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家族ルール

私はよく 父や母の友達とも食事や飲みに行ったり お家に遊びに行ったりする。

私の母は 周りの友達の中でも一番早く結婚して 一番早く子供を産んだ。

「あんたのお母さんはね〜 私たちがサンバBar(←笑)で踊り狂ってる時も

ずっと子育てを頑張っとったんだよぉ〜。」と よく言われる。

「その中でも印象的ないい話」と言ってもらえた 我が家の話がある。


当時、父のお給料が まだ手渡しだった頃。

毎月 給料日には 私と兄と母で 紙吹雪を作り 父の帰りを待っていた。

いざ父が帰ってくると 玄関まで行って

「今月もお疲れ様でした〜!いつもありがとう〜!」と言って

手作りの紙吹雪を 父に向かって フワァ〜と投げ お祭りさながらで出迎えていた。

お酒をついだり 肩を揉んだり 一緒にお風呂に入って背中を流したり。

父の給料日は 毎月 父への感謝を伝える日だった。

母は「私たちが幸せに暮らせているのは お父さんのおかげだね〜」と

いつも言ってくれていたので 私が父が 昔も今もずーっと大好きだ。


父は生まれてすぐ母親を失い 父親と祖母に育てられていたが

高校生で父親も亡くし 大学生で祖母を亡くし それからずっと一人ぼっちの人だった。

なので 母はいつも

「お父さんに対して嫌だと思うことがあっても 許してあげてね。お父さんは”家族”を勉強中だから」

と言っていた。

新幹線も飛行機も苦手な父ゆえ 旅行は車で行けるところしか行かなかったし

車が好きで 道中でトイレに行きたくなっても 「今あの車抜かしたばっかりだぞ!」

と他の車に対抗心を燃やして運転していたので すぐにはトイレ休憩させてもたえなかったり

色々と極端な事はあったけれど

お父さんを一度も クサイとか 嫌いだとか ウザいと思ったことはない。

いわゆる「思春期」と言われる時期に よく例としてあげられる

「お父さんの後のトイレには入らない」

「お父さんの後のお風呂は もう一度お湯を入れなおす」

「お父さんの洗濯物とは 別で洗う」

といったような事も 一切なかった。

それもこれも きっと 母の 「お父さんのおかげ」という教えがあったからだと思っている。


今は 女性も働く時代なので 「お父さんのおかげ」が薄れつつあるのかもしれないけれど

いつか私も誰かと結婚して 子供が生まれたら

私自身も働き続けるかは分からないけれど 

「お父さんのおかげ」

は 子供達に伝えてあげられる 自分の母のような母になりたいなと思う。

あー両親に会いたくなってきたなぁ。



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