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[JAZZ] スタンダードってそろそろやめませんか?

まず、最初に言っておきますが、
僕はJAZZという音楽が大好きであります。

quasimodeでデビューしたのもあり、
どちらかというと、
JAZZシーンから呼んで頂く事が多く、

気付いたら、
JAZZパーカッショニスト のイメージが
強くなり自分の中でも、
自由であり、
表現の幅が大きいので、
一番好きなんですけどね。

ということを踏まえて、
読んで頂けたら幸いです。

スタンダード?

ずっといつかこれを書きたいと
思ってましたが、
正直、躊躇しておりました(笑)
っていってもJAZZを聞いた事がない方から
したら、なんか聞いた事あるようなくらいだと
思います。

JAZZにおける、
**"スタンダード" **
まあ、他ジャンルでいう、
〇〇クラシックなどと言われる
いわば興行的にも成功した名曲という
意味でもあると思うのですが、

同時に、
基本、個人単位なカルチャーである
JAZZのライヴでは、
その日だけ集まったメンバーで
ライブをやるため、
現実的にその日のサウンドチェック、
リハーサルで
だいたいのライブの流れを組まないといけません。

そうなると、例えばオリジナル曲をやる事も
難しくはありませんが、
皆がちょっとした打ち合わせでできる
いわゆる"スタンダード"と呼ばれる、
JAZZでいう名曲をやる割合が多くなってきます。

このスタンダードと呼ばれる曲たちは、
しっかりとした譜面も市販されており、
要はアレンジを変えたりするだけで
すぐできてしまう、
いわば演奏者における共通言語
みたいなもので、
どちらかというとこの意味合いが
強いのかなて思うのです。

これがあればそういったその日だけのライブも
可能になってきますよね**。

それは聞きに来ているお客様も同じで、
長年のジャズリスナーになればなるほど、
オリジナル曲ではなく、
そういったスタンダードの曲を
ライブでやって欲しいという方が
多い様な気もします。

ただ、僕が見てきた中では、
そういったお客様は僕ら世代より上の方、
しいてはJAZZが流行っていた頃から聴いてる方々に
多い傾向があるのかなと。
+
もちろんそういった世代のお客様が聞きにいらしてくださり、
会場でCD等を買って頂く事によって
成り立っているという事も付け加えておこうと思います。+

余談ですが、
海外のJAZZ フェスにもいくつか
呼んで頂きましたが、
特にヨーロッパ系の国では、
予想に反するくらい、
中高年から高齢層のオーディエンスが、
ほとんどだったのには驚きました。
もちろん、若い世代に人気の
アーティストのステージにはそれなりに
若い世代も集まっていたかもしれませんが。
逆にアジア圏の
インドネシアのJAVA JAZZ  FESTIVALを
初めとするJAZZフェス関係も
いくつか行かせていただきましたが、
こちらは若い世代で溢れかえっており、
you tubeで見てるよ!と
街を歩けば芸能人レベルの扱いを受けたのも
驚きました。 (matzz 談 プロレススーパースター列伝風にw )

しかしながら、
本来のそれは、
夜な夜な集まったメンバーで、
セッションしたり、
誰かが、曲を持ち寄ってやってみよう
という、いわば当時からしたら、
新しいものを生み出そうと
皆で追求、研究していた中で、
今で言う名曲たちが生まれて行ったわけで、
その時点での今で言うスタンダードとは
意味も違って来てるんじゃないかなて
思ったりもします。

**一言"JAZZ"といっても

**

たしかに、それらの曲は素晴らしいと思うし、
僕自身も最初はTVのCMで使われていた
Take Five が好きになり、
レコード屋さんに行き、
店員さんにメロディーを歌って(笑)
これですねと教えてもらい
レコードを買っていったり、
いわゆるセッションに行って
演奏、そしてJAZZについての書籍を読み、
映画なんかも見ていくうちに
いろいろな背景までやっと見えてきて
どんどんハマっていくわけですが、
所轄、JAZZを聴くきっかけとして
スタンダードから入るのは、
色々見えて来るのが早くて良いとおもいます。

ただ、どうも、そういった書籍などから見える
JAZZのおしゃれさとかとっぽさ?
当時でいう最先端な音楽であったこと、
それが日本における自分が見たJAZZの世界と
何か違うなという思いに駆られてきたのです。

その答えは、
同時にクラブというカルチャーから
DJがプレイするダンサブルな要素の強い、
新旧のJAZZにも触れた時に
わかったのですが、

そこには、書籍や映画で見た
JAZZ本来の
とっぽさとかかっこよさ、
新しさがあったのです。

もちろん、スタンダードも含めた
JAZZの曲も
プレイされたりもしてましたが、
シーンにはオリジナルバンドも結構いたりして、
そういうバンドはカバー曲もしてましたが、
ほとんどの場合オリジナル曲で売り出していました。

そう、そこにはスタンダードという
ものの割合がとてつもなく少なく、
スタンダードなのか、じゃないのか?
なんて事はどうでも良く、

かっこいいか、かっこよくないか?
踊れるか、踊れないか?

が重要だという事を見て、
やっぱりそうだよね!

て嬉しくなったのを覚えています。

しかもそういった曲を聴いてるのは、
長年のJAZZリスナーではなく
(もちろん0ではないが)
どちらかというと若い世代の
しかも今時な人たちなんですよね。

同じJAZZといってもここまで違うんだなと。

この辺の話も改めてじっくりしたいなと思っています。

で、僕はこのJAZZ好きだけではないそういった
若い世代に受け入れられるようなJAZZをやりたいと思う様になり、
のちにquasimodeでデビューするわけですが、
その時はちょうどクラブジャズと呼ばれた、
先の新しいジャズのスタイルのさらに次の世代といえば良いですかね、
Soil & Pimp sessions とか Sleep Walker 、
Indigo Jam Unit など、
周りには素晴らしいバンドもたくさんいました。

当時はシーン全体で盛り上がっており、
嬉しくも幅広い層から受けて、
JAZZにしては異例のセールスを博し、
JAZZの代表的なレーベルである、
BLUE NOTE (JAPAN)とも契約でき、
その時、
カバー(スタンダード)は必要だけど、
やっぱりオリジナル曲の方が若い世代や、
JAZZを聞いた事がない人たちにも好評だし、
どんな音楽もそうかもしれませんが
いつまでも昔の曲をやるのではなく、
どんどん進化していくべきだし、
そうでないといけないと確信したのでありました。

スタンダードかそうでないか?

僕はもともとはそういった
スタンダードと呼ばれる
曲たちを知り、
JAZZを好きになっていきましたが、
実は、決してすべての
スタンダードと呼ばれる曲を
まずチェックしたわけでは
ないのです。

それは、性格的に
ひねくれてるのかもしれませんが(笑)
やれ、これは聞かないといけない!とか
これを知ってないとJAZZは
語れないとかっていう
文句がどうにも苦手で、、

だって、
実際に自分が聴いて良いと
思わなければ
意味ないし、
それが結果的にスタンダードなのか、
当時全然売れなかった曲なのかは
**僕にとっては全然重要では
なかったからなのです。 **

そういうわけで、
意外と曲と曲名が一致しない
スタンダードと呼ばれる曲も
たくさんあったりします(笑)

JAZZのライブのスタイル

話が戻りますが、
そもそもJAZZのライブのスタイル
というのは他のジャンルと違っていて
もともと
ビッグバンドのメンバーだった連中が
もっと自由にしかも新しいサウンドを
追求したいと
夜な夜なバーに集まって
小編成でセッションしていた
というカルチャー(諸説ありますが)から
生まれたゆえ、
一つのバンドでという形態もあるが、
ほとんどは、個人単位
お店がリーダーと呼ばれるミュージシャンに
声をかけ、そのリーダーが他のパートの
ミュージシャンを集め、
(お店がすべてのミュージシャンをあつめたり、
もちろんバンド単位で出演するパターンもある。)

そのリーダーと呼ばれるミュージシャンが
その日演奏する曲を決めたり仕切ったりする役目で
その日だけのライブをするというのが
基本なのです。

なので、これをよくセッションとかいうのは
そこからきてるのですよね。

ただ、同じ呼び名でお店が企画する
ホストバンドといわれるその名の通り
その日の案内役と言っても良い
メンバーがいて、そこにお金を払ってくるプロ、アマ問わずな
これまたセッションと呼ばれる日もあります。

**同じセッションでも大違いですよね。 **

前者はいわば、
ライブハウスにおけるお客様にお金を払っていただいてやるいわゆるプロによる通常スタイルのライブ、

後者は逆にプロ、アマ問わず、お金を払って演奏するというシステム。

ざっくりですが、こんな感じがほとんどではないかとおもうのですが、
もちろん、シーンの中にいれば当然両者の違いは明確なのですが、

外から見た場合のこの違いがわかりにくかったりも
するのかなと思うのですよね。

同じセッションて呼ばれたりもするし、
同じステージで行われるわけですし。

そういうところからもなんとなく
そういったステージに上がる敷居の低さや、
プロとアマチュアの境界の甘さというか
そういう事にも繋がってくるのではないかなと。

そこにさらに両者とも 
スタンダードと呼ばれる曲をやっていれば
なおさらです。

なぜスタンダードをそろそろやめませんか?という理由

quasimodeを結成する以前、
JAZZのいわゆるセッションに行ったりすると
やはり、そういったスタンダードを
演奏する事がほとんどなわけです。

初対面でもすぐにできるし、
サウンドチェックやリハーサルなんて
ないですから。

それは良いとして、
これは個人的に感じたことですが、

どうしても多くの場合、
いわゆるその曲のメロディーはなんとなく
ぱっとやって、皆が力を入れるのは
各自のソロなんですよね。

まあ、ある意味そういった
即興から生まれる奇跡みたいなとこも
JAZZの醍醐味としてはあるのですが、
当時の僕にはどうにもそれが刺さらなくて、

やはり聴いてる方は、
メロディーが第一にあり、
タイトルから情景を想像したり、
また、演者の人生がそこから垣間見えたりして
感動するわけですよ。

更に、それは
オリジナル曲でも
ないわけですよ。

すべての人がそうだとは言いませんが、
そういった人たちが多いのは確かかなと。

**ここからは完全な個人的意見ですので、
ご理解いただきたい。 **

確かにスタンダードという共通言語により、
より自由に演奏はできるのですが、

これは究極な話ですが、

どれだけ技術でカバーできる人がいたとしても、

固定のメンバーで、
オリジナル曲を持っていて、
普段から、都度リハーサルを重ね、
ツアーを共にし、
しいてはプライベートで飲んだり
話し合ったりして、
ある種演奏だけではなく
人として通じ合っている
いわゆるバンドが
放つサウンドには
**どう頑張ってもかなわないのでは
ないかということ。

それはなぜか?

自分でもうまい言葉がないかなとずっと
考えてましたが、
このnoteで、これだ!っていう言葉を使っている方を
見つけたので、引用させていただきます。

出ている"波動"が違うからという事

僕は演奏はある種、

"その人の内なるものから出るエネルギーしいては表現"
だと思っています。

聴きにきてくれてるお客様が刺さったり、
感動したりとしてくださるのは、
表面的な技術だけではなく、
演奏者の想いや経験が**
"波動"**となって
届くからだと思っています。

更にそれは誰か一人ではなく、
全員の波動が合体して一つの塊とならないと
効果は得られません。

それが、いくらそれぞれがすごく腕の立つミュージシャンだったとしても
演奏だけではない波動が合致している
(もしくは一緒に演奏していくうちに波動が合致するようになっていった)バンドが放つパワーには
叶わないからなんだろうなと。

前者はそれぞれが
すごい波動を持っていたとしても
それぞれから異なった波動が放たれそれは分散されるため、
一つのパワーとしては弱いのです。

後者は一つに合致するように完成されているため、
受ける大きさも違うという事なのかなと。

ただ、
先に言いました通り、その日だけ集まってやるライブですから
(時にはリーダーのオリジナル曲を持ってきてやる場合もありますが)
どうしても、スタンダードやカバーをやるという事が多い。

のちに対談だったか忘れましたが、
評論家の方?の方が言っていた言葉が
すごく記憶にやきついてるのですが、

[スタンダードは演奏する人によって全く別のその人のオリジナル曲になる]

これを聞いた時は正直、
イヤイヤイヤ!それはないから!って
心の中でツッコミをいれたのを覚えています笑 

そう、スタンダードという言葉が良い様に解釈されてるんじゃないかな?
とその時思ったのです。

ただ!
そういった中でもスタンダードを演奏するのに
しっかりとメロディーを大切にしている、
寺井尚子さんはじめ、そういった演奏者ももちろんたくさんいます。

それでも、やはりスタンダードよりは、
オリジナル曲の方が演奏していて入り込めますが。

加えて、これからの事も考えて、
JAZZという音楽が進化していき、
もっと広く浸透し、
幅広い層に聞かれる様になるには? 
という理由で、
スタンダードをやめませんか?
と書いたのですが、
もちろん全くやめるという事ではなく、
あくまで、オリジナル曲がメインで、
ステージの中で、
1、2曲そういった曲をやるくらいの方が
これからリスナーも
世代交代していくわけですし、
良いのではないかなと思うわけです。

それが、たとえば
マイルスデイビスへの
オマージュなライブとかなら
何も言いませんし。

そしてもう一点。

ただでさえライブな文化でもあるが、
CDの売り上げが下がって以来、
皆、ライブで、CDなどを
手売りで売る事に殺到するようになったのでは
とここ何年思っていました。

故にライブの数もより増えていきます。

僕はこのライブの数の多さにも
問題があると思うし会場で手売りすると
いう事にも、大きくみると
そこに未来はないかなと思ったりしてます。

そう、傾向としてライブでは
スタンダードは聞きたいけど、
CDやレコードで聴くのは、
今のアーティストがCDでリリース
してるスタンダードではなく、
大元のいわば原曲としての
スタンダードなのでは?
とこちらも、その人自体のファンはのぞき、
多いのではないかなと。

という事は、確率は少ないかもしれないけど、
オリジナル曲で話題になった方が、
曲自体の価値は全然上がり、
配信も含めCD等の売り上げにも
響いてくるのかなて。

でもそれをやるには、
皆がスタンダードに捉われず、
オリジナル曲をメインにして
やっていけば新たなシーンとして
出来上がるリスナーの幅も増えるのかなと。

そしてこれは酷かもしれませんが、
アットホームな演者と客席が近い、
ライブハウスも良いですが、
それは時に近すぎるがあまり、
線引きがなくなってしまい、
アーティストとオーディエンスの関係性が
崩れてしまう恐れもあるので、
それも踏まえ、
とにかくライブの数を減らし、
一つ一つのライブに、
プレミアム感を出さないといけないと
思うのです。

サウンドだけではなく、
ステージでの見た目も含めて。

おそらく、緊急自体宣言の解除で、
我先にとライブのスケジュールを入れていく事に
なるかと思われますが、

そこはちょっと落ち着いて、
システム的な事からこの機会に
見直すべきなんじゃないかなと
僕は思っています。

僕自身も、この機会にゆっくり考えたりする
時間もあり、これからは心機一転して、
考え方を変えようと思っております。

この辺はまた改めて書きますね。

あとがき

僕は、
演奏というのはその人のテクニックを堪能したいのではなく、
その人の人生、経験したことを演奏という形から知りたい、
みたいと思うのです。

トラディショナルなものを
継承していく事ももちろん大切ですが、

**つねにアップデートをしていくことの方が
何よりワクワクするし楽しいなと思うのですよね。 **

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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