過去のぶん殴りカキ(2021/12/26)

2021/12/26

他者志向のギバ-は社会的に成功しやすいと本に書いてあった。
なるほど、他者のためになることを行うとして様々なことを考えた。例えば、「あの人はカフェに行きたがっているから、良いカフェでも探してみよう」や「あの人が業務について気になることがありそうだから、声かけてみよう」などである。この他者が望んでいるから、自ら何かをしようとする行動はありのままの自分が望んだことなのだろうか。たしかに、空気を読んだり、同調圧力を感じたから自分の意思をねじ曲げて行動しているのとは違う。しかし、自分が行きたいところやしたいことを考える前に他者志向になろうとしていないか?自分をないがしろにした他者志向は果たして誰のための誰が成長するものだろうか。

人前でよく見せたいという感情と誰かのためにという思いでは、行動は似ていても自分に返ってくるものが異なるのか?
ん、見返りを求めていちゃ駄目じゃね
いい顔見せたいのはいい人だと思われるという見返りを求めている?
誰かの幸せのために行動するのは人の幸せを求めていて、見返りではない?
自己犠牲のギバ-とはなんだっけ。

伝える、傾聴する、質問する、共創する。上司と部下との1on1などのビジネスコミュニケーションにおいてこの順番で会話をするのは有効的だと知った。
この4つのなかでも、質問するという行為の方法が自分にとって驚きであった。それは、why質問ではなく、whatやhowなど自身の行動の理由などの質問ではなく、組織としてその目標を達成するにはどのような行動を取ればいいかを聞くという点に感動した。
たしかに、why質問は割と高圧的だ。自分の深掘りなどにおいては、why質問は有効だとかんじることが多いが、他者に向けてのwhy質問は理詰めとも捉えられてしまう。従って、他者に対してはwhatやhowを用いた質問を行い、自分の問題としてではなく組織として考えることを促すことが重要なのである。
これは組織形成以外にも応用できるだろう。普段の人間関係においても理詰めとも捉えられるwhy質問は関係に亀裂が生じる可能性がある。実際に、生じた経験もあるもん。だから、上記の4つの方法を用いて、相手の問題と片付けずに自分と相手の関係性においての共通目標のようなものの達成のために悩んでいることを赤裸々に打ち明ける(その目標に対する自分の考えや意志などのwhyと共に伝える)ことから始める。そうして、その目標に関しての悩みや想い、相手の話を相手の立場、世界にたって感情移入しながら傾聴する。傾聴の結果、双方の不安が解消され、次のステップである今後の方針についての道が出来る。問いについては、上記でも述べたように、お互いの関係性の向上のためにお互いに何が出来るかの問いをwhatやhowの質問で行う。




今回は殴りカキ感が強いものを投稿します。

本当は12月4日の殴りカキを投稿しようと思ったけど、やめた

理由は恥ずかしいから




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?