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湿った手、星に埋もれて駆け抜ける

“涼しいから散歩しようよって、お風呂に入って髪を乾かしてから二人で夜の道を歩いた日。コンビニでかじるバターアイスの知らない味を見つけて、手を繋いで二人でかじりながら帰った。”

日記の日付を見るともう1ヶ月も前の話で、今の夜には散歩できるほどの呑気な空気は流れていない。少し前から、昼間の熱を拭いきれないまま夜闇を迎えることが増えてきた。世界から心地よさというものを奪い去る、私のいちばん苦手な季節がやってくるのだ。

苦手だ、というか、嫌いだ、と言ってしまってもいいくらいだ。夏と聞いて思い出すのは、じりじりと焼け焦げた肌のひりつきと流れる汗ばかりで、浴衣や水着の思い出なんてそれらの不快感の強さには敵わない。もっと空気がからっとしていれば印象は全く違うのだろうけれど、日本の夏にそんな爽やかさは表現できない。

夏の、しんと静まりだす夜の空気を待ち焦がれている。今の時期じゃだめなのだ。お盆を越えて、日暮れが徐々に早くなってきたあたりの、世界の裏側を覗くような夜が好きなのだ。


星の海を見た。車で何十分もかけて登った先の山で、私は星の海を見上げていた。山の上だからこの時期でも窓を開けて眠れるくらい、静かで心地よい空気が流れている。聞こえるのは虫の声と木の葉が擦れあう音だけ。街の喧騒が、前世に置いてきた幻みたいに思える。

そのうち私が見上げているのか、星の方がこちらに手を伸ばしてきているのかがわからなくなった。それくらい、視界ぜんぶが闇と光に埋め尽くされていた。ようやく理解できた気がする、古代ローマ人の心と探究心。ああ、それなのに私は、ここにある無数の星たちと星座の名前をこれっぽっちも知らない。悔しい。

天の川が川の姿をしていることも、私は知らなかった。そしてその川の一粒一粒が遥か遠くの星たちで形成されているということも。ここからは天の川の粒が見えた。星たちを丸ごと飲み込んで、広大な川は空を優雅に横断していた。

私、死ぬときに見る景色はこれがいい。間抜けに口を開けたままつぶやくと、この絶景を見慣れた人はもう帰るよ、と車の中から呆れて言った。この夜空を当たり前だと思って生きている人が同じ国に生きているということ。空を見上げる前から、世界は広い。


夏なんか、と思っていた。夏なんか来なくてもいい、私は本気でそう思っていた、のに。夏の夜だけは憎めない、だってこんな壮大な海を空に抱え込んでいると知ってしまったら、嫌いになりたくてもなれないじゃないか。

次に流星群が来るとき、私はもう一度あの星空の下に連れていってもらう。溢れんばかりの星たちの中で、流れる星はどんなふうに私の目に映るのだろう。さあ、いよいよ星が降ってくる。



虎吉さんの企画に参加させていただきます🌻
季語は「夏の夜」です。

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