しければ、NON STYLEやナイツがM-1の決勝最前線で戦っていた2007〜2008年ころからこういった「漫才とにかくボケ数論争」が言語化され、メディアで目にする機会が増えてきたような気がする。
(もしかしたらもっと前からかもしれないしこの記事は2019年のもので、塙さんは自分たちのスタイルには合わないからと採用していない旨を話しているけれど)

M-1の漫才は陸上競技に例えるなら短距離走で、限られた時間の中でいかにたくさんのボケを突っ込んで笑いどころを増やすかが大事だという論だ。
短い時間でたくさんお客さんに笑ってもらうことが勝ち抜く秘訣だという意見である。

この風潮に乗ってまだ漫才賞レースに乗っていない芸人がM-1グランプリを攻略するのなら自然とボケ数が増えるし挨拶に割く尺はどんどん短くなってしまうだろう。
挨拶の尺が短くなるということはそれだけ手をかける時間が減るということだ。

だとするとM-1をはじめ、テレビでしか漫才を見ないという人も多いだろうからテレビでだけ漫才を見る層に向けて漫才を披露する時も自然とボケ数が多い漫才がもてはやされるようになるかもしれない。

例外を挙げるなら、去年のTHE SECONDの決勝戦でギャロップが披露したネタが近年の賞レースにないボケ数の少なさで一撃必殺型の大きな笑いをもたらし、会場の爆笑をかっさらって話題になったぐらいだろうか。

では、なぜはじめの挨拶はそれほど省略されないのか、という話にもなってくるが、これについては第一印象を操作することで自分たちの芸風をお客さんにわかってもらうという大切な役割があるので欠かすことができないからだと考えられる。

個人的な意見にとどまってしまうが、それなら終わりの挨拶もピシッと締めてちょうだいよ〜という気持ちがやはり拭えない。
「こんにちは」がちゃんとお出しされるなら「さようなら」や「またね」もきっちりお出ししてほしいと思うのはわがままなのだろうか。

全国のお笑いファンの皆さんはどう思われますか。
ご意見お待ちしております。





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