「キリン解剖記」を読んで

「キリン解剖記」 郡司芽久 氏 著

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タイトルの通り、キリンの解剖の話。

著者が学生時代よりキリンの解剖を何度も経て、「8個目の首の骨」を見つけるまでの過程のお話。

こういうと、初めから強い意志を持った方が順調に立派な成果を挙げたように聞こえるが、そうではない。

大学入学当初は筆者の方も何をすべきか明確に決まっていたわけではなく、悩んでいらしたそう。

しかしそこでただ悩むだけでなく、筆者は行動なさった。
自分の好きなものを見つめ、ゼミに積極的に通うなどして、自分のやりたいことを見つけていった。

私はこの過程がとても大切で、見習うべき点だと思う。

自分の好きなものをはっきりさせ、それを周囲に発信しながら行動する。
すると自ずと道が開けてくる。

著者はたびたび自らの「運の良さ」を述べているが、これも自ら発信を続けたからこそだと思う。

これはいつ如何なるときも真実だと思う。


そしてまた、筆者は解剖の腕を身につけられるまでに苦労なさっている。

この過程でも見習うべき点があった。

初めての解剖では教科書を追うことに一生懸命で何も分からなくなってしまったが、次からはいったんそれを諦めて目の前の観察に一生懸命になると、逆に解剖がよく分かるようになったという。

「木を見て森を見ず」というが、こういう実際があるのだ、ということが分かった。

また、初めての解剖で何も分からなくても、その後再度挑戦していくというのは、やはりキリンが好きだから、というのがあると思う。

著者のように好きなものを見つけられる、というのはとても大切だ。


最後に、大事だと思った筆者からのメッセージ。

「子供の心をもったままで」

p.193

大人になるとどうも、得られるものだとか、要領がどうとか、そういうことばかり考えてしまう。

そうでなくて、これは無条件に楽しい、追い求めたい、そういう気持ちを大事にしていきたい。

若様はそういうの嫌いみたいだけどw
(2019/09/14 annkw)

「3つの無」

p.212

「3つの無」というものが博物館にはあるらしい。

無目的、無制限、無計画。

これだけ聞くと、まさに無駄、という感じがする。

しかし研究というのは、やはりそういうものなのだろう。

近頃はどうにも「応用」だとかそういう聞こえのいいものだけが持て囃されてお金も出て、という印象である。

しかし元来研究とは地味な作業の繰り返しである。

そういったところへの理解をしっかりしていかないと行けないと思った。


一方で、この本では「博物館の役割」というものに初めて気付いた気がする。

博物館と言うと、いろんな展示があるところ、というくらいしか考えつかない。

しかしバックヤードでは、標本の収集から研究と、大変重要な仕事が行われているところである。
展示はむしろ、氷山の一角といったところではないだろうか。

特に幼少期に何度も無邪気に訪れた「神奈川県立生命の星・地球博物館」もそういう役割を果たしていることにこの本で気付き、妙な感動があった。

動物園も同様で、展示はあくまで外から見える一部分である。


まとめ

「子供の心で」「無目的、無制限、無計画」

人生訓としても大事な気がする。

自らの好きなものを無邪気に追い求める。

そんな気持ちを忘れないようにしたい。



もちろんキリンのこと、研究のこと、博物館のこと、動物園のこと、もろもろ学べる面白い本でした。

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