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初々しい大人からはじめます。

大人って、もっと凛々しくてかっこよくて、自立した存在だと思っていた。
けれど大人と言われる年齢を迎えても、私が私自身を大人だと感じたことは一度もない。


この間、成人式があった。このご時世のせいで延期に延期を重ね、今になってようやく開催できた一生に一度の式典。何度延期しても「必ずやるので待っていてください!」と葉書に強い一言を添えてくれていた地元の市には、感謝してもしきれない。

たくさんの懐かしい面々に会えた。あの頃のまま変わらない人もいれば、昔よりずっと大人びて一瞬わからなかった人もいた。私の中では時が止まっていたみんなの人生が、それぞれ着実に動き続けていたことを感じる。

それでもみんなが、どこかしらに子供の頃の面影を残していたことに安心した。あの頃よりハキハキ話すようになったあの子は、時折漏らす冗談は当時と何も変わっていなかった。見た目がぐっと派手になったあの子も、話してみると昔の素朴で穏やかな口調のままでほっとした。


結局、大人ってなんなんだろう。そもそも子供のうちから大人っぽい人もいれば、大人になっても子供みたいな人だっている。私は当然後者で、いつまでも歳だけを重ねた子供の感覚で生きている。

幼い頃、大人は完璧な存在だと思っていた。二十歳になれば自ずとたくましくなれるものだと信じていたし、未熟なのは自分が子供だからだと思い込んでいた。けれど自分自身が大人になって、それから周りのいろんな大人を見ていくうちに、大人は子供の延長線上でしかないんだろうなとようやく気づけた。

大人だって嫌なことはあるし、弱音も吐くし、涙を流す。いくつになっても恋の悩みが尽きなかったり、中学生みたいなくだらない話題で馬鹿みたいに笑ったりする。そういう部分は子供と何も変わらないのだ。

もちろん大人とはいえ年齢は限りなく子供に近い。そんな私でも、世間では大人という括りに入れられ、社会を担っていく存在だと言われる。なんだかそれはくすぐったくて実感が持てないけれど、おそらく、私の思う大人と本物の大人の姿は違うのだ。それが何かはわからないけれど、この先経験を積むにつれて見えてくるものなのかもしれない。

成人を迎えてもなお、大人と言われるにはあまりにも初々しい。けれど成人はゴールではなく、スタートなんだと思う。もしもこれから大人らしくなれるのだとしたら、私はようやくスタートラインに立てたところだ。そしてここから少しずつ、大人というものを知っていけたら。


最近投稿が疎かになっていてすみません。年末までは予定が立て込んでいるので、いつにも増して浮上率が下がるかもしれません。文字通りの師走になりそうです。

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